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「安政の大獄」について・・・
こんにちは。 質問文のとうりなのですが・・・・ 「安政の大獄」の背景については私なりの理解もあります。 弾圧から大獄に至るまでの経緯も承知しているつもりです。 私がお聞きしたいと思うのは事実関係ではなく、 以降のリアクションを何故予見出来なかったのかと言う、 素朴な疑問です・・・。 井伊直弼がそれほど愚昧なお殿様とも思えません。 現代人の我々の視点で歴史を語れないことは承知しております。 感想なら構いませんでしょう・・・ 歴史好きの皆さんの感想を聞かせていただけませんか?
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- shirouuda
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ひょっとして、大獄以降の「暗殺成功」を必然だと勘違いしてませんか? すでに書いたように、 暗殺という奇襲攻撃を防ぎきる事は非常に困難なのですが、 暗殺という奇襲攻撃を必ず成功させる事も非常に困難なのです。 どちらも、かなり「運」に左右されますから。 数々のヒットラー暗殺計画が失敗に終わった一因は、ヒットラーが時間やスケジュールにルーズで、計画段階ですでに困難だったことらしいですし。 ド・ゴールなど、近距離で乱射されても一発も当たらず、当たった時は愛娘の写真入りペンダントが凹んだだけ。 大衆の前に身を投じる時代の政治家でさえ、なかなか殺されません。 もっとも、マフィアと戦う政治家はよく殺されますが、これは敵地で戦うという悪条件下であります。井伊直弼は、水戸藩や長州藩の中で殺された訳ではありません。 乱世の政治家が背負うのは、 死の覚悟ではなく、 死ぬかも知れないリスクであります。 ちなみに、安部首相でさえ、狂人に暗殺されるリスクはゼロではありません。 乱世に打って出る野心家が、その程度のリスクを背負うのは覚悟の上でしょう。たぶん、多くは、「自分は死なない」と思ってますし。
- isoken
- ベストアンサー率32% (596/1825)
turukamejirou さんこんにちは、歴史カテでお会いするのは随分以前の事と記憶しておりますが・・。 >以降のリアクションを何故予見出来なかったのかと言う、素朴な疑問です・・・。 さて幕末を代表する巨魁であった井伊直弼という人物、時代の変遷と共に彼への評価も随分と紆余曲折がありますが、その死に依り歴史を大きく転換させた稀有な人物との見方は恐らく普遍的なもの、即ち彼の死とそこに至る桜田門外の変に於ける顛末は、徳川幕府の権威失墜・瓦解を世に印象付けたメルクマールとして、未来永劫語り継がれる事でしょう。 一方直弼はそれなりの教養人、且つ果断と決断の人物でもありましたが、そこはやはり殿様、身に降りかかるであろう危難に対する危機感及び想像力が希薄であった点は否めない、無論或る程度の事を予想はしていたでしょうが、予見は出来ませんでした。 しかも藩主が或る種の統治機関としてシンボライズされていた当時の慣習として、我が身の安全すら全て家来任せ、依ってそこに主君が口を差し挟む風習が無かった、そこが能動的であった戦国大名と大きく異なる点なのでしょうが、安政の大獄にて世を震撼させた井伊直弼といえどもその例外では有り得なかったものと推測します。 つまり警備その他の不備に纏わる全ての責任は、長野主膳以下彼の家来の責任に付される、そう考える次第。 それともう1点付け加えるとするならば、直弼は徳川家康に傾倒するところが大きかったと仄聞しております、つまり持ち合わせていた馬上天下を取った徳川創成期の気概が、過剰な警備に対する抵抗感となり仇となった、或いはその点も理由の1つかも知れません。 最後に余談ですが、先週末高山に行って参りました。 土曜のみ素晴らしい好天に恵まれ、新穂高ロープウェイに於いて、槍ヶ岳他が肉眼で鮮明に散見出来る幸運を得ましたが、ほぼ都会しか走らない軟弱ドライバーの私としては、松本~穂高に至るワインディング・ロードの運転(それはそれで面白くはありましたが)で疲れ果ててしまい高山市街地は断念、新穂高温泉に1泊して翌朝早々に引き返しました、誠に情けない話なのですが。 尚先の御助言ありがとうございました、この場をお借りして御礼申し上げる次第です。
お礼
こんにちは。 そうですね・・・随分とお久しぶりです(笑) 私もこのカテで質問するのは久しぶりですもの。 仰るとうりでしょうね。 ただ、私がお聞きしたいのは一人身に降りかかる危難ではなく、 大獄によってもたらされるであろう 結果を予見出来なかったのか? そう言う疑問です。 どなたかが250年の統治の過信では?と仰った・・・。 そう言うことかなとも思います。 長野主膳の名前を出されました・・・。 私は責めを負うべきはこの人かな?そんな思いもあります。 他の回答者の方には誠に申し訳ありません。 少し、私事を・・・ 疲れましたでしょう?(笑) 運転では音をあげない私ですが、さすがに「疲れた・・」 そう言いましたもの(笑) 高山市街地は断念されましたか?それは残念! でもまたの機会もあるでしょうし楽しみが残っていると思えば。 ありがとうございました。
- shirouuda
- ベストアンサー率17% (14/78)
リアクション=桜田門外の変 でよろしいですかな。 実務的な観点から述べさせてもらいます。 反対を押し切って強引に政策を進め、しかも、処刑等により政敵の一部を厳しく罰している。が、政敵を根絶やしにはしていない。 これが危険なのは誰でも分かります。現に井伊直弼も警備は強化していたそうな。 しかし、「命を狙われている。」は自明であっても、「いつ、いかなる場所で、いかなる方法で、どんな規模で、襲われる。」事は誰にも予測できません。仮に、すべてに対応した警備を実行すれば、金銭、人数のコストだけではなく、さらに、自身の政治力行使の障害になり、政治的立場の低下という最悪のコストも生じます。忙しく、しかも、政敵の多い人物が警備陣の奥に居座る事は、政治的な敗北を意味します。政敵が多いと、自転車操業で働かないと、足をすくわれますから。
お礼
こんにちは。 何歳でいらっしゃる?(笑) 長老のような物言いで・・・恐れ入るしかありませんが。 ごめんなさいね。 私は桜田門までの経緯をお聞きするつもりはないのです。 承知しておりますし・・・。 井伊直弼と言う凡庸とも思えない人が、何故? 私はその感想をお聞きしたいと思いました・・・。 ありがとうございました。 参考になりました。
- sagetusai
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他の方も仰ってますが、政敵の排除という背景ももちろんありますが やはりアヘン戦争を含め欧米列強と脅威から日本を守るには 「鎖国」のままでは対応しきれないと思ったのが一番なんじゃないでしょうか。 何百年も続いた鎖国状態を打破するにはそれなりの代償が必要だと思っていたでしょうし その代償の一部が「直弼自身」も含まれていたと本人も覚悟していたのではと思っています。 井伊家という親藩の出身として大老という職務に就任する際に それくらいの覚悟はあったと私は直弼を評価していますよ。
お礼
こんばんは。 sagetusaiさんの仰るとおり、私もそう思います。 私も井伊直弼と言うお殿様は凡庸な人とは思いません。 では何故?そんな思いがあります。 弾圧から大獄に至れば、その後は自明のことでしょう。 覚悟のうえですか? なるほど・・・ ありがとうございました。 これもまた良い感想です。
- mekuriya
- ベストアンサー率27% (1118/4052)
余り知られていないことかも知れませんが幕府は阿蘭陀風説書によってアヘン戦争で清が大敗したことを知り、いずれ欧米列強が日本に押し寄せることを予想し対応を協議しましたが10年かかっても、方針がまとまらない有様だったのです。前例踏襲主義の限られた大名が顔を突き合わせて相談しても全然話がまとまらなかった。 そういう行き詰まった情勢を打開する為に阿部正弘は従来、幕政から遠ざけていた朝廷・外様大名にも国難を知らせて幕政参画を求めました。阿部正弘は只の漁民だったジョン万次郎をアメリカ通の教養人であることを評価して旗本に登用したぐらいですから、もはや時代は親藩だの外様だのといってる場合じゃないという認識があったのです。 ところが、そういう認識は幕閣で共有していた訳ではない。少なからぬ勢力がジョン万次郎をアメリカのスパイと信じていたし、朝廷・外様大名の幕政参画は幕府の仕法に反すると考えていた勢力も多かったのです。さらに外交問題を諮問したところで従来幕政から遠ざけられて阿蘭陀風説書も見せてもらえなかった朝廷・外様大名に国際感覚・国際情勢の認識を求めたことに無理がありました。阿部正弘が主導した安政の改革は結局、何の結論も出せず反って幕政の混迷を深めてしまったのです。現代と違って、国会も選挙もありませんから元々幕府には意思決定のシステムがない。それが致命的欠陥だったのだけど、前例踏襲主義だけで無難にやりすごせた時代は、その致命的欠陥が表面化しなかった訳です。 そうしているうちに1857年に阿部正弘は急死してしまいます。その後を引き継いで実権を握ったのが井伊直弼だった訳です。井伊直弼は井伊直弼なりに混迷した幕政を立て直そうとしたのです。 従来の幕政でも、経済政策や通貨政策や人事などで路線対立があり、安政の大獄のような事例は数多くあります。現代とちがって平和的な政権交代のシステムはありませんから、いつの時代でもライバルを謀略で陥れて失脚させようとする足の引っ張り合いはあったのです。口実をでっちあげて、讒言で陥れるのも珍しくない。 ただ安政の大獄は、朝廷や外様大名など幅広く、幕政に参加させただけに弾圧も大掛かりにならざるを得なかったというだけの話なんです。井伊直弼は前例踏襲主義で、幕政方針を決定しただけなのです。予見もへったくれもない。それが伝統的な幕府のやり方だったというだけの話。 現代政治では政党があり、選挙があり、国会解散があり、内閣総辞職もある。しかし当時にそんなものは存在しないんです。現代で当たり前のことが当時は誰もそんな仕組みを知らないんです。
お礼
こんばんは。 事実関係は概ね仰るとおりなのでしょうね。 ですから私も質問文で言っております・・・・ 全て私の承知している範囲です。 私はこれも質問文で言っております。 我々は歴史に向き合うことしか出来ないと思うのです。 少し抽象的な表現ですね。 ただ仰ることは分かります。 ありがとうございました。
- jkpawapuro
- ベストアンサー率26% (816/3045)
幕威再興の名を借りた井伊直弼の政敵排除ですよね。 強権発動による失脚例となると老中を一度罷免された水野忠邦が思い当たりますが、逆に言うとリアクションとなるとこの程度のものしか想定してなかったと思いますよ。 江戸時代の幕藩感の権威の奪い合いで暗殺というのはこれが最初のケースでしょう。 罷免運動を抑え込む手段は考えていたでしょうが、想定外故いきなりの暗殺が成立したのだと思いますよ。
お礼
こんにちは。 事実関係はあなたの仰るとおりと思います。 ただ、政敵排除は弾圧まででしょう。 以降の大獄にまで至ると、はて?と思う部分も随分にあります。 水野忠邦の例を出されました。 少し違うのかなとも思います・・・。 別の話しを少し・・・ 私は暗殺は許されるものではないと思います。 ただ、ときに時代が必要とする暗殺もあるのかなとは思います。 ありがとうございます。 とても良い感想をいただきました。
- kaxuma119
- ベストアンサー率29% (108/363)
歴史好きな方ならご存知のことかと思いますが、安政の大獄はいわば幕府権力の奪還作戦です。黒船来航以降、条約勅許の件で朝廷や雄藩が国政外交に口を出すようになってきたのを拒絶し、国政の一切は幕府の管轄に戻すための動きです。 井伊は多少の反発があってもやり遂げられると信じていたのだと思います。というのも、徳川幕府が開かれたのち、幕府が本気で戦力をつぎ込んだ島原の乱以降、武力で幕府に立ち向かおうという動きは成功していません。もっとも組織だった反抗であった大塩平八郎の乱も1日かからず潰しています。幕府が毅然とした態度を示したら、朝廷もごちゃごちゃ言わなくなると読んでいたと思います。 井伊が襲撃された件ですが、水戸が変な動きをしているという事前情報はあったようです。しかしながら開幕以来、幕府の要人を狙うようなテロ事件は起きていませんでした。赤穂浪士はたしかにありましたが、あれは大規模なかたき討ちであり、幕府関係者を狙ったものではありません。つまり、まさかテロを本当にやらかすとは思っていなかったんです。 ということで「250年間押さえつけることができたのだから今回も押さえつけられる」と井伊掃部守は信じていた、という所だろうと思います。
お礼
こんにちは。 これもまた私の文意を良く理解していただいて・・・。 ありがとうございます。 「島原の乱」、「大塩平八郎」を例に出していただきました。 これは少し時代も違うでしょうし難しいところです・・・。 ただ、朝廷が軽んじられていたこと・・・これは事実でしょう 最後の、井伊が250年の歴史を過信していた。 これは良く頷けるところです。 おそらくそうなのかも知れませんね。 ありがとうございました。 良い感想です。
- poomen
- ベストアンサー率34% (784/2278)
きちんと背景も経過も本質も理解されているということですよね。私は井伊直弼および支持者の狙いは、 ・開国はやむを得ない。しかし幕府の方針として開国したいし、その後のことも幕府中心でことを行いたい ・幕府権力の再強化。「家光時代に帰る」ということですね。・・・外様大名、禁裏、公家・・いずれも中央権力からは遠ざけられていました。それが対外的脅威と共に中央権力に影響力を持つようになった、それを排除したい。 井伊直弼が暗殺されたことは事の本質ではないと思います。 時代・情勢の変化・・特に幕府権力の「権威の失墜が予想以上だった」ということではないかと思います。合わせて「禁裏の権威および影響力の予想以上の復活」もあげられます・・・で、いかがでしょうか それから「安政の大獄」というのは誇大表現ではないかと思っています。確かに死罪も出ていますがそれは当時の国法に沿ったものでしたし、死者の数も当時の他国で起きた政変に比較すればほんとに微々たるものです。 あれが大獄なら戊辰戦争で殺された東北諸藩の人々への行為はなんと表現したらいいのでしょうか・・・「民族浄化」レベルですよね。
お礼
こんにちは。 私の文意を理解していただいた回答です。 ありがとうございます。 仰るとうりなのでしょう。 幕府の統治に過信があったのでしょうか? >禁裏の権威、及び影響力の予想以上の復活・・・ これもまた仰るとうりなのでしょうね! 東北諸藩にも話しが及びました・・・ 「民族浄化」、はて?と思わないでもありません。 ただpoomannさんの言葉は一概に否定も出来ないのです。 ありがとうございました。 とても良い感想を聞かせていただきました。 上滑りでない回答で感心しております。
お礼
こんにちは。 再度の回答ありがとうございます。 んッ?大獄以降の暗殺が必然・・・はて?! 私はそのようなことは言っておりませんが・・・。 私が言ったことは暗殺にも二つあると言うことです。 後世の我々の眼からでも無意味な暗殺は実に多いのです。 反面、必要だったのかな? そう言う暗殺もある・・・それを言いたいと思いました。 別に暗殺を肯定するつもりはありません。 ただ、ときに時代がそれを必要とすることもあります。 暗殺のことをお聞きするつもりはないのですが・・・ ありがとうございました。 参考にさせていただきます。
補足
皆さんどうもありがとうございました。 正解のある質問でもありませんし、 ここいらで締め切らせていただこうと思います。 また、私の質問を見かけることがありましたら、 どうぞまたお付き合いください。 本当にありがとうございました。