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公理の正しさについて

数学カテゴリで質問しようかと思ったのですが、数学的な基礎づけを伺いたいわけではないので、哲学カテゴリにしました。 最近、ある宗教家の方とお話ししていると 「科学は、公理の上に定理を積み重ねることはできても、公理がなぜ正しいのかは証明することはできない。 公理がなぜ正しいのか。それは神様から与えられたものだからである」 とおっしゃっていました。 クーンのパラダイム論に近いことかと思っていると、「時代背景」とかではなく、もっと根源的に、「科学とは神によって担保されている」という意味のようでした。 (1)こういう考え方って、現在の哲学や神学では結構ありふれているのでしょうか? また、歴史上に同じような考え方をしていた思想家はいるでしょうか? 「公理」や「定理」という考え方をしていた哲学者というとスピノザが思い浮かびますが、彼は公理の正しさについては何も言及していなかったと思います。 (2)科学には反証可能性があり、宗教にはそれがない点で、両者は全くの別物だと思います。 しかし、上記の主張を受け入れると、「科学は神に従属している → 科学もまた宗教ではないか」とという結論になる気がします。 もし上記の主張が正しければ、本当にそういう結論になるのでしょうか?

みんなの回答

  • suzukikun
  • ベストアンサー率28% (372/1325)
回答No.1

公理は自明だと思われていることを証明なしに認めましょうと言うことなので紙から与えられたものではないです。たまたまそういう風になっているということだと思います。 特に平行線公理は成り立たなくても(ある一点で交わることもある)幾何学的体系は成り立つ(非ユークリッド幾何学)ようにできるので、べつに公理が絶対というわけでは無く、いくつかの公理を認めて、そのあとの体系が矛盾無く確立できればその体系の「公理」なのです。