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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:里山の遊びと動物愛護について)

里山の遊びと動物愛護について

このQ&Aのポイント
  • 里山の遊びと動物愛護について
  • 里山における自由な遊びや野鳥の保護について考えましょう。
  • 里山の活性化と動物愛護を両立させるために、空気銃や鳥取りの使用を考える価値はあるのか、皆さんの意見を聞かせてください。

質問者が選んだベストアンサー

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  • kadowaki
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回答No.4

第2種兼業農家にして、ハンターです。 >○○○ 農業従事者等に限って、農業委員会の推薦等で、空気銃や罠の使用をおおらかにしても良いと思いますが、皆さんはどう思いますか?○○○ 質問者さんのような方、つまり、「空気銃や罠」の危険性をきちんと弁え、これを絶対に悪用しない、節度をもって自然の恵みに与ろうとする人には、その「使用をおおらかにしても良い」と私も思わなくはありません。 でも、本当に重要なのは、質問者さんのような方とそうでない方とを、どういう客観的な基準によって区別できるか? という点ではないでしょうか。 たとえば、質問者さんは「空気銃」について、どうも昔の中折れ式のスプリング銃の記憶をもとにイメージなさっているようですが、最新の狩猟用空気銃の威力や命中精度をもってすれば、約50mの距離からなら、直径3cm以内の標的を命中させることも、人間の頭蓋骨を撃ち抜くことも簡単にできるということをご存じでしょうか。 となると、やはり銃砲等による事故や犯罪を抑止するためにも、少なくとも現状程度の管理や規制はやむを得ないと思いませんか。 要するに、こういう厳しい管理や規制によって生じるメリットとデメリットとを天秤に掛け、メリットの方が少しでも上回るとすれば、質問者さんのおっしゃるようなデメリットがあるからというだけで、現状の銃砲等の規制を緩めるのは到底無理ではないかということです。 >現在、我が家の、果樹類は大部分が食べられてしまいます。 >冬場は更にキャベツや白菜も心配です。 わが家の場合、毎年、スイカ、メロンが収穫前にタヌキの食害に遭っています。 また、裏の畑の桃(これは自家消費用)も、やはり完熟前にタヌキにやられてしまいます。 が、私は猟趣や食味という点から、タヌキを射獲したことは一度もありません。 一番タヌキに困っている両親も、さすがにタヌキを射殺してくれとまでは言いません。 なお、石を投げて追い払ったことなら何度もありますが。 >空気銃や鳥取りが自由に使えたら、タンパク源にもなって一石二鳥と思います。 私も子どもの頃、冬期、納屋に入ってきたスズメや針金のワナで捕まえたノウサギを食べていただけに、質問者さんのお気持ちは分からなくはありません。 ですが、一時期、カスミ網によってどれほど大量、かつ無秩序に保護鳥等が捕獲され、ひそかに密売されたりしたかはご存じですよね。 あるいは、トラバサミによって、有害鳥獣以外の小動物が脚の骨が無惨にも破砕されているのをご覧になったことはおありでしょうか。 >縁側で「メジロかご」が揺れる風景も今はありません。 これも密売をはじめとする、目に余る違法行為が横行したから、野生の小鳥の飼養に対する規制がより厳しくなったことはご存じですよね。 >何でも禁止では、農村は衰退の一途です。     ウ~ン、決して「何でも禁止」ではなく、確かに昔より規制は厳しくなりましたが、合理的な理由によって禁止されている方法を除けば、しかるべき手続き(試験等)を経ることで、空気銃やワナによる狩猟も、有害鳥獣の駆除も可能ですので、質問者さんには、是非猟銃等所持許可や狩猟免許を取得なさるようお勧めいたします。

noname#152316
質問者

お礼

 狩猟家としてのご回答大変ありがとうございます。 同世代の方と思い、同調できる部分を感じました。 確かに、中折れ式の空気銃や、ねずみ取りや手製の罠で小型中型の野鳥の捕獲や威嚇を意識していました。  作業場所や自宅の耕地に罠を仕掛けることで、農閑期には行かない谷津田にも行って、畦の状態やモグラの活動等も観察していました。もちろん、畦が崩れる前に地主さんに知らせたりしたものです。  子どもの頃は、放し飼いの犬がどこにもいたので、狸が庭に来ることなど有りませんでした。  昨今は、ハクビシンやアライグマの姿も見かけます。アナグマや狸とは全く違った驚愕の習性で活動します。  今、村里は彼らの楽園です。「しょうじょうじの狸ばやし」はハクビシンやアライグマのそれです。  狩猟が一番の目的では有りませんが、「このあたりは、あなた方に危険な場所ですよ。」と動物に知らせるために、時間に余裕ができたら、免許の取得もしたいと思っています。  カラスなど、短く切った針金をゴムでとばして脅かすと、耕地に出たとき、「カア、カア」と上空を横切って警戒警報をだして危険人物として仲間に知らせています。 彼らは、私を覚えました。  農夫は誰でも彼らの危険人物と思わせたいものです。

その他の回答 (3)

  • tomban
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回答No.3

ご質問内容には理解できる部分もありますし、農業を取り巻く環境からしても、野生動物被害の増加は真剣に考えるべき問題とは思います。 しかし、です。 世の中は変化しています。 経済は世界規模を視野に入れないと成り立たず、農業も例外ではないのです。 政府は強力な輸入制限や、関税の増加などを行うどころか、むしろ撤廃しようなどという話まで出ています。 土地の値段や、人件費の上昇、高齢化や少子化、地方にかける予算の減少…農業を取り巻く環境は、わが国では劣悪であり、また、それを真剣に考え行動するような政治家も少数です。 それだけではありません。 里山で遊ぶはずの子供たちは、インドアゲーム、ネットなどの「家の中で遊ぶ」という習慣を幼いころから経てきました。 親たちも「狩り」というものが身近に無い環境で育ってきましたから、子供がいかに楽しいと思って遊んでいても「危険」「残酷」ということになってしまう。 最早「昔の生活を取り戻す」では、大きなムーブメントは起きないのです。 私の考えでは、農村は「変化していく」という道をとらざるをえないでしょう。 そうでないと、人口は減少の一途をたどるし、高齢化どころじゃない「むらが消える」可能性も、十二分にあるのですよ。 実際「限界集落」は増え続けていますし、村が経済破綻するという事態も出てきました。 もう、今までの常識は限界に来ているといって良いでしょう。 希望が無いわけではありません。 農村や田舎全般にいえますが「自然が豊富」であるということは、大きなメリットです。 最近の若者層の中には、現在の生活に息苦しさを感じ、なおかつ、生活資金難にあえいでいる人は大勢存在します。 生きる意味を見失っている人もたくさんいます。 田舎にその「答え」は眠っています。 古くからのもの、生活の知恵…田舎にありがちな「閉鎖性」を少し緩めてあげ、受け入れていくことで、あらたな常識が生まれてきます。 無論、それは簡単なことでも、小手先でやっても良いことなどではありえませんから、かなりの「決心」は必要になるでしょうが。 「過去にこんなことがあったんだよ」というのは、その「行為」をそのまま再現しただけでは、復活はしないのです。 「精神」が復活しない限り、それはただの「文化財」にしかなりません。 そのところを、十分考え、論争していかないと、結果としては未消化なままで終わると思われます。

noname#152316
質問者

お礼

ありがとうございます。 メジロなど野鳥は以前より増えているようには思いませんが、人家近くに出没する数は確実に増えています。 里山に手入れが行き届かないので、樹間の地面で餌をとる小鳥は減っています。また、河原や水田の周りの草の中に住むウズラなどは確実に減っていると思います。 耕地整理によって、河岸が竹や葦ではなく、コンクリート製になったことで小鳥は少なくなっています。  更に暗渠排水も含めた乾田化で耕作機械の導入を図っていますが、   冬場の水田植物や小動物(昆虫や魚類・無脊椎動物類等等)の減少で土壌の無機質化も進んでいます。  肥料も草木ではなく、工場製の化学肥料です。 大型機械のロータリーで耕すより、生物耕作の方が稲も強くなり、野菜も味が勝るのです。  生で食べても甘く美味しいのです。我が里の米は、新潟産のブランド米に食味では勝るとも劣らないと自負しています。ただ、色が少しベージュがかっているのです。  キャベツも甘く軟らかく、東京の駅側レストランで食べるような木の葉を刻んだようなキャベツなど、食べる気にもなりません。(失礼!)  ゲームで育った後継者たちは、蜘蛛(くも)や蚯蚓(みみず)を恐がり、暇が有れば、カラオケやパチンコにいったり、耳に赤鉛筆で賭け事新聞を読みあさっています。 農業委員会の指導の下で有れば、多少の売買目的も悪いことでは無いと思います。  つまり、技術を教えることで長幼の序もできるし、会話に地域の気候や土壌、生態系も入るので、里に愛着をもてるのですね。  小さな尺取り虫に大声を上げるようでは、狩りはできませんね。

noname#152316
質問者

補足

「昔暮らした家」ということばが当地にはあります、 裕福だったということです。 立派な木造の家が朽ちて落ちて、竹藪になるところを何カ所も見ています。 まさに消えてゆきます。 差別用語的になりますが、能力のある青年は都会に高収入をもとめ、田舎に残る人はリストラや資格学歴の無い人が多いように思います。 還暦くらいになって、仕事が無くて田舎に戻って古い家をとりあえず直して住むUターン組も見られます。  役所や学校は田舎では高級な就職先です。 デモシカ先生が立派な家を建てて羽振り良く生きています。  物日には、都会で成功した人が大型高級車や輝く服装で帰省します。 田舎の人は魅力で太刀打ちできません。 話し合っても、擦り合う部分が少ないのです。 パートタイムや臨時職は月に10万円前後の収入です。 デフレで、貧しさは感じませんが、都会の人の輝きには重ねて負けます。 そんなとき、フクロウや鷹の補食や、アライグマの親子を撃退した話など、輝きます。 カラスにも馬鹿にされる田舎暮らしは、暗いですね。

回答No.2

部落の人かと思った

noname#152316
質問者

お礼

 ご回答ありがとうございます。 確かに現在は被差別部落民のような状態であります。 法務大臣現地事務所の介入で、地方法務局人権擁護係長が「人権問題なら解決できる。」とした案件も、相手が市役所のために既に2年間ゴタゴタしています。 今月16日には人権擁護課長が地方法務局の出張所まで、調査面接に来ます。  東京法務局では、迅速な処理とは3~4ヵ月だそうです。当県地方法務局では、調査に来た法務事務官が、市の行政協力員所有の通称赤提灯に関係者を呼んで話し合いをして(饗応を受け?)、その顛末と合わせて、農家組合の寄合で「申し立ては却下されました。」と発表されるなど、戦前の部落民差別みたいな一面も有ります。  東京の法務省人権擁護局長宛に、饗応の不正をふまえた「人権侵犯申告シート」を提出した結果です。  しかし、若手の後継者の間に、不正はどちらかという感心が高まって来ました。  間もなく、平和が創造されると期待したいます。 農村再興には、大型機械を使用した大規模農業とは別に、自然を生かした少量高級品多品種生産の道があると思います。廃物利用も有ります。  人的な不正や差別の有るのも事実です。  人をまとめる人望ある人がいなくなりました。職場では偉くなっても、地域のことは何も知らないし、価値観が職場感で塗り固められているのです。  グローバルな観点で見ることができないのですね。   英国でも、中折れ式の小型空気銃を見ました。フランスもほぼ同じです。ミネソタ州では、大型ライフルを発射したグループもいました。チェコ製の超小型空気銃も見ました。狩りをすると、必然的に自然を語りますね。 まとまらなくなりましたが、  鋭い指摘、ありがとうございました。

noname#152316
質問者

補足

 村里のことを部落と当地では言います。 被差別部落とは少し違います。最近は「地区」といいます。  還暦を過ぎましたが、半世紀前は東京の伯父や祖母の兄弟が良く泊まりに来ました。二泊三日で別荘気分です。小鮒やドジョウもごちそうでした。何より老鶏をつぶすのが一番のごちそうです。  肉屋さんなど無かったのです。 長野の若い子(30歳台)は、「蚕のさなぎ」を普通にお八つとして食べていたそうです。   自分も東京で学生生活しているときは、結構食べるだけで精一杯の輩がいました。腹いっぱい白米を食べられる我がアパートには結構飯を目当てに来る友人がいました。  いま、田舎にも大型スーパーがあり、自動車も子どもを除けば家族数くらいは持っています。  家族の月収は合わせて百万を少し切ります。 自炊が多いのですが、普段は野鳥など食べません。希に鹿肉や獅子肉がもらえます。庭の柿やミカンを食べる若い人はあまり、いません。 だからこそ、野鳥のおいしさやつかまえる、釣りのような魅力を伝えたいのです。

  • kernel_kaz
  • ベストアンサー率23% (665/2872)
回答No.1

そうやって農村部の人でも、売買目的で野鳥を乱獲したから、保護目的で禁止されたんじゃ無いか 都合の良い事ばかり言ってても聞く耳持たれないよ ある意味、自業自得 野鳥を捕る事だけが、里山の楽しみ方じゃ無い筈 それだけの理由で子供が興味を示さない訳じゃ無い あなたが昔みたいに野鳥を捕りたいと言うなら、まだ話はわかる 子供とかを持ち出して、大義名分にしようとする根性は頂けないなぁ

noname#152316
質問者

お礼

ありがとうございます。 里山との関わりは狩りだけではないんですよね。 第二種兼業の家の場合、以前のように一家で冬中に里山に入って、一年分のタキギをとっていたように里山の管理はできません。一人の給料の半分ほどでの負担で一年分の光熱費を稼げます。  野鳥を捕っても、それで暮らしを立てるほど大量にはとれません。ロータリーをかけて乾田化された水田に昔のようにツグミの大群などきません。 メジロやシジュウカラなどは、人家近くでもみるようになりました。 休耕地にワラビを移植したり、蕗やミョウガの栽培も試みています。 トマトやイチジク・ビワ・ブドウ等と比べれば野生生物の被害は格段に少ないですね。  しかし、柿やスイカを農家がスーパーで買うのがおかしくない時代でもあります。 里山に入らなくなると、竹や笹が密生し、やがて水の流れが里山の土砂を流して道路を壊し、さらに大規模な山肌の崩落に連鎖します。  里山に入った時に踏みつけて水道(みずみち)をつけるだけでも大きく違います。  運良く椎や樫の木が大きくなると、樹下に空間ができ、入山が楽になる場合もあり、キノコの栽培木を運び出すこともできます。  子どもたちは、山であった動物の話には大変興味を持ちますが、山菜等には興味を示しません。  逆に半世紀を生きた人は、山菜・山野草に興味を持ちます。 ヒルと尺取り虫の区別ができない子も沢山います。  最初に申したとおり、農業委員会等の指導監督の下にという一案です。 部屋にこもって、ゲーム機で遊んで近視になるより、野鳥を追って体や神経を鍛えた方がいいと思うようになっているのです。  メダカと猩々トンボを増やして放しています。しかし、ミヤコタナゴの生息の水域では、立ち入ることができません。  皮肉なことに私の知る限り、ミヤコタナゴを内緒で飼育している人はみな県職員関係者です。  いろいろな価値観をお知らせ下さり、ありがとうございました。  

noname#152316
質問者

補足

  里山の持ち主がいないところで、野鳥の捕獲禁止が一方的に決まったように思うのです。  昔も野鳥の捕獲には免許が必要でした。 しかし、中学校等では、「一人一羽なら良し。」と先生は認めてくれました。 内緒で友人の分も捕りましたが、優秀な個体を得ると以前からの個体を子分格の下級生に譲ったり放鳥しました。 何よりも里山に鎌や鉈を持って入るので、蔓やよこしまな樹木は小さい内に切り払いながら歩いたので、どこの山道も峰から峰へと続いていました。  いま、山に入ると直径が20センチ以上の樹木が山道を遮っています。軍手をつけて這うようにしたりしないと数十メートルもはいれません。  一年樹なら直径は2~3センチ以内で簡単に歩きながら刈り払えます。 竹や笹も繁茂する前に止められました。 子どもが、里山に入ることが肝要だと考えます。  冒頭に述べたように、カラスの民家近くでの行動は、民家近くの里山や屋敷森、草原で繁殖していた小鳥に大変な脅威になっていると思います。

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