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越前守とかって、具体的には?
例えば『大岡越前守様』など、『~守』と呼ばれる人がいますが、それは具体的には何を意味していますか?領主や殿様というわけでもないですよね?
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こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 確かに、律令制度の時代には、「越前守」であれば「越前」の守護などを指しました。 しかし、戦国時代を経て徳川家康の時代となった時、家康は「公武諸法度」の中で、 「武家の補佐は当官の外(ほか)たるべし」 と定め、要は、 「越前守」とか「備後守」などという官位名は、 「名義だけのものですよ」 「飾りだけのものですよ」 「朝廷から賜った官職(官位)とは全く別物なのですよ」 と言っているのです。 従って、「美濃守」が伊勢の大名であったり、「伊勢守」が豊前の大名だったりしたのです。 「播磨守」などは、家康の時代でさえ、すでに7人もいました。 これは、播磨国が豊かで上等な国だったため、栄誉のために与えられたものです。 家康以後には、3,000石以上の者は「守」名乗りができ、希望の国名を上申しておけば大概は許可が出ました。 大岡越前守は、1,500石位の旗本でしたが、町奉行に就任してから、町奉行の役高は3,000石ですので、「越前守」を名乗ることを許されたのです。 なお、町奉行や寺社奉行、勘定奉行などの役高は3,000石ですが、1,500石の者がその役に就いた時には、 1,500石 + 3,000石ではなく、1,500石 + 1,500石=3,000石で、つまりは、3,000石に足りない分だけを追加しての支給でした。これを「足し高」(たしだか)と呼びました。
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- h28jan
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こんばんは 「守」と云う官職は昔(平安時代)からあり、平安時代はその国の 領主でした。 (例)土佐守:土佐(現在の高知県)の国主で、その補佐役は 「介(すけ)」と呼ばれていました。 ところが、鎌倉時代になると「守」に代わる「地頭」制度になり、 更に戦国時代になると「守」と云う役職は形骸化します。 その時代は「守護職」が国主の呼び名になります。 そのうちに、各諸語大名がかってに自分の家臣に「守」の称号を 与え始めます。 ですから、戦国時代は「守」を名乗る「侍大将」が多く出現します。 江戸時代に入ると「守」と云う役職が復活します。 実際の大名が名乗る場合…島津氏は「薩摩守」を名乗った…もあり ましたが、いわゆる「役職名」としての「守」もありました。 特に、大身(二千石以上)の直参旗本などの多くは「守」を名乗って います。 ご指摘の「大岡越前守忠相」は実際は「三河一万石」の大名です。 それが、幕末になると「越前守」は実際「越前国(現・福井県)」の 大名の「松平慶永(後・春嶽)」が名乗ります。 以上、答になっていますか?
お礼
はい。時代劇を見て、気になっていたんです。 まさか所領と関係なしとは・・。 回答ありがとうございました!
- osakajapan2001
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ややこしいですね 今でも 省・庁・局・部・係り とか言いますが 昔は 民部のなになにとか なになにの助 なになにの守 なになにの(役ところ)と言う意味で 役職を(職階を意味します)表現していました 早い話が 関東管領以外 は勝手につけていたと考えても差し障りはないでしょう ※誰が何処を管轄したのかと言う事と誰を何処の管轄にしたのか 上からか 下からかの違いは正しくあったことでしょう (だから勝手にと言う事です) ※朝廷の官位とは異なる考え方です
お礼
変な人が、自分たちの土地のそれを名乗っていたら、複雑だったかもしれませんね~。 回答ありがとうございました!
- kusirosi
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大名旗本の官位官名の敬称ですが、江戸時代では実際に国司の仕事するのではなく、 将軍様が、天皇に、お願いして、大名旗本のハクをつけるために、 もらってくるものでした。 一国全部大半を所領とする国持大名(前田加賀守、島津薩摩守、伊達陸奥守、など) 以外は、会津の松平肥後侍従など、実際の所領とは別の地名を名乗る方が 多かったです。
お礼
時代劇を見てるだけでは、そのあたりよくわからないですよね。 名前だけっていうのも、すごい話ですね。 回答ありがとうございます!
- j-mayol
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もともとは律令制における国司の長官のことです。 武家社会になって、国司自体が完全に名目上のものとなったため、武士が権威付けのためこのような名前を名乗るようになりました。そのため、現実的にその国を治めているわけではありません。
お礼
なるほど~。ハクを付けるためのものだったんですね。 回答ありがとうございます!
お礼
お詳しいですね。 縁もゆかりもない人が勝手に名乗っていたのでは、当の領民は知る由もないわけですね。見栄っ張りは昔もたくさんいたんでしょうね。 回答ありがとうございました!