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夫婦別姓について疑問

国会のほうは、進んでいるのか進んでいないのか、よくわからないのですが、私の疑問として、 夫婦別姓を主張する人たちは、どれほど「姓」に執着しているのか? べつに、苗字なんてどうでもいいし、とくに実害がなければ、「求婚したほうが変える」ぐらいでいいというのが私の持論です。(飲み代を、誘ったほうが出す理屈。) とうぜん、中には「割り勘」の主義もあるだろうと思うし、「やはり男が」という人もあると思います。名前とのつながりで不便な人も(真木真紀さんとか、和泉泉美さんとか、)あるし・・。人それぞれですが。 ただ、「別姓」を主張する意見を見ると「妻が改姓しなくてはいけないのは不合理だ」という声が多く、じゃあ、その夫はどう思っているんだ?という疑問があります。夫のほうが変えてもいいのだけれど、そういうことは出てこない。 苗字なんてどうでもいい、ということが国民的な認識であれば、その中で「別姓」もかまわないのですが、認識がない中で制度だけが先行した場合、たとえば「嫁の山田花子さんは鈴木家の人間じゃあない」ということで、子どもたちがみんな鈴木なのに、妻ひとり山田のまま、ということが制度を逆手にとって行われる可能性があります。 ここの「質問」のなかでも「家」制度に縛られたような質問は多いので、全国的にそういうことは十分考えられます。韓国が別姓なのも、その理屈だったはずです。 「別姓」を主張するほど「進歩的」な人たちの運動によって、結果的に守旧的な「家」制度による「嫁」拘束に手を貸すようなことだと、逆のように思います。 また、最近、少子化で「一人っ子」が増えると、長男長女がどっちの姓にしても「○○家」が消えるから、別姓にして残してほしい、というようなこともあるようです。 「家」制度を守るための別姓なのか?という疑問もあります。

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回答No.10

「個人」と思い切れない(「山田家の太郎さん」が「鈴木太郎」になるのはいやだという・・)人が「別姓」と言っているのではないか?という気もするのですが、どうでしょうか。ということの意見を求められていると思います。 1.「家」としての「姓」にこだわる方もあり. 2.「個人」として「姓」を変えるのはいやだという方  3「姓」が「なくなるのは寂しい,また先祖に申し訳ない. 4.「養子」と思われたくない.--前にも述べましたように「姓」を変えると未だにそう思う人が多い. 5.「男の姓」あるいは「女の姓」合わせたくない方。または,新しく「姓」作りたい方--アメリカでは映画にあるように犯罪者から守るために「姓」を作り変える事もできるのでしょうね.映画だけではないように思います.確かめた事はないですが.です. とさまざまな方がいるので一概に「***にこだわっている」とは思いません.「姓」を選択できるような制度にすべきではないかと思うのです.1つの「姓」にしなければ,国が困るのは,国民を管理,監視する立場上であって、国民にとってはいろいろと選択できるほうが,「結婚にしたら,名前をどちらかにしなければならない」と考えなくてもいいし,「少子化」になっても悩まなくてもいいのではないでしょうか.このような論争もしなくてもいいのではないでしょうか.何事も1しか選択できないのはいい方法でしょうか.他にも解決方法があっても。世の中にはそれぞれ生活環境が違うことが多いのですから,いろんな選択方法が必要だと思います.

nozomi500
質問者

お礼

ありがとうございます。 もともと、「家来」というのは、「家」が単位ですので、その中で「姓」も大事だった、ということは歴史的事実だと思います。 誰の「家来」でもない、「民主主義」の時代であれば、いっそ「姓」がなくてもかまわないようなものです。(「イチロー」とか「aiko」とか・・・。) 住民票はコード番号になっちゃうしなあ・・。 「どうでもいい」人と「大事だ」という人がいて、そのなかで「別姓」のために立場をさらに悪くする人(前のコメントのように)も当然予想されるわけですが、そういう弱者は、「どうでもいい」けれど別姓、という人より、まわりが配慮しなければならないと思うのですが・・・。 まあ、私が思っているだけで、それをどうこうしようというわけではないのですが、 「別姓でないと困る」という人と、「どうでもいいから別姓」という人と、一緒になって「別姓」だというのも、考えてしまうなあ・・・。

その他の回答 (9)

回答No.9

日本の戸籍制度があるのは世界でも少ないほうではないでしょうか.これは奈良時代から続いている制度ですが,その時からも武士とか公家以外の特別な人以外は姓などは明治になるまではありませんでした。なぜか明治になって「家」の制度が強調されてきてのには,武士の「姓」の封建制度の名残と思えてきました.「個人の自由」を憲法で保障されているのに.「姓」は自由にはに決められないということですね.これは国の管理システムの手軽さからではないでしょうか.「姓」については,エジプト、トルコ、インドネシア、などは「姓」がない国がたくさんあります。アメリカでも両姓を会わせた姓もあります.性は自由に選択できるほうがいいと思います.男性の姓に合わせる人,女性の姓に合わせる人、両姓を合わせる人、新しく姓を作る人があってもいいと思います. 「夫婦関係を証明するたの書類」はいまでも夫婦であっても要求されるのですから,なにも変わらないでしょうし,その書類にもその事実が記入されるのですから,何ら変わらないでしょう.むしろ遺産相続にはわかりやすいでしょう。いまでも結婚前に夫婦の財産を 届けておく、夫婦別産制もありますが,ほとんど使われていませんね.国が「別姓制度は面倒だ」では国民のためではないでしょう.手間でも国民が使いやすい制度にするのが、本当の国民のためでしょう.教育に飛びますが, 今叫ばれている「個性」を伸ばす教育も以前は無視されていたのです.国が「画一」の教育を進めた結果も破綻をしています。時代が変わっています.教育を国民にさせなければ,いけない時代,ものがない時代とあちこちから自然と情報が入り.学校以外の知識だけでなくなっている時代、物が余っている時代とは違わなくてはならないと思います.「土地-農地」が主力のときは「家」が中心な考えでしょうけれど,そうでなく、「核家族」「少子化」が問題になれば、「個人」を中心に考えなければ,ならないでしょう.「姓」が永遠に続くなんて生きている間だけと思っています。「表札の件云々」は同じ家族を全員書いている方もおられるので,面倒なことでもないでしょう. 

nozomi500
質問者

お礼

ありがとうございます。 歴史的なことは前にもかきましたが、現実として、いまだに「○○家」とか「○○家の嫁」とかいうことが言われています。 いずれ「個人」になるのなら、そのときに「個人」にしてしまえば、いまから「別姓」制度を作る必要もないように思います。 むしろ「個人」と思い切れない(「山田家の太郎さん」が「鈴木太郎」になるのはいやだという・・)人が「別姓」と言っているのではないか?という気もするのですが、どうでしょうか。

  • meron39
  • ベストアンサー率20% (3/15)
回答No.8

こんにちは。 私は女ですが夫婦別姓には反対です。 なぜあんなにまで、女性が別姓にこだわるのかがわかりません。 女性が差別を受けていると、未だに思っている被害妄想とも 感じられます。だから、男性にできて、女性に出来ないことが あると、何にでも過敏に反応して女性にもさせろと必死になる 姿ってどうかなと思います。(笑) 女性にできて、男性にはできないこともたくさんあると 思うんですけど、男性はそんなことは言わないですよね。 それが、度量の違いではないでしょうか? 夫婦別姓についての反対理由は以下の通りです。 1、別姓になることにとって夫婦関係を証明するために、いちいち書類が必要に なるのでは? 2、時代が進み、皆が夫婦別姓にしたら、何人分の表札が必要になるでしょう。 おばあちゃんは、木下、おじいちゃんは田中、息子は木下、息子の嫁は大野 孫は大野ついでに、孫の嫁は鈴木。 こうなるわけですよね。今夫婦別姓を唱えている人は自分達のことしか考えて ないのでは?じゃあ、その家はいったい誰の家と呼べばいいのでしょう? そして、事故などで警察から連絡が入っても、「木下さんのおたくですか?」 とも言えないし・・・。 一時の手続きをめんどくさがる人達によって、後の世の中はもっとめんどくさ く、複雑になるのですよね。 そのうち、家ごとに番号をつけられたりして。(笑) そうなると、番号で呼ばれるわけですよ、「A-543-231、の木下で す」とかね。(笑) 以上のことが予測されるので、私は絶対反対です。(笑) いかがでしょうか?(笑)

nozomi500
質問者

お礼

ありがとうございます。 私は別に、別姓自体について、いい、あるいは、悪い、とは思わないですが、「面倒」というには「自分が面倒」と「回りが面倒」の両面がありますね。手続きはどうにでもなりますが、電話帳など、個人的なところで、いろんなところにいろんな名前を書いておかないと(「山田」にも「木下」にも・・)いけない。 本人は別に何も問題(同じような人がふえたらともかく)がない、というところですね。 いまの制度で、夫婦どっちの姓にしてもかまわないわけですが、その状況のもとで98%ほどの人が「自動的に」夫の姓にしていること自体をそのままにして、一部の人が「夫の姓に変えるのはいや」(それを非難しないけれど、夫が変えるのを論外にして、じゃあ、別姓、という発想があるのではないか?という疑問)というのは、結局、「姓」にこだわっていることにならないか、と思います。 実際に、別姓にこだわっているのは、男性のほう(夫が変えたらいい、ということ自体を最初から考えられない)だと思います。合理的に考えれば妻の姓、という場合も多いはずですが。 サザエさんちで、マスオさんが「磯野」にすれば、表札も電話も「磯野」一つですむのに、「フグ田サザエ」さんが電話に出ると「はい、磯野でございます」といっているのもおかしいですね。波平さんは明治生まれ(そういう設定だったけれど、そのまま何十年たってしまった)だから、長男のマスオさんに、磯野にしたらどうか、なんていえなかった(「磯野家」には「長男・カツオ君」がいる)のでしょう。 こういうこともあるから、「別姓」がかならずしも面倒という事ではない(同姓でも、表札2つになるんだから)のではありますが。

  • aminouchi
  • ベストアンサー率46% (376/804)
回答No.7

時間がないので、あとで整理して回答しようと思いますが、 >「○○家をまもる」思想というのは、たぶん、少数派だろうと思います。 というのは私の認識と正反対です。私は多数派であると思っています。というか、普段は意識していなくても、結婚などの社会的な関係を結ぶ時に表面に出てきてしまうのだと思っています。結婚とは、日本国憲法では個人と個人の結びつきのはずですが現状でもいまだに家と家との結婚だと勘違いしている人が大部分です。 そうした延長上に「夫婦別姓」問題は位置していると私は認識しています。 またのちほど。

nozomi500
質問者

お礼

たぶん、そうだとおもいます。「家を守る」の重さは人それぞれですね。 べつに何も思わず「夫の姓」にしている人に、妻の姓の「××のほうがかっこよくないか?」(これはシャレです。かだ、まわりに山田や佐藤が多いとややこしいから、適当にめずらしい名前のほうが、私は助かるので)というと、何を言うんだ?という顔をされます。 ただ、たとえば「家」制度からいちばん遠そうな共産党の議員さんでも、たいてい「夫の姓」みたいですから、何も考えずに、「夫の姓」が多いのではないでしょうか?

  • eijiman
  • ベストアンサー率0% (0/2)
回答No.6

この答えだけが全てだとは思いませんが、何割かではあると思うので参考にしてください。 まず、「夫婦別姓」を強く訴える人(特に女性)の根本には女性解放主義(ウーマンリブ的発想)があるように思います。一貫して、「女性だけ・・・なのは不条理だ!」みたいな論調じゃないですか。姓というものに対してどうとらえてるとか、執着があるというより、男性中心社会に対する反発から来てる部分がすごく多いように思えるんです。だから、今社会で主流になってる男性の姓に女性があわせることには反発しても、「どうしても~家を守りたい」とか、そんな人は少ないじゃないですか。僕は、この手の「夫婦別姓」を訴える人からは現実的な理由よりも、そのような反発感のようなものを感じるのです。

nozomi500
質問者

お礼

ありがとうございます。 「○○家をまもる」思想というのは、たぶん、少数派だろうと思います。ほとんどの人たちは「みんなしている」から「夫の姓」にしているのでしょう。 だいたい、男のほうが面倒がりなので、手続きを面倒くさいと思うことになります。 ただ、ここのサイトで「結婚」の質問の中には、「家がどうの」「先祖の墓がどうの」関係の質問もそこそこありますから、気にする人は多いというのも事実です。 ウーマンリブ発想だと、むしろ、「別姓」なんかより、「女性にあわせろ」と言いそうな気もします。

  • schi
  • ベストアンサー率38% (7/18)
回答No.5

 別姓を望む理由は人それぞれとは思いますが。  私の場合でいえば今までずっとA・schiと呼ばれ、それが自分を現す名と認識していたのに結婚たことにより「B・schiさん」と言われても違和感しか感じません。別に自分で選んだ名ではないけれど、長い間使ってきて愛着がありますし、自分は「A・schiである」という認識は変わりませんから。  現在の民法では結婚した場合、夫または妻の姓を名乗ることになっています。ただ現実的には9割以上の夫婦が夫の姓をなのっており、それが当然という風潮もあります。  よく結婚した女性に対して「何さんになったの?」と尋ねますが、あまり「どちらの姓を名乗るの?」と尋ねません。逆に結婚した男性に対しては姓がどうなったが尋ねることすらしてませんよね。少なくとも私の経験上はそうです。それに現実として自分が姓を変えるなんて全く考えてもいない男性も多いのです。「夫婦は同姓にすべき。でも自分が変わるのは絶対に嫌だ」という男性だっています。多くの場合、夫婦別姓は妻にとって切実な要求だというのが現実なのです。  私は自分が姓を変えたくないから、相手が望まない限り相手の姓も尊重したいと思います。だから別姓なのです。個人的には事実婚が一番いいと思っているのですが、周りの状況を考えると難しいので。  それから今なお根強く残る「家制度」制度への疑問です。私の感覚ではozomi500さんとは逆に、夫の姓を選ぶ夫婦同姓に固執する人ほど、「家意識」強いように思うのですがどうでしょう。Aという姓を持つ人と結婚することにより「A家の嫁」となるみたいな。  あと別姓夫婦の子どもが必ずしも夫の姓を名乗るわけではないと思います。子どもが妻の姓を名乗ってもいいわけですから、夫だけが姓が違うこともあるでしょうし、もし家族に同一の姓を求めるなら夫婦同姓にすればいいわけですから。  いずれにしても日本の社会全体が早く悪しき「家意識」から脱却してほしいと思ってます。      

nozomi500
質問者

お礼

ありがとうございます。 おっしゃる通り、「夫の姓」の人のほうが、「家」意識は強いと思います。 「妻の姓」にする人のほうが、「率」としては、「家」意識が強いだろうと思います。(私みたいに、「みんなが夫の姓にするなら妻の姓」などと考えるヘソマガリは少数派で、)「1人娘・長女だから」という人が割合としては多数派でしょうから。 圧倒的多数は、何も考えずに、みんながするから「夫の姓」という人々。 私は、別に、名前がかわることに抵抗はない(中村錦之助が萬屋になったり、桂小五郎が木戸になったり、長尾景虎が上杉になったり=これは養子縁組だった、の延長)のですが(そんなに由緒ある姓でもない?)、そのへんの価値観まで人に押し付ける気はありません。 ただ、現在の状況下では、「別姓」制度が「家制度」のために「悪用」されて困る人々(かなりの弱者といえるでしょう)も生まれると思います。そんな心配はないよ、といえるほど、この国は甘くありません。そうであれば、「どっちでもいい」はずの姓が98%「夫」になっているはずがない。 そこまで考えて、天秤にかけたうえで、「別姓」が必要かどうか、が疑問なのですが。 手続きがめんどうだから変えない、という人には、足を引っ張るような意見で申し訳ないのですが。比率として、「面倒派」と「愛着派」は(かぶっているのもいれて)どちらが主流なのでしょうね。

  • aminouchi
  • ベストアンサー率46% (376/804)
回答No.4

質問を読ませていただきましてnozomi500さんの思考方向が逆なのではないかと 感じまして、答えを書かせていただきます。 「家」観念につながるような姓にこだわっていないからこそ、夫婦別姓を主張す るのです。それは同時に個人のアイデンティティを示すものとしての自分の姓に こだわることでもあります。 日本国憲法では「家」という制度はなくなったはずですが、残念ながら今もまだ 家意識は残っています。それはnozomi500さんのおっしゃる通りだと思います。 夫婦別姓ということの目標の一つは、こうした不合理ともいうべき「家」制度の 払拭にあります。農業社会においては、その生産手段である農地を維持するため には一括して相続することが望ましく(土地の細分化がおこらない)、その手段 として「家」制度がありました。これは武士の家禄についても同じことです。そ して姓というのは個人を識別する記号であるとともに、家を象徴するものでもあ ります。しかし、現代日本においては、そのような形での家を維持する必要はほ とんどないと思われます。また「名字なんてどうでも良い」もののはずですが、 そうは思えない人のほうが多いことも事実ではないでしょうか。 ここで夫婦別性を取り入れると、結婚は対等な男女が新しい家庭を作るものとい うことがよりはっきりしてくると思います。また、nozomi500さんの考えの中に あつたかどうか判りませんが、結婚により姓が変わらないということは離婚によ っても姓が変わらないということでもあります。これだけ、離婚が多くなり、ご く当たり前のこととなっても、まだとやかく言う人もおりますし、姓が変わるこ とでそれを明示しなければなりません。もちろん現行制度においても離婚後も婚 姻時の姓を続けて使用できますが、別れた相手の姓を使い続けることに抵抗を感 じる人も多いのではないでしょうか。男性の場合も同様で結婚に際して相手の姓 を名乗れば、「養子に行ったのか」などと余計な詮索を受けやすくなりますね。 これも「家」という制度の悪影響のひとつでしょう。 また、もう一つ実務的な理由として、姓を変えること自体は簡単でもそれに付随 する手続きというか、届けというかそのようなものが想像を絶するほどたくさん あって非常に面倒でもあります。 例えば、まず役所に姓がかわったことを届けます。すると、住民票、印鑑登録を 変更しなければなりません。勤めているなら、勤務先に届けを出さなければなり ませんし、銀行などの預金も名義変更が必要です。健康保険や年金などの手続き は勤務先でやってくれるかもしれませんが、国民健保などですと自分で手続きが 必要ですね。車のように自分が所有しているものについても届けが必要なものは あります。もちろん、免許証の書き換えも必要です。転居をすれば確実に必要だ し、そうでなくても郵便局にも届けを出すほうがよいでしよう。また、私は雑誌 などを出版社から直接購読していますが、それについても届けが必要です(代金 引き落としのための口座名義が変わるため)。クレジットカードもそうですね。 今、思いつくままに書いてきましたが、現実の場面だと、さらに思いもしないと ころに名義変更が必要になるはずです。 今までは、結婚するとたいてい女性が姓を変え、それに伴う面倒も女性が負担し てきました。もちろん、下のyasupeeさんのように、一部、旧姓のままで過ごす ことも可能ですが、それにしても最小限の変更はしなくてはなりません。 姓の変更とは、「家の嫁」とか「嫁を取る」とか「我が家の家風に従ってもらう」とかと同根の「家」観念が原因であって、我が家のものになったのだから姓も我 が家のものにしてもらう、という発想です。人間を個人として見ていないからで きる発想だと私は思います。姓を含めた名前というものは個人のアイデンティティ を支える重要な柱の一つであると思います。それを強制的に変えさせることは、 個人の圧殺でもあります。 最後になりますが、わたしの夫婦別姓制度に関する意見は、「夫婦別性も選べる ようにすべきだ」ということになります。結婚することによって同姓になること を選びたい人の自由までは奪いたくありません。ただ、別性を望む人にはその権 利を認めてあげるべきだと考えています。あるいは夫婦のどちらの姓とも異なる 新しい姓の創設も許すべきかもしれません。

nozomi500
質問者

お礼

「選択」については、そのとおりにちがいありません。 ただ、私が心配するのは、古い因習のもとで「嫁」を差別する手段に悪用されることです。こんな民主主義の時代でさえ、現実として「フィリピン花嫁」が「跡取をうむための道具」のような扱いをされる現実があります。 同姓になることを望む人の権利を、「選択」ということで誰か守ってくれる保障がないのです。 日本も広いから、いろいろの人がいると思うのですが、より「弱者」なのは、そういう人たちのように思います。 単に、事務手続きが面倒だから、かえなくていいように、ということであれば、それはそれで納得できるのですが、「別姓」を男女差別の解消の手段のようにいうようなのは、現在の日本の状況では、逆の方向の問題を生むのではないか?という疑問です。それも考慮の上で、トータルで、「別姓」があるべきだということでしょうか。 私個人としては、「妻の姓」にする人が3割もいれば、「別姓」もとうぜんすんなりいけると思いますが。

回答No.3

日本が婚姻したら、どちらが姓にすべしと法律で決めていますが、昔の慣習が未だ残っており.「家」と「姓」にこだわるかたが多いのです.その事例として、いままで、.男が姓を変えると入り婿、養子などといわれたりしているのです。その考えがある限り、なかなか男が名前を変えることをしないと思います.法律的には、両性のの合意で、姓を決めるのですが.そのようには現実にはなっていないようにも感じます.別姓を主張するから、進歩的でもないように思います.nozomi500さんがおっしゃるように「苗字なんてどうでもいいし、とくに実害がなければ」とのことであれば、私はもっと姓の選択権ががあってもいいのではないでしょうか.日本には姓がなくて、名前だけの時代もあったのです。「田中」と「中田」が婚姻して、どちらかが「田中」の姓にしても、「中田」の姓にしても、両方まとめて「田中中田」 の姓にしてもいいのではないでしょうか.自分の姓がなくなるとも寂しい気持ちになるときがあるのが普通の方ではないでしょうか.nozomi500さんのお年がいくつかは存じませんが.いまそのような60才以上のお年であれば、それが気になることもあると思います. 私も悩むこともありましたが、地球がなくなれば、そんななこと「姓」なんかこだわることはないと思いました.なかなか簡単にはいかないのですよ.別姓であれば、そのような問題が片付きますが、役所は困るでしょうか。しかし、韓国、中国、ウイグル、なども別姓ですから、できないことはないはずです. 別姓を早く認めるべきと思いますよ.それによって、少しは事務作業が増えることで、経済にもよい影響を与えるかもしれませんね.

nozomi500
質問者

お礼

ありがとうございます。 韓国などの別姓は「家制度」のうえに「家父長」があって、「嫁」は単なる子どもを産む道具、という前提の上にあるのだと思います。 両方の姓を合体させる、というのは、福沢諭吉の論でしたか、どこかで見たことがあります。合体させても、手続きが面倒なのは同じ(二人とも手続きすれば、作業はトータルで倍になります)ですね。 苗字がないのは、「家来」でない人たち。(天皇家はその「上」がないので苗字がない)誰の「家来」でない、民主主義の時代なら、たしかに、姓は不要です。 これから結婚するような人たち、さらに、その親でさえ、そんなことを気にしなければいけない世代でないはずですが・・。(ちなみに、私は40代ですが)

  • yasupee
  • ベストアンサー率30% (20/66)
回答No.2

私は今でも旧姓をよく使っています。 結婚のときにも自分の苗字は変えたくないと思いました。なぜなら面倒だからです。 いままで生活してきた上でのすべての書類など、全部手続きするのははっきりいって大変です。 だから病院などの公的機関などを利用する際は戸籍上の名前を使いますが、 普段必要ないときは旧姓を使っています。(郵便物もきちんと届くし。子供のいない今は特に不便はないです。) おまけに高校時代から旧姓(苗字)で誰からも呼ばれていた私にとっては、 旧姓がやっぱり自分の名前なのです。 本来ならどちらの苗字を名乗ってもいいのに、夫側の姓をとるのが多いのは 事実です。やっぱり日本では、結婚を家と家のつながりとして今だに考える人が多いということですよね。 仕事を持って、ある程度財産を持っている女性は結婚制度に魅力がないことを感じるのは当然だと思います。 日本は結婚とそうでない場合(同棲)をやたら区別したがります。 そのために、結婚をした方が色々と都合がよく、簡単な場合がよくあります。 今の日本では結婚から生まれる色々な制度的な差別を無くしていかない事には、夫婦別姓すら実施するのは無理な状況ではありますよね。

nozomi500
質問者

お礼

めんどうだから、姓を変えない、というのは確かにそうです。 手続き自体は、もっと簡素化できるとは思うのですが(ITというのは、そういうことでしょう)、きっと、意識のほうが変わらないでしょうね。 意識が変わらないのに制度を変えて、便利になる人は確かに便利だけれど、新たに困る人が出てきたらどうする?というのが、私の疑問です。 以前、MMR(新3種混合ワクチン)というのがありましたが、副作用が問題になって禁止になりました。確率をいえば、自然に感染するより、体調のいいときに予防接種で感染したほうが健康的に違いないのだけれど、わざわざ予防接種で感染したために死んだらどうするんだ、ということで禁止されたのでしょう。 同じように、わざわざつくった制度によって、100人が便利になっても、新たに1人が人権侵害になるようなことでは困るのですが・・。

  • shibako74
  • ベストアンサー率18% (163/876)
回答No.1

質問があいまいですが、「人が姓に執着している理由」について聞かれてるんですよね? nozomi500さんが推測する通り、理由はそれぞれだと思いますが、姓の変更に伴う各種手続き(免許も変えたりするんですよね?)とかプラクティカルな理由で変えたくない人もいれば、自分に与えられてん十年と使ってきた姓を変えるのが嫌、旧姓=その家の人間ではなくなる、ということに抵抗がある人、またフェミニストというのでしょうか?男性側に当然ある姓の維持という権利を持ちたい、という考えの人もいるのでは? 不穏なウワサは誰も立てられたくないと思うので、きけば姓を残したまま結婚されている女性は自分から姓を変えない理由を述べると思います。 ちなみに私、婚約者の姓が本当によくある名前で気に入らないのであまり変えたくないです。しかしその名前でも運はいい、と占い師さんに言われ、ま、いーかなって思い始めています。

nozomi500
質問者

お礼

あいまいな質問ですみません。 姓に執着する人はそれでかまわないのですが、「別姓」を言うほどの人がなぜ、姓を気にするのか?というのが疑問です。 「男性側に当然ある姓の維持という権利」などという発想が、「進歩的な」人たちと相容れないように思います。 なんか、「男性が姓をかえない」のを当然とした上で、「女性が変えたくないなら別姓」という選択肢、という発想のように思うのです。

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