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真実への接近方法について。
真実は。 確かに。 皆様に。 突きつける。 そうして。 正しい結果を。 見せる。 宗教と科学について。 そのこころと。 闇について。 なぜか。 真実は。 次元を異にして。 その闇と。 光に。 隔てられてあるから。 つまり。 宗教は。 ひかりであり。 科学は。 闇である。 しかも。 ひかりを否定する。 大きな闇である。 ここで問うのは。 真実への接近の仕方を。 問う。 ただ。 見つめれば。 見えるか。 ただ。 聞けば。 聞こえるか。 その耳。 その目。 その思いは。 どこから来て。 どこへ向かうのか。 簡潔に。 真実は。 その正しいあり方でしか。 姿をあらわさないということ。 なぜならば。 正しい者にしか。 真実の扉は開かれないから。 正解は。 祈り。 それでは。 皆様の答えを聞きたい。 真剣なご回答をお待ちします。
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- B-juggler
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ちょっとご無沙汰しました。 No.1,6,7です。 えっとね、「宗教の否定はしない」これは変わりません。 #変な宗教で無い限りね。 #いわゆる、邪教(現人神とか、拝金主義とか)でない限りね。 ただ、私はこうも言いますよ。言っていますよ? 「宗教に優劣はない」 どれが一番すぐれているなんてことはありませんし、 「宗教的正しさ」は信仰心の強さでも、誰かが尊いだのそういうことではなく、 正しい宗教は全て正しく、平等に受け入れられるもの。 #少なくとも、この日本の八百万ではね。 自分の宗教の正しさだけを主張しているから、イスラエルとアラブはもめます。 宗教によるいがみ合いは消えません。 お互いが認めること。それしかないんだと思いますよ。 否定せず、押し付けない。 少し後ろに来てしまいましたから、このテーマで質問をもう一度あげられてはいかがでしょうか。 (=^. .^=) m(_ _)m (=^. .^=)
- B-juggler
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No.1,6 です。 少し安心しました。「主は6日で全てを作られた」とあるので。 ここまでしっかりしてあるから、変な宗教ではないと思っていたけれど、 おそらく、カソリックですかね。どっちかな?違うかも? これは前にも書いているけれど、「自然界」を神と捉えています。 #今のところはね。神学者ではなく、科学者だから。 認識として、自然界を解き明かすことが神に近づく唯一の方法、だと思っています。 #ほとんど科学者は、そういう種類だよ。 後は程度問題で、私は一神教徒ではない。 やっていることは同じこと(!)。ここだけ気がついてくれる? 否定はしない。あなたをね。 ただ、人によって宗教に関しての考え方は違うのだから、押し付けちゃいけないと思う。 #これも前に書いているけれどね。 仏教は、キリスト様も、アラー様も、ゾロアスターさんも否定はしない。 一神の神様方も、仏を否定はされないでしょう。 違いを認めて、共存する。争わない。 それは出来ると思うよ^^; これだけお互いを知ろうとしあえるのだから。 (=^. .^=) m(_ _)m (=^. .^=)
お礼
あなた様は。 科学者なのですね。 そうですか。 憎しみは。 その宗教を否定する愚に。 憎しみは。 その宗教を消そうとする愚に。 しかし。 あなた様は。 宗教を肯定される。 そこにまず。 尊い。 一歩を見ます。 宗教は。 すべて。 なぜ。 消そうとするのか。 その愚は。 あきらか。 宗教は。 いろいろでしょうか。 宗教はすべて同根という考えがある。 しかし。 その間違いは明らか。 なぜならば。 崇拝対象の。 別は。 まず。 唯一なる御方。 ただ御ひとりに捧げなければならないから。 つまり。 被造物を崇めるのは。 明白な誤り。 あなた様は。 仏教を信じられて。 崇拝対象の多は。 なにをもたらすのか。 そこには。 唯一なる御方への。 正直な。 崇拝はなく。 粗雑とした。 混乱。 が。 あるように思えます。 宗教は。 幽玄界の事項を。 知識として。 扱い。 容易には。 知ることはできません。 どうすれば。 その霊的世界での正しさを知れるのか。 そういう。 まさに。 霊的世界への。 かけ橋が。 啓示。 という。 宗教の。 根本として。 あり。 啓示なき宗教は。 人間の着想がはいった。 粗雑な間違いを含むものではないでしょうか。 霊的世界の事項は。 唯一なる御方のおゆるしになった。 天使がもたらす。 知識こそ。 正しく。 人間が考えた。 着想は。 間違いとして。 避けなければ。 信じる者は。 つまずきます。 さあ。 あなた様は。 厳密に。 その宗教の霊的正しさを。 知るには。 という。 疑問に。 どう答えるでしょうか。 ぐーでみなさまに。 うかがいたいと思います。 その宗教の霊的正しさを分かつしるしはなにか。 質問します。 あなたに。 そして。 みなさまに。
- B-juggler
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No.1です。ちょっと難しいけれど、一応書いておきます。 「神は存在する。この世界があまりに秩序だっているのだから。 同時に神は存在しない。その存在を証明できないのだから」 #アイザックニュートン・後にハンス・フリードリッヒ・ガウス も同じことを言います。 最初に、宗教はその人の価値観でしかない。 私は仏教徒。ご先祖が大事。一神教ではない。八百万に近いよ。 「痴」の話を書いたけれど、何故真実を知ることが大事か? お釈迦様がそういったからでもなく、神がそうしなさいといったからでもなく、 「それが人間だからです」。 これは和尚もそういいますね。人間としてよく生きるためには、 知ることは大事、学問も大事。科学ももちろん。 宗教はその支えでしかない。助けてはくれない。 数学の世界でも、神の存在は見ることが出来るよ。 こういう例えを出します。 「素数のうちで、4で割って1余るものは、必ず a^2+b^2と表せる」 #ちなみに、a,b は互いに素。これはいいよ難しいから。 やってみればわかる。 5(は素数です。4で割ると1余る) = 1^2+2^2=1+4 13=4×3 +1 =2^2 + 3^2 =4+9 飛ばして大きいのを。 137=4×34 +1 =4^2 + 11^2 = 16+121 という風に。逆でもいい。 4^2+11^2 =137 と表せたから、137は素数! と言ってもいい。 これはあまりに綺麗です。数学で見る神はここにいる。 I found Godness! って言う学者もいるよ。実際にね。 だけど、これを見つけたのは人間だ。 ここで一つ問題。 「このように美しい式を、神が創り人間が見つけ出したのか? あるいは 人間が見つけ、それを神が創ったと思っているのか?」 この答えは、どうあがいても出ない。胡蝶の夢と一緒。 個人的にはね、自然界を神だと思っているけれど、絶対の一神ではないと思う。 あなたは、残念ながら 自然界の法則つまり、科学をあまり勉強されていないようです。 演繹法、帰納法、両方ともあなたは使われている。 神がこの世界を創った だから 神を讃える言葉を教科書の最初に。 これは、立派に演繹的帰納法です。(正しいのかどうかは別問題) 野球のボールは、重力に逆らって直線を描く。 それはマグナス力というもの。神の意思であるのなら、重力によって落下するはず。 あるいはマグナス力(ストレートが落ちないようにバックスピンによる浮力のことね)も 神の創造物なのかな? だとしたら、人間がやはり見つけた。そうすると、上に書いた胡蝶の夢がまた出てくる。 宗教は好きにやって構わない。 ただし、人に押し付けるものじゃないことは知って置いてくれるかな? 否定はしない、あなたの考えをね。だけど、元指導者として、肯定は出来ない。 私は「科学者だから」。神様を探す必要はない。自然界がわかればいい。 変な宗教じゃないだろうね、それだけが心配だ。 (=^. .^=) m(_ _)m (=^. .^=)
お礼
いろいろと教えてくださってありがとうございます。 素数ですか。 勉強したようなしないような。 難しいですね。 しかし。 わたしは。 宗教は。 数学を。 遠ざけない。 むしろ。 近くにきなさいと。 呼ぶでしょう。 そこには偉大な主の。 御創造なさった。 英知を知る。 やり方があるから。 あなたは。 仏教徒ですか。 残念です。 なぜか。 あなたは。 ひかりを見ることができないから。 宗教は。 正しくおこない。 はじめて。 実を結ぶ。 あなた自身のこころで。 正しい宗教を。 探してみてください。 あやしい宗教は間違い。 正しい宗教は。 確かに。 こころやすらぎ。 こころ清められて。 まっすぐにゆく。 演繹法。帰納法。 科学では。 科学者が。 はっと。 思いつく。 そこには。 偉大な主による。 恩恵こそあれ。 なにか。 わたしは。 ここで。 演繹推論をするぞと。 意気込んで。 考えるわけではありません。 それは。 論理学者か。 哲学者が。 机上の言葉を分析して。 名前をつけたので。 重要なのは。 まさに。 生きる生として。 人生の中で。 気がつくということなのです。 難しい科学を知らなければ。 劣るという。 レッテルは。 危険です。 なぜならば。 科学者は。 愚かにも。 なにも知らないから。 知らないからです。 いさめて。 こころはっきりと。 知るならば。 科学などは。 とんだ迷妄。 であり。 宗教の。 祈りこそ。 真実。 真実であるのです。 それに気がつくか。 夢と見るか。 あなたの。 真剣な。 反省と。 人生での。 気づきでしか。 至れはしません。 証明が。 必要でしょうか。 本当の証明とは。 こころで。 確かに。 偉大な創造主は。 いらっしゃる。 と。 確信すること。 ボールが重力で落ちる。 宗教は。 偉大な主は。 たった6日で。 すべてを御創りになられた。 と信じます。 宗教は。 奇跡を信じて。 はじめて。 正しい道をゆきます。 重力の法則は。 偉大な主の業。 重力から外れることも。 偉大な主が。 まさに。 そうあれとおっしゃれば。 なる。 重力とは反対に。 ボールは空へと舞いあがるでしょう。 信じられない。 そうならば。 信じてはいないのです。 ただ。 人間が考えた。 物理学で。 見た世界の中を。 さ迷うだけ。 人間はその小さき手で。 あたかも。 宇宙を支配したなどという。 思い上がりをいだきます。 しかし。 すべてを与えられて。 宇宙の中で漂う。 ちりのようなものなのです。 真実は。 こころにうつる。 正しい宗教は。 まさに。 あなたの人生を。 輝かせる。 あなたの生を。 豊かに実らせる。 確かな証明は。 物理学や。 数学にあるのでなくて。 あなたのこころでの。 はっという。 気づきによる。 証明こそ。 あなたの人生は。 まさに。 その気づきを待つ。
- fuukakou
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質問の文章の意味がよく判らないのですが・・・ 真実っちゅーのは個人個人の心の中にしかないんじゃないかなぁ と思ってます。 人間、信じたいことを信じるものですし。 神様的な事でなら 近づく方法は色んなものからいろんな情報をちょびっとずつでも知っていちいち考えるという頭の部分と心に感じる事をいろいろ考えて、もうこれでいい、もう充分だ・・・という実感を得るって事かなぁと。 それぞれの人で納まるところが違うと思うんですよ。 だから自分がこう思ってこう感じてこういう風に納得したって事には他の人は土足で踏み込むべきじゃない事だと思うんですね。 本人がより情報や感じ方を得て思う事が変わるって事もあるだろうけど。 少なくても私は踏み込んで欲しくないです。 私は人には人の節理がある様に神は神の摂理で動いてると思ってます。 人とは違う、神は人間の為だけに存在するわけじゃないし。だから時に理不尽だったり容赦がないと思う。人間では計り知れない。 そして私にとって一番上の神は何もしない神です。ただ存在するだけ。 祈りが悪いとは思いません。 ただ感謝する、愛の存在を知る。 出来れば愛と繋がりを持つ。 それが私の答えです
お礼
ご回答ありがとうございます。 そうですね。 祈り。 愛。 感謝。 偉大な主への。 そのおこない。 あなたは。 どういう納得を得るか。 どういう考え。 こころで。 偉大な主は。 やさしい。 しかし。 必ず。 こころみられる。 その時に。 不満もらさずに。 忍耐すれば。 必ず。 恵みをくださる。 運命はさまざまに。 偉大な主の糧もさまざまに。 しかし。 主の愛は尽きることなく。 宗教に励む僕に。 やさしい助けを与えて。 多くの報いを用意して。 必ず。 偉大な主の御許に帰るのだから。 偉大な主は公平に裁かれるのだから。 不遇の時こそ。 忍耐。 しあわせの時こそ。 感謝。 主はすべてを御創りになり。 玉座に鎮座なさる。 その偉大な主の御力は。 すべてにさきだつ。 すべてにおよんで。 偉大な主は。 すんぶんも。 僕のことを忘れることはない。 ありとあらゆる。 御慈悲は。 その被造物におよんで。 その僕の努力にこたえて。 逆境に泣く。 しかし。 偉大な主は必ず。 宗教を真面目におこなう者のそばにいらっしゃる。 主は愛に満ちて。 その摂理は。 主そのもの。 運命は。 主そのもの。 すべての結果は。 あらかじめ決められて。 すべての結果は。 偉大な主の御創造なしにない。 人間は。 現世の偽りを。 見ずに。 来世への。 気づきを知り。 はじめて。 世界が。 ほほえむ。 宗教は。 ただ。 主の御慈悲から。 なる。
おっしゃることはわかりますが、私には「科学が光」であり、「宗教が闇」であるように見えます。科学は真理を探求するものですが、宗教は真理を覆い隠し見えなくするからです。 歴史を振り返ってみれば、宗教が世界を制していた時代は常に「暗黒時代」と呼ばれるものであったのではないでしょうか。そして科学によって宗教的な闇を振り払うことで人類は前へと進んできたように思えます。古代のシャーマン的な時代から中世のヨーロッパ、更には現在のイスラム原理主義の国などを見ても、どうしても宗教が「光」であるとは思えないのです。 人はいかにあるべきか、人としての生き方、いわば哲学においても、もっともそれが進んだのは古代ギリシャの時代であり、それは科学と哲学が融合していた時代でした。そして中世では宗教的倫理から逸脱する価値観は否定され、近代になって哲学は息を吹き返します。今、人々が「いかに生きるべきか」を各々において考えることができるのも、宗教という闇に社会が閉ざされていないからです。 科学も盲信すればそれはある種の宗教となり、「科学と言う名の宗教の闇」に閉ざされます。「盲信」という言葉が示すように、信仰は人を盲にします。そして信仰の中にあるものは、自分が盲であることに気がつかないものです。「誰も真実を理解しない。自分だけが理解している」という見方こそ、盲信による闇に包まれていることを示す証左ではないでしょうか。
お礼
ご回答ありがとうございます。 闇と光。 たとえば。 太陽を作れると考える人はいない。 なぜか。 まさにすべてを。 その手をこえたものを作れると考える人はいない。 自分で産まれたかということ。 否。 生まれてきた。 あなたは。 その宗教の闇について言うが。 しかし。 科学の闇を知らない。 それは。 あなたはイデオロギーの虜になっているということ。 不幸。 それこそ。 不幸。 闇と光の逆転は。 太陽を作れるという考えの誤りを。 突きつけて。 すべてが。 創られてあるということを。 すべてが。 管理されてあるということを。 すべてが。 決められてあるということを。 あなたは。 決して。 太陽を作れはしない。 蟻さえも。 当然。 正すべきは。 その誤解。 御創造は。 真実ということ。 あなたは。 間違いを教えられて。 その闇に気がつけずに。 闇の中で。 見た妄想を語る。 妄想を捨てさせるのは。 まず。 宗教が誤りではなくて。 人間のあり方が間違いで。 正しい結果を授からなかったという。 反論を知って。 宗教は。 いつの時代でも。 正しい。 イデオロギー教育の結果。 悲しい。 歪曲を植えつけられて。 闇を背負わされる。 光は宗教にあるということを。 知るには。 あなた自身が。 信じ。 祈る。 ことでしか知ることはできない。 そのためには。 御創造を。 信じ。 科学の愚を捨てること。 真実は。 こころにはっきりと。 その正しさを教えて。 果たして。 科学が。 あなたの人生を。 輝かせるか。 欲望で。 渇き。 むさぼる。 記憶を捨てて。 今。 明日への確かな人生を。 輝かせる。 未来への岐路として。 信じ。 祈り。 知る。 そういう。 接近をしていただきたい。 必ず。 光がさしましょう。 祈りの中で。 ひかりゆくはず。
真実への接近方法は、2つあると思います。 知識の積み重ねによって法則を導く方法です。 これは、個々の具体的知識の積み重ねで一般法則を導き出します。 例えば、これまでに見た猫はいずれも怠け者だった。だから、すべての猫は怠け者である。 もう一つは、前提から経験なしに論理必然的に結論を導き出す方法です。 これは、前提から結論を導き出します。 例えば、すべての人は死ぬ。王様も人間である。だから、王様は死ぬ。 この2通りあると思います。 いずれも現実社会では結論が出ていないものです。 結論が出ていることは、いままさに自分自身が疑って考えているということです。 これは、真実です。 例えば、神が存在しないといったことはありえますが、このように疑っている自分自身が実は疑っていないということはナンセンスです。 つまり、考えている自分自身が存在するという点こそが、第一原理になるわけです。 これが、現実であり、真実であると思うのです。 仏教の教えにも核心があると思います。 この世の苦悩の原因を知り、それを克服する。 ということです。 真理に目覚めるということだと思うのです。 いくら考えても結論は出ないものだと思います。 所詮、自己満足に過ぎないかも知れません。 ただ、人間ですから自由と責任を引き受けて生きていればいいと思います。 結論を申しますと、これらを前提にして、どのような立場に立たされようが、社会の多数派がどのような意見を持ち、どのような服装をしていようとも、自分のポリシーを絶対に曲げない個性的な生き方をすること。 これが、一番の真実への接近方法だと思うのです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 演繹法と帰納法。 論理学のやり方。 なにかおかしいと。 感じます。 人間の生が。 なにか。 狭い言葉の枠にはいって。 知ることを。 閉じ込めてしまうような。 偉い学者先生が考えてのことでしょう。 しかし。 人間は。 生まれ。 死ぬ。 その人生という生なかで。 どれだけ気がつけるのかということが。 真実への。 接近には不可欠である。 知るということは。 人生での生を輝かせるためのものであり。 決して。 テスト勉強や。 学問をしたいがためにあるのではない。 まさに。 昨日失敗した。 今日反省する。 誰かがおこなう。 まねをする。 誰かがつまずく。 足元に気をつける。 誰かが教える。 耳を傾ける。 誰かが注意する。 人生を見直す。 そういう。 人生での。 確かな。 確信でしかなくて。 帰納したり。 演繹したりするのは。 机上の。 言葉でしかない。 正しくは。 生きる生。 その人間のありようが。 はっと気がつく。 はっと。 真実に。 近づくかにある。 人生での気づきが重要で。 言葉の論理がなるのではない。 まさに。 人生での。 はっ。 である。 あなたの。 その人生を。 論理学ではなくて。 その今まさにあるそのすべてで。 あなたの運命の先端部分で。 宗教の正しさを。 知っていただきたい。 そのためには。 信じ。 祈る。 そうして。 本当の真実を。 知る。 そういう。 知り方を。 していただきたいのです。 まさに。 論理学ではなくて。 あなたが。 人生で。 真実を。 あなたのこころにうつすという知り方で。
- guess_manager
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真実を求めるのに一番簡単な方法は、思い込むことです。 世の中にはいろんなことを信じている人がいますが、たいてい客観的なものではなく、勝手に思い込んでるだけです。 あなたのおっしゃる祈り、というのもそうした行為の一つです。 ひたすら自分自身を欺くことで、自分が真実であると思いたい事象を真実であると確信するわけです。 それが他人に迷惑をかけるのでなければ、これほど単純なことはありません。 ただし、それを他人に「これが真実だ!」と押し付けることだけはやめて欲しいと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 思いこみ。 辞書では。 固く信じて疑わないこと。 しかし。 あなたの言う意味は。 根拠のない。 定かでない。 嘘を。 信じること。 という意味ですね。 しかし。 わたしは。 信仰をおこなうのは。 偉大な主を固く信じているから。 にほかなりません。 問題は。 その真実であるということにいたる。 あなたの。 誤解である。 なぜか。 ちっとも知らないのに。 嘘だと。 決めつけているから。 本物の宗教を。 知ってください。 驚くでしょう。 本当だと。 驚くでしょう。 私は馬鹿であったと。 宗教は。 本当に。 正しい。 しかし。 多くの間違いの宗教があふれている。 思いこみは。 宗教は全て虚構。 作り話という誤解。 その思いこみを打破するには。 あなたが。 本当に。 祈る。 祈ること。 そのためには。 どなたが。 すべてを御創りになられたかを知ること。 正しい宗教は。 すべてを御創りになった。 創造主だけを崇めて帰依するのです。 毎晩。 本当に信じて。 心底。 謝ってください。 あなたの人生がかわり。 確信は強まるでしょう。 本物の宗教はあると。
- B-juggler
- ベストアンサー率30% (488/1596)
聞かれていることが、「真実とは何か?」であれば、おそらく答えようが無いと思います。 数学屋さんなんだけれど、解けていない問題は山ほどあります。 #元代数学の非常勤講師。 今解けているとされている問題でも、それが正しいと言い切れるのか? 不完全性定理 と言う厄介な代物があり 「ありとあらゆる公理的体系は自分自身の無矛盾性を証明することが出来ない」。 数学が正しいということを数学で証明することは不可能。 聞かれてあることが、「真実を知るためのアプローチ」であるのなら、 一つの例を挙げることはできます。 「ある事象について、考えられるすべての事柄を取り出す。 この全ての事柄について、実現可能(成立可能)なもののみを残し、 不可能なものは排除していく。 そうして最後に一つだけ残ったものが、どれだけ実現不可能(成立不可能)に見えても それが真実だ」 #シャーロックホームズの家伝だそうです。 #演繹的帰納法と呼ばれる手法です。 これはおまけですが、 「真実を知ることから目をそむけてはならない」ことを『痴』という言葉を使い、 仏教徒の三毒として、お釈迦様が言ってあります。 見ようとしなければ、真実は見えません。 聞こうとしなければ、真実も聞こえません。 世の中、嘘っぱちがまかり通っています。宗教も政治も・・・。 真実を知ろうとする事を諦めることなかれ! (=^. .^=) m(_ _)m (=^. .^=) Ps.科学が闇を照らすのですよ。本物のサイエンスは、自然界を解明する手法ですからね。 ってことは偽者のサイエンスが存在しているということです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 数学の先生ですか。 難しい。 数学は。 どうしてか。 それは。 宇宙への挑戦だから。 つまり。 宇宙を奏でるその言葉をあつかうので。 どうしでしょうか。 不思議ですね。 数学は。 わたしは。 数学を。 挫折しました。 方程式は解けず。 大学名に名前負けして。 よく眠りこけていました。 スポーツ疲れもありましたが。 真実は。 その直球にあり。 なぜか。 偉大な主が。 飛べとおっしゃり。 ミットに向かって。 その手から投げ出されて。 飛ぶので。 そこには。 見えない信仰の見方がある。 偉大な主へのおもいなしの記述は。 ただ。 不信仰とだけ書かれている。 だから。 科学は闇なのです。 まず最初に。 科学のテキストに書かれる言葉は。 主は偉大なり。 主の御創造は。 あますところなく。 完璧。 その英知とその御業を。 讃えます。 と。 その科学の愚かさは。 科学者の。 不遜にある。 なぜか。 偉大な主の御業を讃える目的で。 科学をしないから。 冒とくのおもいを募らせて。 悪の愚を広めようと躍起になっている。 どうしたって。 科学はその呪いから。 とかれはしない。 だから。 科学は闇である。 御創りいただいた。 自然を。 宇宙を。 いくら眺めても。 冒とく者は。 冒とくの思いしか。 抱けずに。 冒とくの文字しか。 その科学には刻まれないから。 あなたは。 数学の先生で。 すばらしい。 そう感嘆したことがおありでしょう。 ならば。 生徒たちに。 教えてあげてください。 数学が。 時にすばらしく。 美しいのは。 宇宙を。 すべてを。 偉大な主が御創りになったから。 そのゆえを。 教えてあげてください。 証明について。 わたしは。 数学を挫折した者。 難しい。 論理で。 その学問の無矛盾性を。 語ることはできません。 ただ。 いちばん言わなくてならぬことは。 難しい。 証明で。 真実が。 明かされるのではなくて。 誰しもが。 そのこころではっきりと。 真実を知ることができるということ。 なぜならば。 信仰をするように。 人間は御創造されたから。 そのこころには。 真実が。 はっきりと。 正しく。 もたらされて。 知る。 その間違いない。 という。 確信を。
お礼
ご回答ありがとうございます。 そうですか。 否定しない。 押し付けない。 わたしは。 自分の宗教をしろとはいいません。 強制しません。 しかし。 正しいものは正しいと言います。 重要なのは。 いかにその正しさを知ることではないでしょうか。 そして。 いかに人を慈しみ生きることではないでしょうか。 わたしの信じる宗教は。 宗教を問わず。 困窮する者を。 助けなさい。 と教えます。 何教だから知らないとは。 言わせません。 困る人を助けるのが。 善とされるのです。 問題は。 宗教の優劣について。 争いがうまれ。 殺しあいになること。 しかし。 いたずらに敵意を持つなと。 いさめられ。 相手が。 攻撃をやめたなら。 戦争はするなと教えられます。 正しい宗教は。 争い。 殺しあい。 戦争とは。 本来。 別。 間違う人間が。 争い。 殺し。 戦争するのです。 正義の戦争は確かにある。 正しい戦争はしなければならない。 しかし。 理由もなく。 戦争をけしかけ殺すのは。 大きな間違いだと。 信じます。 宗教は。 確かに。 多くあるけれども。 その真実は。 いくつもなく。 たったひとつだということ。 唯一なる御方御ひとりであるということ。 宗教の。 一番重要なことを。 祈りで。 知ってください。