「船頭多くして、船進まず」ということわざがありますよね。本来、軍の組織は、「外から来た物言う人物」をあまり必要としていません。例えば、旧帝国陸軍がマッカーサーを招こうとなどしませんし、ソ連軍がロンメルを招こうとはしません。
しかし、ゲームや小説では、「人物の登用」が重要です。もちろん創作物である、ゲームや小説は史実に基づいてはおりません。中国の三国志演義は創作物ですし、日本の戦国武将の逸話の多くは江戸の創作に近代の創作を重ねたものなんです。
しかし、「人物の登用」は史実では無いが、史実のある側面を反映しています。
それは、
「人物の登用」の大名側の一番の目的は、その人物の能力よりも、その人物の持つ土地と人民と兵力なのです。特に兵力。封建社会では、原則、国軍がありません。織田軍の多くは、織田家の家臣が持つ家臣の私兵なんです。信長自身の兵力は一部に過ぎません。
現代に例えれば、愛知県の市町村長が各自の私兵を率いて、県知事織田信長の元に「団結」して、織田家家臣団、織田家を形成している訳です。織田家の成長とは、各県の市町村長の吸収によります。意外と、信長は人を殺してはいないのです。ですから、後期の織田家は尾張だけでなく、美濃・近江さらに大和や播磨の武士も参加しています。戦国の合戦は近代戦よりもずっとぬるい戦いです。負けた側も多くは生き残って、社会的な身分は落ちるけども、勝った側に吸収されていくものなんです。
市町村長が、つまり、武士達が織田家の元に団結する目的は、信長の武力に対する恐怖と、土地給与や相続争いの調停といったアメ。相続争いは軽視できません。武士の家は相続争いが多く、時に、身内が敵になります。武士は、親族に土地を奪われないためにも、「主君」による支配が必要なんです。
織田信長は、県知事の座を親から世襲してますが、愛知県の市町村長のうち、知事に従わない者もおり、これらを信長は武力のムチで脅しつつ、土地の給与などのアメも使って、手なづけていきます。こうして、市町村長を従えた後、静岡県の今川知事を桶狭間で殺して、次は岐阜県。岐阜県の市町村長を、アメとムチで寝返らせて、岐阜県知事の斉藤氏を追い出して、岐阜県を併合。さらに、伊勢や近江にもアメとムチの手を。
三国志の場合、特に演義は「大げさな人物評」が目につきますね。これは、漢帝国の人事が人物の評価に頼ったために、貴族達が友達同士、大げさに誉め合った事によっています。大げさに誉めてあげねば家臣になってくれないんです。だから、名将・知将だらけ。なお、当時は「脱税の黙認」がお約束。ですから、支配している人民の人口はものすごい過小申告。人口が1/7になったのではなくて、課税されている人口が1/7。大して死んでいないんです。