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人に愛する・愛されるほどの幸福はないのでしょうか

人生において人を愛する・愛されるということほどの幸福はありえない、はたまた人間の生きがいに愛以外のものはありえない、と言うような人を少なからず見かけますが果たしてそれは本当なのでしょうか。その愛の形がエロスであれアガペーであれ忠孝であっても。いかなる成功を収めようが愛以外のことでどんなに精神的に満たされようが愛の無い人生は残酷なのでしょうか。あるいは、欲求階層説のように愛で満たされていない人は他の欲求を持てないのでしょうか。愛を求めない・愛という感覚自体がわからない人は人外・超人なのでしょうか。

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回答No.2

即物的な欲求、あるいは自己中心的な利己主義に基づく精神的充足感は、すべからく短絡的であり、必ず自己の死によって敗北に尽きる。 低い認識による近視眼的意識において、それでも自己満足できるが、そうしたその場その場の衝動の充足は刹那的で相互に矛盾しがちで、より長期的な目的への努力の成果に比べて、人生を通算した充足量の最大化において劣るばかりか、そうした成果の感受のベースとなる意識の希薄さによっても、充足量を矮小なものにする。

noname#213069
質問者

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いろはにほへとの歌では自分自身に対する欲求は全て浅はかなものという前提がなければ成り立ちませんということですがなぜそう言えるのか私にはよくわかりません。すいません。

その他の回答 (7)

  • cat-food
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回答No.8

質問者殿も少し言及されていますが、マズローの欲求5階層説では、人間の欲求のうち、自己実現欲求が最も強く、愛は3段階目とされています。欲求が満たされた場合が幸福だというのであれば、(マズローにいわせれば)人生至上の幸福は愛ではなく、自己実現であり、愛は上から3番目でしかありません。 マズローの考えが正しいかどうかはだれも証明できませんが、幸福について言えば、愛こそが最高の幸福とは言えないと、私も思います。 例えば、修道士は神に一生を捧げます。キリスト教徒はこれを神への愛と表現していますが、これは愛ではなく、愛よりもっと幸福になれるもの。つまり、自分を犠牲にして、自分の信じるものを追求するという、自己実現に幸福感を感じているのではないでしょうか。 愛でも幸福になれますが、それ以上の幸福もありえます。例えば、自分を犠牲にして何かを達成することなど。たとえば、自分は粗末な生活をしながら、孤児院に匿名で寄付する人がいますが、このような人は実は至上の幸福を味わっているのではないでしょうか。

noname#213069
質問者

お礼

愛も一神教の宗教も自己実現の手段の一つにすぎない、なかなか面白いと思います。ありがとうございました。

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.7

>愛を求めない・愛という感覚自体がわからない人は人外・超人なのでしょうか。 ○人外・超人という表現は適当ではないですね。愛という感覚自体がわからない生命体は地球外から来ているということだけですね。地球の生命体は地球起源の生命体と地球外起源の生命体の2種類が存在するのですね。 星としての地球の特徴は「愛」ですから、地球起源の生命体は「愛」の感覚を生まれながらに備えているのですが、他の星では、所有の特徴が異なり、例えば「科学」「音楽」「従属」などの特徴の星の生命体は「愛」の感覚を持っていないんですね。でも科学が強いや音楽が優れているなどの特徴があり、そのような生命体を地球が受け入れることで互いに学び合い切磋琢磨しているというのが地球の今の姿ですね。 地球外生命体も地球に住めば地球人ですから地球の特徴の「愛」を学ぶ必要があるということですね。 国の単位の移民と同化の過程が星の間にもあるということですね。 地球の歴史の混乱時期は、たいてい地球外から大量の地球外生命体を受け入れている時に起こってますね。 地球にきて間がない宇宙人だと、愛の感覚は難しいかもね。

noname#213069
質問者

お礼

回答ありがとうございました。

  • kanto-i
  • ベストアンサー率30% (180/596)
回答No.6

まず自分のことを素直に無条件で愛することができるところから、幸せが始まります。

noname#213069
質問者

お礼

回答ありがとうございました。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.5

2002年のノーベル 経済学賞を受賞した米国の心理学・ 行動経済学者ダニエル・カーネマンは、数十年にわたって 幸福を 研究してきた―お金と幸福の関係について考察 して、その結果を次のように総括しています。 「幸福とは、自分の愛する人、自分を愛している人と ともに  時間を過ごすことだと言っても、あながち言い過ぎではない」。

noname#213069
質問者

お礼

ダニエル・カーネマンのような観点の経済学に少し関心がありましたし、彼について少し調べてみましたが面白そうですね。ありがとうございました。

回答No.4

一般的に男女の恋愛を称賛するのは近代西洋ロマン主義からで 近代資本主義に伴い欲望が解放されてゆきました。 東洋の人はあんまり重視してません。 仏教では愛=執着なんで、これを断つのが良いとされてます。 お釈迦様は宴会の後に全裸でだらしなく寝てる踊り子たちを見て 妻子を置いて出家(四門出遊) 儒教でも恋愛なんて出てこないで、「女子と小人とは養い難し 」です。 道教も1人で田舎に引っ込んで湖で釣りして暮らすなんてのが理想ですからね・・・ 日本でも戦前までは恋愛より家のほうが重要で 恋愛が称賛されるのは戦後に入ってからです。 バブル期には恋愛ドラマが量産されて猫もしゃくしも発情してましたが 今じゃ刑事医療ドラマばかりで恋愛の地位も下がりました。

noname#213069
質問者

お礼

回答ありがとうございました。

  • yuniko99
  • ベストアンサー率15% (31/204)
回答No.3

タイガーマスクを知っていますか? タイガーマスクこと伊達なおとは孤児と言う設定です 捻くれて星を睨んだ僕なのさ ああだけどそんな僕にも あの子等は慕ってくれる♪ それだからみんなの幸せ願うのさ それだからみんなの幸せ願うのさ♪ と言う歌があります 孤児院で親の愛情も受けずに辛い思いをしたタイガーは 矢張り孤児院の子供達を愛し 愛される事で正義を求め 幸せを願ったのです 愛によって生まれ 愛によって育まれ 愛に生きる これが人間の幸せの姿です 貴方も幾らかは愛されたから今生きているのです 哲学も愛知 智を愛する事と言われます 愛を知らなくても人間は生きてるかもしれませんが 勉強も何の愛もなかったらできません 親が居るからノートや消しゴムが変えるのです 私の持論でも 愛こそが最高の存在性だとしています。愛を知らない人は生甲斐とか感じる事ができるでしょうか? 勿論人生には愛以外のファクター(要素)も多いですが 僕は愛が最高だと思います 愛がなかったら世界中が戦争になって人類は滅びるかもしれません まあ100億円くれるなら コンビニのありがとうで済ましてもいいですが(発想が貧困) 愛は素晴らしく 必要なものです 科学や悟りも実際には真理を愛すると言うものだと思います。 どうぞ愛し愛されて生きる人生を送ってください。あなたの幸せを祈っています。御機嫌よう☆

noname#213069
質問者

お礼

あなたの個人的な考え方、参考になりました。ありがとうございました。

回答No.1

面白い(失礼)質問が目に留まりましたので回答させて下さい。 あなたの年齢が記載されていないので失礼が有ればお許し下さいね。 私も学生の頃同じ様な疑問を抱きました。 これは哲学でしょうかね。 人間色々な感受性が有り一概には言えないのですが、あなたと同じ疑問(?)を抱く方がおられると思います。 長文は嫌いなので簡潔に回答しますが、人には愛が必要ですが、それは愛を必要とする人ですね。 >愛以外のことでどんなに精神的に満たされようが愛の無い人生は残酷なのでしょうか。あるいは、欲求階層説のように愛で満たされていない人は他の欲求を持てないのでしょうか。愛を求めない・愛という感覚自体がわからない人は人外・超人なのでしょうか。 愛だけが人生では有りませんね。 愛という感覚自体が分からない人でも超人では有りません。 それは人に与えられた「個性」を表現している人です。

noname#213069
質問者

お礼

生物として外れていてもそれもまた個性。人間って幅広いんですね。