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アシモフはいつ有名作家になったのでしょうか
アイザック・アシモフは、いつ有名になったのでしょうか。 SF界では早くから有名だったみたいですけれど、 一般人にもよく知られるようになったのはいつ頃でしょうか。
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一般人の範囲が分からないけど、ずっと昔から有名でしたよ。俺は小学生の頃から知ってるし。(ん十年前だな) 「私はカモメ」 (それはテレシコワ)「我はロボット」だっけ? 整理解雇の4要件・・・じゃない、 ロボットの4原則を制定し、反乱はあったものの現代のロボットは全て批准・遵守しています。 (どこからフィクションでしょう?)
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- ABAsan
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SF作家として有名になったのは1940年年代後半ですね。当時のSFは雑誌が中心でしたが、そこでアシモフはファウンデーション物やロボット物を数多く発表し、ファンからはSF界の第一人者とみなされるようになっています。50年代に刊行されている作品は多くがこの時代に書かれています。 その後、教官を務めていた大学をやめて専業作家になったのは1958年ですが、執筆活動はもっぱら科学解説エッセイに向けられ、むしろSFは激減しています。アシモフが専業作家になってから20年間で発表したSF長編は、映画のシナリオを元に書いたノベライズ『ミクロの決死圏』を除けば『神々自身』ただ1作のみです。 ただし、この科学エッセイの執筆がアシモフを有名にしたと言っていいでしょう。当時はソ連の宇宙開発によって一般人の目が科学に向いていた時代であり、アシモフのユーモラスで大変にわかりやすいエッセイは大変に人気を博し、多くの雑誌に掲載されて広く読まれるようになりました。アシモフの名が大衆に浸透したのはこの時期だったと思います。
SF作家としては、1950~54年にかけての単行本出版あたりからではないでしょうか。 1960年代には、科学解説書などでも名を知られるようになりました。
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回答ありがとうございました。
- aran62
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『ミクロの決死圏』1966年制作のアメリカ映画 これで知られるようになったと思います。
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- princelilac
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フジテレビの「トリビアの泉」という番組で「人間は無用な知識が増えることで快感を覚えることができる唯一の動物である」という言葉が引用されたことで名前が広まったと思います。
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