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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:身内が亡くなっても悲しくないのは問題ですか)

家族を亡くしても悲しくないのは問題?

このQ&Aのポイント
  • 家族を事故や自殺で失った経験を持つ人が、それほど悲しくないことについて悩んでいます。
  • 亡くなった家族に対する感情がなく、命日も墓参りも忘れて生活しています。
  • 他人の苦労に共感できず、自身の健康と社会への迷惑を最小限にすることが目標です。

質問者が選んだベストアンサー

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  • key00001
  • ベストアンサー率34% (2878/8340)
回答No.6

> このように結局は、自分だけことしか考えられない > 他人のを尊いと思えない私は問題でしょうか。 ごく「普通」だと思います。 失礼ながら質問者さんは、ちょっと悪ぶってるだけの様にも感じますよ。 もし完全に「忘れて生活しています」なら、こんな質問は成立も存在もしないハズですから。 即ち、質問者さんが「私は問題でしょうか。」などと感じることこそが、質問者さんの中に、人間らしい宗教的な感覚とか、生死観が存在する証拠と言えますよ。 「命日」とか「墓参りに行く」と言うのは、宗教的な儀式や形式で、パフォーマンスに過ぎません。 「これで良い?」などと悩む方が、遥かに価値がありますよ。 パフォーマンスは、そういうコトを親族が顔を合わせ、定期的に考えるためのキッカケなどとして活用出来るから、それなりに受け継がれてるだけではないか?と思います。 実際、法事が終われば、「またね~!」で、みんな日常に戻って行くのですから。 更に、「葬式でなぜ泣くのか?」も、突き詰めて考えたら自己中ですよ。 自分が愛情を注いだ存在とか、自分の理解者・庇護者などを、失ったことを悲しんでいるのですから。 自分が強く自立していれば・・・それほど悲しくないのですよ。 ついでに言えば故人も、遺族などに悲しんで欲しいと願っているとしますと、かなり自己中ですよね。 私が死んだら、「私のことなどサッサと忘れ、自分達の残りの人生を楽しんで!」としか望まないですが・・。 私の墓参りに来てくれる子供がいれば、非常に親孝行だと思います。 でも、墓参りなど一度も来ず、自分の人生を謳歌してくれてりゃ、その子供も親孝行だと思います。 ってことで、自分の人生を謳歌しつつ、たま~に思い出した様に墓参りでもしてくれりゃ、ベストですかね? 質問者さんも、一度お墓参りでも行ってみられたら? 答えなんで判らなくても、何かヒントくらいは掴めるかも知れません。 私は割と真面目で、オリンピックよりは頻繁に墓参りに行ってますが・・。(^^;) 供養とか信心と言うより、やはり「何かのヒントを得たい」と、自問自答しに行ってる様な気もしますよ。 自己中な墓参りかも知れませんね。

その他の回答 (5)

noname#184692
noname#184692
回答No.5

貴方が良ければそれで良いと思いますよ。 貴方が問題ないと思えば何も問題ない…ではなぜにここで質問をするのかって事になりますね。 それは疑問に思うからでしょう。 この考え方が本当に自分の考えなのか? あるいは何かから逃避するための言い訳なのかを考えてみる必要があるでしょう。 それには辛いけど自分と向きあわねばなりません。 一生独身だって幸せな人は大勢いると思います。 人嫌いで孤独を好み一生仙人のような生き方を選ぶ人だっています。 問題はそれで貴方が満足するのかって事だと…この問いは誰に聞いても答えられないです。 貴方以外には…

  • tpg0
  • ベストアンサー率31% (3785/11963)
回答No.4

こんにちは。 家族愛の希薄な環境で育っり、動物を飼育した経験がない幼少期を過ごしたのでしょうか? >身内が亡くなっても悲しくないのは問題ですか ↑人それぞれの考え方を否定するつもりはないですが、家族愛の良さが理解出来ないから「未だに自らの家族を築こうとしない」のではないでしょうか? 私は、5人姉弟の4番目に生まれた長男で男の子を熱望してた父親には溺愛されて幼少期を過ごしましたので我儘に育ちました。 ですから、幼い頃は可愛がってくれる父親だけを頼りにしてましたが、我儘な私に母親と3人の姉達は厳しかったので、子供の頃は「女の人が嫌い」でした。 しかし、学業成績優秀だった姉達に比べて、遊び呆けてた私の学業成績が悪いことを姉の成績と比較し始めた父親は「長男である私の将来を期待してた」ことを小学高学年頃に知ったことで、頼りにしてた父親に不信感を抱き始め反抗的な思春期を迎えることになりました。 反抗的な少年になってしまった私の中学時代は様々な問題行動を起こしてたことで「教師達から見放されて」相手にされなくなってしまいました。 また、父親とも取っ組み合いの喧嘩をするほど暴力的になってしまったことで、父親からも相手にされなくなってしまいましたが、母親と姉達は厳しくも家族として優しく接してくれました。 この、心底心配してくれる「家族愛」を理解してからは非行に走ったことを悔やむようになり、家族に恩返しをしたいと思うようになりました。 そのような、気持ちになった矢先の専門校卒業間近だった、20歳の時に父親が持病を悪化させて60歳の若さで急死してしまった時には、気性が激しく突っ張り少年で幼少期から涙を流したことがなかった私が初めて姉達の前で涙を溢し素直な気持ちになれました。 そして、周囲の薦めで弱冠20歳ながらも「父親の葬儀の喪主」を託されたことで、父親に少しでも恩返しが出来た気持ちになれてからは「家族は掛け替えのない宝物」と思うようになり、未亡人となってしまった母親と当時は学生だった弟を「長男として守ろう」と思うような社会人になり、早く自分の家庭を築こうと結婚願望が強くなり、26歳の時に1つ下の妻と結婚して1男2女の父親になれました。 今では、二世帯住宅で同居してる母親も92歳という高齢ですが、いつまでも長生きして欲しい気持ちは「家族愛の良さ」を若い頃に理解したからです。

回答No.3

いいえ、その様な事はありません。 時期の問題・・と私は師に言われました。 その時がくれば、悲しめる事もあるし、泣ける事もある。 その時期がまだ来ないだけ・・と。 あなたもその様である・・と感じます。

  • ikuchan250
  • ベストアンサー率24% (1063/4275)
回答No.2

私は母親が病気で亡くなったのに、極度の鬱で行動も変だったし(多分) 涙も出てこなかった方が悲しかったです。今は遠い過去になりますけど。 今は鬱も寛解して、涙腺は以前よりかなり緩くなって逆に困っていますが 最初に自然に泣けた時は、とても嬉しかったです。生きている感じがしました。 ただ、その時は妻が居たのでバックで見守られていた感はあるのが あなたと決定的に違う所かもしれません。 >結局は、自分だけことしか考えられない他人のを尊いと思えない私 人としては人に迷惑を掛けなかったらそれでよいので、後はそれぞれの 人生観で生きていけば良いのですから、あなたを責める人は居ないと おもいますよ。 幸か不幸か、私にはパートナーは居ますが、友人はゼロで、そのこと自体は くにもなりません、多分、人付き合いが不得手で煩わしい、と思っていたんだと 思います。ただ、最近にになって、チョットは違ったかな、と気もしなくはないです。

  • staranise
  • ベストアンサー率20% (32/159)
回答No.1

決して嫌みではなく、私はある意味羨ましい感覚であると感じました。 芯から自立なさっているのだと思います。 私は大人になった今でもありとあらゆる面で親に助けて貰いながら生きているので、今親がいなくなってしまったら堪え難い苦しみになるでしょう。 もしかしたら主さんもこの堪え難い苦しみを回避する為に身体が感覚を麻痺させているのかもしれないと感じました。 決して人間らしい感情がないのではなく、その感覚を感じる感度が弱いだけの様な気がします。 本当に人間らしい感情がなければこういったことに対して悩まないと思います。 私も今40になり、単身でパートナーも生涯の友人もいません。 私は主さんと違い、精神的に自立出来ていないので独りで生きていくことが怖くて仕方ありません。 出来れば支えてくれる家族を持つことが私の今の最大の目標です。 主さんは自分のことしか考えられないと仰ってますが、自分自身に責任を持って生きていくことが出来れば何も問題はないと思います。

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