最澄(比叡山)
空海 (高野山)
どちらが優れているのでしょうか?
○ 空海ですね。空海という呼び名は自身で付けたものですが、室戸岬の御厨人窟で霊体験をし、それ以後(不空三蔵(指導霊:真言密教第4祖)の導きで中国に渡り、真言密教第7祖の惠果阿闍梨から正式に第8祖を継いでいます。空海の真言は、単に当時の学生が仏典を持ち帰ったというものではなく霊知識に基づく正式な真言密教の引き継ぎですね。事実、中国では惠果阿闍梨以降真言密教の継承者がなく廃れていますね。
一方、最澄は天台宗に学んだ単なる優秀な学生ですね。経典を持ち帰り日本天台宗の祖となりましたが、不立文字という悟りは一切なかったお方ですね。さらに、付け加えれば持ち帰った経典の真の内容や意味もさっぱりわからなかったのでしょうね。事実、最澄以後最澄が持ち帰った経典のお題目だけをもとにした宗派がたくさん出来て今日に至ってますね。これは最澄自身がさっぱりわからなかったという証明ですね。
というのが空海と最澄の差ですね。仏教の悟りという意味では、月とすっぽんの差ですね。両者が同格に扱われるようでは仏教も廃れるわけです。
空海は仏道修行者、最澄は学者と捉えれば、「理趣釈経」についてはNo.1 kanto-i さんの回答どおりだと思います。