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仏様に手を合わせること。
毎日、先祖の仏様に手を合わせてます。 一週間に一度、新しい花を供えています。 お供え物も絶やしたことがありません。 大変、気持ちが落ち着きます。 ここで質問です。 (1)朝が早いので心の中で『行ってきます。』と言います。仕事から帰宅してから夜に線香とロウソクと花の水替え等をします。本当は朝が良いのでしょうが夜でもかまいませんでしょうか? (2)手を合わせて言うのが『家族が健康で無事すごせますように』とか『仕事がうまく行きますように』とか『子供の試験に合格しますように』とかお願い事ばかりです。これって駄目ですか? (3)あなたにとって仏壇に手を合わせることで得ることは? 一つでもいいですからお答えください。
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kibunwa-jo-joさん、こんばんは。 僧侶です。 kibunwa-jo-joさんの疑問は全部「そう思われただけで大変意義のある」ことなんです。 順を追ってお答えしてまいりますね。 (1)朝がお早いとのこと。仏壇にお参りするのは別に朝と決まった訳ではありません。特に時間がないので心の中で手を合わせておられる旨、心のこもっていないお参りは意味がありませんから、時間がある時にお参りされてそれでいいですよ。 私の知っている方で「朝は時間が無いから」と言ってカセットに自分のお経をとなえているのを吹き込んで、それを再生して住ませておられる方がいますが「それはどうかな?」っていつも思っていました。 (2)お参りの時は願い事ばかりしていますとの事でが、そもそも太古の昔から日本人の先祖崇拝の意味や思いは似たようなものでしたから、ある部分しょうが無いかなぁとも思いますが、仏教本来の教えからとなりますと「ちょっと?」にあたります。 お釈迦さまの教えは(仏壇にお参りするのだから仏教ですよね?)生きとし生けるもの全部が幸せになる方法を考える事です。 ですから「自分の家族が云々」「仕事がうまく行く云々」「子供が試験に合格云々」はそのお釈迦さまの教えに照らせれば《全部自己の幸せのみを願ったジコチューの希望》という事で、かなえられるものでもないでしょうね。 では、仏教徒として「どのような思いで仏壇に手を合わせればいいのか?」という事になりますと・・・・。 「自分の家族も含めて生きとし生けるもの総て、みんなが幸せに生きられるよう」「自分の仕事がうまく行く=取り引き関係や関連会社もうまく行く=お客様も満足すると考えて、自分の仕事に関連する取引関係から消費者まで、うまく行きご満足いただけるように」「子供が試験に合格しますように」=これはよく陥ってしまう欲なのですよ。 仏教学者のひろさちや氏がしょっちゅう書いておられますが、今でも原始仏教の残っているスリランカの仏教徒は、絶対こういった類の願いはしないんですってね。 ではどう祈るか?っていいますと、自分の子や孫が「どうか試験の日に体調も悪くならず、自分の実力が出し切れるように」って祈るのだそうです。 実際にスリランカに行かれて「なぜ、そう祈るのか?」って信者さんたちと話されたそうですが、自分の子や孫が合格するという事は、当たり前ですが「必ず誰かが不合格になる」という事。 言い換えればそれは「変わりに誰かを落っことす事を祈っている事になります」ってみんな口をそろえておっしゃったそうです。 「受験だから誰かが受かれば誰かが落ちるのは当たり前」だから、十分実力を発揮出来るように。と祈ってやるのですと。 私がこのお話を聞いたのはずいぶん前ですが、非常に感動した事を覚えています。 と言う事で、これと関連して(3)にまいりますんね・・・。 やはり究極の祈りは「手を合わせて、生きていく上でこれから自分が遭遇する困難に負けずに、打ち勝てる強い心と勇気を私に下さい」「そして、強くたくましく、人間として恥ずかしくない生き方が出来ますように」って祈る事が一番と思います。 以上長文で誠にスミマセンでした。
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- teinen
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(1) うちも朝はバタバタしているので,晩ご飯前に仏飯などを供え,灯明に火を点し,線香を上げてます。 (2) うちの場合,ほとんどお願い事はしてません。本尊唱名(南無釈迦牟陀佛)とか「南無帰依佛,南無帰依法,南無帰依僧」と唱え,○○家先祖代々と親父の戒名を唱えているだけです。後,親父の命日の前に我流のへたくそな般若心経と観音経を読むぐらいです。 お願い事は神棚の方にしています。勝手に仏壇と神棚を使い分けています。 (3) 得るものはな~んにもありません。ただ,仏さんやご先祖さんに手を合わすことによって,感謝する心を育んでいるのです。
お礼
お願い事は神様でしたね。 >感謝する心を育んでいるのです。 十分に得るところがありますね。 ありがとうございました。
- tack009
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(1)の私の思いは、やはり朝行った方が良いと思います。(でも実際を考えると夜になりますよね) 帰宅時間にもよりますが、あまり遅い時間だと、ご先祖様も同じ様による休まれていると思います。 寝る頃になって電気を付けられるといやですよね。 (くれぐれも夜とロウソクとお線香には注意をして下さいね) また、これとは別に、もし余裕があればお食事も差し上げた方が良いと思います。 あなたが召し上がる物、全てを少しづつで良いとも言われています。 その時は、是非「○○家ご先祖の皆様、お食事のご用意ができました、皆様でお召し上がり下さい」と言って下さい。 何も言わなかったり、おじいちゃんとかと言うとその他のご先祖の方が食べられないと聞きました。 またそれは約30分程度でお下げして下さい。 その際も、「お下げします」と断ってからね。 (2)については、是非、感謝の意を込めて「いつもありがとうございます」と言ってみてはいかがでしょうか?
お礼
休みの日は朝夕、手を会わせています。 朝だと時間が無いし線香の火が危ないもので。 >「○○家ご先祖の皆様、お食事のご用意ができました、皆様でお召し上がり下さい」 感謝の気持ちで是非、実行します。 ありがとうございました。
- soratobuusagi
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自分は、先祖というか、おじいちゃんおばあちゃんに感謝の気持ちでお線香をあげています。 気持ちが落ち着くというより、いつも見守っていてくれてありがとうといった気持ちです。お墓にあまりいけないので申し訳ないといった気持ちが大きいです;; こういったことに良いとか悪いとかって難しいと思うんですが、気持ちが届けばいいなぁなんて思っています *^▽^*
お礼
感謝の気持ちで手を合わせないといけませんね。 ありがとうございました。
お礼
仏教学者のひろさちやさんのお話は『うん!なるほど』と思いました。 なんと私は、自己中心的なお願いばかりをしたことか反省しました。 感謝と謙虚な気持ちと大きな心で手を合わせないといけませんね。 急には直らないので少しはお願い事もさせてください(笑) 大変、良い回答をありがとうございました。