心理学が恥ずかしい学問、と言う意味が良く分かりませんし、心理学に関しては素人です。素人の私が感じている事を書かせて頂きます。
今の精神医学は心理学から派生していると感じています、その結果『心の健康』に付いての完治が打ち出せていない点が上げられると思います。今の精神医学の治療目標は『寛快』ですが、寛快の意味は『もうぶり返す事が無い完治』とは一線を画しています。
この寛快と完治の違いが分らないところに心理学や精神医学の盲点が存在していると感じています。
寛快の意味は、良くなるための条件と、悪くなるための条件が『把握出来ていない』という意味があります。ここのところの研究が心理学の発展に負っていると感じています。
心が如何して苦しくなるのか?という基礎が全く研究されていない点です。この基礎を学ぶ事無く『湧き上がった感情や考え』を研究する学問が心理学の基礎を成している、そう云った点では、心理学は『頭に湧き上る感情や考え』=『人間の想像する力』=『妄想』の研究に勤しんでいる学問と解釈できるかも知れません。
心理学の元に存在する『心の成り立ち』という基礎研究がなおざりにされているという面から書いています。
人間の心に『感情や考え』が湧き上るシステムに付いて書いてみます。この一点が分かる時『寛快』と『完治』の違いが分かるからです。
人間の脳内には二つの人格が存在しています。科学的な証拠です。ウイキペデアからです。
『”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究
ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。”』
この事実を、脳卒中と言う体験を通して、内部から脳の機能を追体験した脳科学者の動画を紹介します。良く観察して下さい。
『脳卒中、ジル、ボルト、テイラー博士』と検索をしてみて下さい、動画が出てくる筈です。
テイラー博士が語っている内容は正に『宗教体験』です。結論から書くなら『右脳の人格』は神や仏という意味です。右脳の人格の機能は『生命発生装置兼生命維持機能』です。
こう云う事実を、今の精神医学は『無視しています。』その結果、薬による、何時までも治らずにいる人達が、年々増加することになっていると感じている者です。
寛快とは、二つの心の矛盾が未だ解消されていないが、程よく『そのバランスが拮抗している』という意味です。その程よく『そのバランス』とは、自我意識と無意識のバランスという意味です。つまり二つの意識の『交替制のバランス』という意味です。
完治するという意味は、二つの意識が『折り合いをつけて』交替するバランスを保つ事が出来る、という意味ですが、心理学的な表現をするなら『感情や考え』を湧き上がらせていた者が自分自身だった事を理解する。』という意味です。心の矛盾が解消したという意味です。
この意味するところは、自分の苦しみは自分が作り出した幻という意味です。
ストレスに対する考え方が、自分の苦しみを作っているという意味です。ストレスをストレスにしない考え方の基礎を『今の心理学と精神医学』が持っていない事を意味します。
人間の心の健康が『何処にあるのか?』を今の、心理学と精神医学は求めています。
ですが、幸福を探してさまよっている『青い鳥を探しているように』幸福は、今ここに『何気ない毎日の中に在ります』遠くに幸福を探している事が『幸福になれない理由と同じで』
心の健康など、何処を探しても見つけられない事、もっと云うなら心の健康を探す事自体が『心を病む事』を意味します。心の健康など気にかけない時『心は健康です。』
健康かどうかを忘れた時、心は健康という意味です。心理学の発展が心を病む事を助長させている弊害をもたらせている側面がある事も、見逃してはならない事を物語っています。