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最澄と空海

最澄(比叡山) 空海 (高野山) どちらが優れているのでしょうか? 空海(理趣経)のモテぶりのに聞きたかった最澄 しかし「理趣釈経」最澄に渡るのを恐れた密教禁断の経典とは

みんなの回答

  • ks5518
  • ベストアンサー率27% (469/1678)
回答No.3

創価学会 壮年部の者です。 >最澄と空海 どちらが優れているのでしょうか? 最澄と空海 人を比べるのではなくて、法を比べた場合には、断然最澄です。日本天台宗は最澄によって築かれましたが、その根底に置かれたものは、法華経です。仏法は、釈尊自らが法華第一を示しており、他の経典は迹門でしかありません。よって、最澄を上と考えます。 また、日本天台宗は、最澄滅後、大三代慈覚が空海の真言密教を取り入れてしまい、以降、天台宗は邪法を行なっているにすぎません。最澄の確立した純粋な業は今の日本天台宗には無いと言う事です。

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.2

最澄(比叡山) 空海 (高野山) どちらが優れているのでしょうか? ○ 空海ですね。空海という呼び名は自身で付けたものですが、室戸岬の御厨人窟で霊体験をし、それ以後(不空三蔵(指導霊:真言密教第4祖)の導きで中国に渡り、真言密教第7祖の惠果阿闍梨から正式に第8祖を継いでいます。空海の真言は、単に当時の学生が仏典を持ち帰ったというものではなく霊知識に基づく正式な真言密教の引き継ぎですね。事実、中国では惠果阿闍梨以降真言密教の継承者がなく廃れていますね。 一方、最澄は天台宗に学んだ単なる優秀な学生ですね。経典を持ち帰り日本天台宗の祖となりましたが、不立文字という悟りは一切なかったお方ですね。さらに、付け加えれば持ち帰った経典の真の内容や意味もさっぱりわからなかったのでしょうね。事実、最澄以後最澄が持ち帰った経典のお題目だけをもとにした宗派がたくさん出来て今日に至ってますね。これは最澄自身がさっぱりわからなかったという証明ですね。 というのが空海と最澄の差ですね。仏教の悟りという意味では、月とすっぽんの差ですね。両者が同格に扱われるようでは仏教も廃れるわけです。 空海は仏道修行者、最澄は学者と捉えれば、「理趣釈経」についてはNo.1 kanto-i さんの回答どおりだと思います。

  • kanto-i
  • ベストアンサー率30% (180/596)
回答No.1

最澄は空海が優れていると認めたので、空海から灌頂を受けたのでしょう。 最澄は理趣経の本質が理解できないだろうと思われたので、空海は貸し出さなかった。 経典に本質は書かれていない。 経典に書かれているものから本質を見出さなければ意味がないから。 理趣経に書かれているのは、どんなことからでも悟りは得られると言うこと。 それは、相手のことを思い敬い気遣い慈しみを持つこと。 それをお互いに分かち合うことで、本質を感じ取る。 つまり、本質とは本人が自分の感覚を通してのみ理解できる。 最澄は、経典を頭で理解しようとするタイプ(形に囚われやすい)で 空海は、実践を通してそれぞれが自分の感覚で本質を理解することを推し進めるタイプ。 頭で理解して実践無くば、何も変えることはできず 実践を通して本質を理解すれば、実践し続けることの重要性をそれぞれが理解できる。 その裏付けになるのは、最澄が自分の弟子を空海に預け学ばせたら 最澄がいくら呼び戻しても帰ってこなかったという事実から。 どちらで学ぶことが、自分が救われ人を救えるようになるか。 それを体験すれば、自分にとって必要だと思う方を誰しも選択するでしょう。 坊主は実践の本質を捉えたら、理趣経を実践する必要はない。 それを一般の人が自分で体験して理解できればそれでいいのだから。 理趣経は、形に囚われる人ほど意味をなさい経典となります。 誰彼にと貸し出さなかったのは、空海の配慮でしょうね。

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