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ひとは 分かりあえないか?

 1. ひとは 分かりあえないか?  2. なぜか?  3. たとえばひとは孤独である。生涯 《ひとり》である。ただしこの孤独は 社会にあって 《孤独関係》である。  4. 分かり合えないなら 分かり合えないと互いに分かり合う。のではないか?  5. 《関係の絶対性》が あなたの目の前に見えているのではないだろうか?  コミュニケーションについてです。  どんなご見解でも自由にお寄せください。問い求めてまいります。

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回答No.8

こんばんわ、ぶらじゅろんぬさん。 例によって例の如く しゃべりっぱなしで消えちまうかもですが、 とりあえずしゃべりますわ。 お恥ずかしながら、数ヶ月前、 ダンナとケンカしたときに思ったこと(?)、 そのまんましゃべりますわ。 ___________ ケンカは疲れるわ。 腕力なしでも疲れるわ。 人の数だけ人の主観がある のだから、どうしても ケンカ(戦争)は勃発する。 けど、何事もなかったように 平和なフリをする、なんて、 ケンカが無駄になるやんか。 ___________ 正直な話、おいらはときどき、 こう思っちまう。 いいなあ男の人は。 好きなだけ仕事ができて。 子ども作るだけ作っといて。 ぢゃ、オレ金銭運搬係、 あとは任した、 で許されるんだから。 あ、今、 「何も分かってないくせに・・・。」 とかつぶやいた男の人います? 「何も分かってないくせに・・・。」の 続きを話そうとした人います? 話して分かるとは限らんけど、 分かってもらおうと思うなら しゃべればええやんか。 あ、今 「しゃべっても仕方ないもん・・・。」 とかつぶやいた人います? 「どうせ聴いてねえし・・・。」 とかつぶやいた人います? しゃべったことあります? ある、として、 聴いてもらえなかったのは 何回?100回ぐらいかい? ぢゃ、101回目は、しないのかい? それからさ。 「何も分かってないくせに・・・。」 とかつぶやいた人は、 ぢゃ、相手の気持ちは分かるのか? 「どうせ聴いてねえし・・・。」 とかつぶやいた人は、 ぢゃ、相手の話を聴いてるのか? 分からんのはお互い様やんか。 よほど聴いてよほど話さん限り。 ああカタツムリの歩み。 PS.  分かり合えなくても、 相手を分かり切らなくても、 人がそれぞれ 自分の人生を生きていれば 共生できるんぢゃないかな、 とも思います。でわ。                                                                                                                                                                                                                       

bragelonne
質問者

お礼

 あぁ おもしろい。おかしみもある面白さでした わたしには。  にゅうとらるさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。  いやぁ でもたいへんですね。つまり 社会の中での一般的な共生のほかに家族としての共存がありますか。そしてこれは たぶん独特なものであるようです。それぞれの家庭においてそれぞれになのでしょうね。  感想だけで次に移ってしまいますが:  なるほど。  ★ 相手を分かり切らなくても、  ☆ ですか。これは ふとわたしなりに解釈すると 想定外のご見解ですね。《分かり合っていない一部分》を残しておいてよいのだと。  たぶん  ★ ~~~~~  分かり合えなくても、  相手を分かり切らなくても、  人がそれぞれ  自分の人生を生きていれば  共生できるんぢゃないかな、  とも思います。  ~~~~~~~~  ☆ たぶんこの場合には 《分かり合えない》状態を覆いつつむ自己のあり方においてあゆむ。というようなことでしょうから 上の場合とは違うと思うからです。  そして今度は こちらのほうが さらに高級であるようにも思われます。上級者の段階であるように思われます。  ううーん。そうですか。  なにかそこはかとなくただようものがあれば 共生できる。といったような志向性でしょうか?  言いかえると そのこころざしが  ★ ああカタツムリの歩み。  ☆ を包んでいるというところでしょうか。  こう来ましたか。  《ひとり・主観・その境地・自立あるいは さとり》ですね。    これは まいったということかも知れませんね。  どうですかね。   ケンカが勃発して 疲れるだけで済めばよいでしょうけれど 戦争(けんか)が修復し得ない傷跡を残した場合には 前もって日頃からコミュニケーションを図るということも大切だと思えて来ますし。  中級と上級がある。ということに いまは 見ておくことにします。勝手ながら。

その他の回答 (12)

回答No.13

我が身が野晒しにされた光景を人は想像したことがあるだろうか?慌ただしく日常生活を営んでいる人が我が身が野晒しにされる光景など思いもつかないだろうし、想像することもないだろう。きっと。ならば、これならどうだろう。朝の通勤電車、ホームに人が溢れかえっている。そこへ電車が入って来る。ドアが開く。中から人がどどっ出てくる。どどっとホームに降り立った人の群れ。脇目をふることなく駅の階段を上へ上へと向かってく。それと入れ違がいに、ホームに並ぶ人の群れ。どどっと電車の中へなだれ込む。その時、階段を急ぎかけ降りる一人の人。あと一歩。あと一歩のところで。「定員オーバー」と言わんがごとく電車のドアが「ピシャリ!」と、閉じる。電車はゆっくりと動き出す。動く電車の窓にホームに呆然と立ち尽くす一人の人の姿が映る。さて、このときどんな思いを抱くだろうか? 斎場の受付。今日はここまで。「…えっ?…そんな…ど、どうすれば…」「今日のところはお引き取りを、また日をあらためて」「いつ、いつになったら…」「只今、お待ちの方がたくさんおられますので。受付をすまされましてもしばらくお日にちをいただくかと」 荼毘に付されることなく、時間だけがいたずらに過ぎていく。これを「野晒し」と呼ばずして何と呼ぶ? いつまで待てばいいのですか? 火葬場建設なぜ進まない?

bragelonne
質問者

お礼

 自分から  ★ 我が身が野晒しに  ☆ なった状態にしたということです。語りかける相手ではありませんと言って みづから落ちて行ったということです。

noname#182794
noname#182794
回答No.12

さっそくの御返事をありがとうございます。 関係の対称性について、説明させていただきます。 ひとは皆、いのちを持っている。しかもそれは、ひとの中身そのものであり、普遍であり、原点であります。その共通の原点から始まり、それぞれの限りある人生を生きていくわけですから、その形は点対称になるであろうと考えたしだいです。 その他は、質問者様が分析された通りですし、私としては、質問者と回答者という形で、対称性をもって分かり合えたと思います。(分かり合えないということが分かる) 急ですが、これにて退散いたします。おあとがよろしいようです。

bragelonne
質問者

お礼

 つづいてです。ご回答をありがとうございます。  《いのち》が原点であって・・・そうですね 一人ひとりは 座標のどの象限に向かって伸びるかはそれぞれである。まぁ だいたい同じような軌跡を描く。ゆえに原点を中心として 点対称を成すようなものだ。――くらいでしょうかね。  けっこう――という言い方は変ですが―― むつかしいですね。  また考えてみるかも分かりません。  あらためてありがとうござました。それでは 今回はこれにて こちらも失礼することとします。

noname#182794
noname#182794
回答No.11

謹賀新年 私は森に住み、学術からは遠ざかっている者です。 ひとは 分かり合っています。ひとの中身は、いのちだけであること、ただそれだけであることを経験から知りえます。 なぜ、分かり合えないと感じるのか?それは、ひとそれぞれの目的が違うからです。しかし、目的とか、価値観とか、そんなものは、ひとの中身ではありません。中身は、いのちです。 純粋な孤独は主観においてのみ得られるものです。社会において孤独を感じることは、自分をイジメていることにほかなりません。社会はシステムではなく、コミュニティーだからです。ハイデガー流に言うと、コミュニティーでは、非のある自分へと、自らを放り出す。 いわゆる理性的な主観を捨て、コミュニティーにふさわしい自分へとかわるのです。 分かり合えないから分かり合えない、と、分かり合う。その通りですね。 目的、価値観、は、ひとの表面で起きる化学反応にすぎないし、さらに後付されたものですから、分かりようがないのです。痛そうに見えなくても、本人は痛いのと同じことです。 関係の絶対性から導き出されるのは、ひとの中身が、すべからく、いのちであるということから、関係の対称性が見えてきます。同じ、いのちであるから腹も立つ。これが私の主観です。 ここまでくると、いちばん残酷なのは「無関心」であるということになりますでしょうか。 とても良い質問をされたことと、新春のお慶びを申し上げます。

bragelonne
質問者

お礼

 あたらしい年が明けました。そのよろこびのご挨拶をわたしからも申し上げます。  あーる40くろさん 初めまして。ご回答をありがとうございます。  そうですね。《いのち》の問題からさらにいろんな主題を交えてのご見解の表明になっていましょうか。  それぞれの主題についていま少し展開してもらえたらなぁとは率直に思います。むつかしいですね。  ★ 関係の絶対性から導き出されるのは、ひとの中身が、すべからく、いのちである  ★ ひとは 分かり合っています。ひとの中身は、いのちだけであること、ただそれだけであることを経験から知りえます。  ☆ この基本の命題から入るということでしょうか。  そうですね。     1. 存在は いのちなり。   2. 存在の社会的な独立性と同時に社会的な関係性が ひとには ある。   3. その関係性も いのちである。   4. 《いのち》の共有 これが 人びとのマジワリ以前におけるカカワリである。   5. カカワリにおいて ひとは互いに分かり合えている。はずだ。   6. マジワリ ここにおいては ひとそれぞれに具体的な細かい関心や目的や利害があるので 必ずしも分かり合えるとは限らない。また 分かり合えなければならないということでもないであろう。   7. マジワリにおいて孤独を感じることは もともと ない。はずだ。わざわざ基本的ないのちにもとづくカカワリを離れて マジワリにおける個々の問題の中に沈潜して孤独を感じる必要はない。   ★ 目的、価値観、は、ひとの表面で起きる化学反応にすぎないし、さらに後付されたものですから、分かりようがないのです。痛そうに見えなくても、本人は痛いのと同じことです。   8. そうですね。個々の主題をめぐる対話においても 個別的に《分かり合えないことについては 分かり合えないと分かり合っておくこと》 これをいま一度主張して確認したい気持ちはあります。そのほうが はっきりすると思いますから。    9. ★ ~~~~~  関係の絶対性から導き出されるのは、ひとの中身が、すべからく、いのちであるということから、関係の対称性が見えてきます。同じ、いのちであるから腹も立つ。これが私の主観です。  ~~~~~~~~~~~  ☆ この《関係の対称性》について 分かりづらいようには思いました。互いに独立した主体性を持つといったことでしょうか?   10. ★ ここまでくると、いちばん残酷なのは「無関心」であるということになりますでしょうか。  ☆ 個々の対話で分かり合えないわ 基本的なカカワリとしての《いのち》の共有としても分かり合えないわでは いわばニヒルな《無関心》になりがちである。これは 《いちばん残酷》である。でしょうか。  ふうーう。でも ありがとうございました。

回答No.10

 今回のbragelonneさんとの対話で、ある程度分かり合えたと思います。  相手の考えを理解した、と言う意味で。  でも受け入れられない、まだ言いたいこともある、と言う段階。    ここでの質問での“分かり合える”は意を同じにする、という事だと思いますが、意は違っていても相手の考えを理解し、尊重することは理性のある人間には可能なので、この意味においてbragelonneさんとは分かり合えた、と思いたい。  同意とはならなくても“分かり合える”ケースもあるかと思います。

bragelonne
質問者

お礼

 ええ。分かち合えています。あとは さらに具体的に互いに相手の見解をも自分の中で消化して行けばよいのだと思います。一歩一歩だと思います。  わいわいえいとさん ご回答をありがとうございます。  つまりは  ☆☆(趣旨説明欄) 4. 分かり合えないなら 分かり合えないと互いに分かり合う。のではないか?  ☆ という状態よりももっと前向きの対話の過程にあり そのひとつの里程標を刻んだところだと思います。  ★ まだ言いたいこともある  ☆ をどしどしお聞きしてまいりたいとも思っています。そのために 〔必ずしもそうは思っていませんが〕道化師の役をも引き受けてやって来ています。  ★ 同意とはならなくても“分かり合える”ケースもあるかと思います。  ☆ これには あらためて目を開かれたかも知れません。  というのも たぶん(おそらく・いや 十中八九)わたしは気が早いのです。(決して短いとは自分では思わないのですが 長いと思うのですが 誰よりも早い。と思っています。一瞬で湯を沸かしますから)。  いづれにしましても まだまだゴータマ・ブッダの悪口はしゃべって行かなくてはならないように思いました。

回答No.9

こんばんわ、ぶらじゅろーぬさん。 ご返事ありがとう。 またまたしゃべりっぱなしになるかもですが しかもタテホコになるかもですが、 とりあえずしゃべりますわ。 >《分かり合っていない一部分》を残しておいてよいのだと。 :あ、はい、そもそも 分かるか分からないかも分かりません。 なぜなら他人は自分ではないからです。 再びこの言葉を出しますが、 「宇宙のみなしご」である人間、と人間、 の、あいだに、謎がなくなる、 つまりピタっと感性が一致する、 ということはあり得ないと思うからです。 それですから、 分からないことは、分からないこととして、 「保留」したままにしておかないと、 「次の生活」ができないことがある、 と思うのです。   ___________ >前もって日頃からコミュニケーションを図るということも大切 :あ、はい、ここが上のとはタテホコなんですが、 どれだけ(いつなら)押していいのか、 どれだけ(いつなら)聴いてもらえそうか、 どれだけ流していいのか、 どれだけ逃げていいのか、 押したり聴いたり流したりした結果、 どれだけお互いうまくいくのか、 というのが分かるためには、 日ごろから、 相手をそこそこ分かっている必要がありそうです。 ___________ 以下、またまたお恥ずかしながら、 ケンカの後なんかに思うことを、 そのまんましゃべります。 ___________ まづ、 「自己チューになろうぜ~!」。 あ、自己チューって言葉、嫌い? 自己チューは「悪いこと」だと思う? ああそう、 それなら言葉を変えますわ、 「自分大好き人間になろうぜ」。 だって「自分大好き人間」 ぢゃないと、 自分を大切にできないし、 自分を大切にできないと、 自分を磨こうとも思えないし、 自分の「意見(知識ではありません)」 を持つこともできないし、 それを発信することもできないし、 「他の自己」つまり 「他人」を大切に思い、 尊重することもできないし、 「他の自己」つまり 「他人」の「意見」を 聴くこともできません。 おいらは 「夢があれば何でも叶う」 とは思わないけれど、 自分を大切に思う、からこそ、 自分にとっての、最高の自分、 になろうとすることが できるんぢゃないかな、 と思います。 他人と比べてどうの、 ぢゃなくて、 自分にとっての、 最高の自分、です。 人それぞれ違うと思います。 繰り返すけれど、 自分を大切にできて初めて、 「他の自分」つまり「他人」 を大切に思うことができる、 のぢゃないかな。 「本当の自己チュー」 が分かって初めて 「他人の自己チュー」 も分かろうとする ことができるんぢゃないかな。 もう一度言いますわ、 自己チューになろうぜ。 ___________ 取るに足りない者であるのに 自分は相当な者である と考える人がいるなら、 その人は自分の思いを 欺いているのです。 むしろ各人は 自分の業がどんなものかを 吟味すべきです。 そうすれば、 他の人と比べてではなく、 ただ自分自身に関して 歓喜する理由を持つ ことになるでしょう。 人はおのおの 自分の荷を負うのです。 (中略) 何であれ、 人は自分のまいているもの、 それをまた 刈り取ることになるのです。 (ガラテヤ人への手紙6章) しゃべりっぱなしになるかもですが、 でわでわ。                                                                     

bragelonne
質問者

お礼

 こんばんは。この質問での二度目のご投稿です。ご回答をありがとうございます。   ☆☆ ひとは 分かり合えないか  この問い方は よくなかったですね。いまさらですが。  舌足らずでした。  つまり 一般に 人間どうしが分かり合えるか? とか 他者を理解しうるか? といった主題にもなっていると今頃気がつきました。  そうではなくて これは 対話においてという前提があります。言いかえると むしろ意見や考え方が互いに――違っていても――理解できるか? というところから出発しようということでした。  でも考えようによっては けっきょくにおいて《人と人とが理解し合えるか》の問題になると言えばなる。もののようです。  さて そういう初めの意図からすれば  ★ ~~~~~   >《分かり合っていない一部分》を残しておいてよいのだと。  :あ、はい、そもそも  分かるか分からないかも分かりません。  なぜなら他人は自分ではないからです。  ・・・・  ~~~~~~~~  ☆ というのは すでに人間の全体についての相互理解を問うたときの答えであるようです。  つまり こういうことでしょう。   ○ 他者を理解したと思ったら それは 他者の内なるおのれの性格や考えのことだ。つまり 自己理解の範囲で他者について理解したに過ぎない。  といった命題をめぐる主題であるようです。  次の日頃の――または 対話の内容についてよりも対話を絶やさないというその姿勢としての――実践が重要だという点では 一致したようです。  ★ ~~~~~   >前もって日頃からコミュニケーションを図るということも大切  :あ、はい、ここが上のとはタテホコなんですが、  どれだけ(いつなら)押していいのか、  どれだけ(いつなら)聴いてもらえそうか、  どれだけ流していいのか、  どれだけ逃げていいのか、  押したり聴いたり流したりした結果、  どれだけお互いうまくいくのか、  というのが分かるためには、  日ごろから、  相手をそこそこ分かっている必要がありそうです。  ~~~~~~~  ちなみに タテホコという言い方は 初めてお目にかかりました。ホコタテとしては聞いたことがあります。  ★ ~~~~~~~~  だって「自分大好き人間」  ぢゃないと、  自分を大切にできないし、  自分を大切にできないと、  自分を磨こうとも思えないし、  自分の「意見(知識ではありません)」  を持つこともできないし、  それを発信することもできないし、  「他の自己」つまり  「他人」を大切に思い、  尊重することもできないし、  「他の自己」つまり  「他人」の「意見」を  聴くこともできません。  ~~~~~~~  ☆ これはですね。一部のブディストたちに聞かせたい命題ですね。  とかくいうことには 自我をなくそう 利己を捨て去って宇宙と一体になろうなんて言う主張をいまだに聞きます。そうぢゃあないってえの。  自己・自分・わたしに還り そこに立つこと。なぜなら すでにその自己は 清浄心(仏性)として成り立っていると想定されるから。  ついでで言ってしまいました。  ▲ ~~~~~  取るに足りない者であるのに  自分は相当な者である  と考える人がいるなら、  その人は自分の思いを  欺いているのです。  ~~~~~~~  ☆ これは 思うにですが 地位や身分やその権限や肩書きに〔も〕人はあたまを下げますから その《相当な者である》という中身を 混同しがちなんでしょうね。  クリスマスツリーは飾りのほうに目が行きますからね。  そして わたしたちも 秩序が保たれるという事由においては むしろ世間のナラワシにしたがってよいし したがうべきなんでしょう。  少し《分かり合う》ということについて 焦点がぼやけてしまったかも知れませんが もう少し質問はひらいています。

回答No.7

>チューインガムにも五分のたましいはあっかよ?  きれいな薄緑だったんだが、人に踏まれているうちに黒光りして  今では鏡のように鋭く反射するようになった。  別に削りとって、ブラシがけして、モップで拭き取ってかまわん。  そうすりゃ、たましいなど、どこにもみあたりはしない。

bragelonne
質問者

お礼

 そうか。  気高くあるってわけだ。  また のぞいてみて。

回答No.6

>だが 《浮き世》どころの話ではない。  そうでしょうとも。  生きるのが大変だな。どうにも。  唾まみれのチューインガムには分からんな、その睨み合いは。

bragelonne
質問者

お礼

 ミサイルが 横からも後ろからも飛んでくる。  おまけに 関係ないところから飛んでくる。    ミサイル電波なのですべて受け留めている。と言うより受け留めると思う前に中に入って来ている。  あなたは その意識の排泄とも言うべきテポドン電波を垂れ流さないようだが 人びとの中にはいろんな人がいる。  垂れ流す人には やむを得ずとわざとの二つの場合がある。  女は 絶えず垂れ流すことはしないらしい。自慢話になるので恐縮だが  これぞと思った男に 予告なく発射したり あるいは 核実験すらをおこなうらしい。  女に限らず男についても けっきょくすべからくその心を溶かして おのれとの和解および世界との和解を成就するようにそのきっかけをあたえてやらねばならない。  ミサイルを飛ばして来ているのだから そのようなカウンターパンチを食らっても 文句を言えまい。  かくて ゴミ処理工場の当体が街をゆく。  おまえなどはこの世の屑だと言われたなら 実証されたことになる。  だけど こびりついた錆びは 二三年くらいではまだまだどうにもならないらしい。  男の場合は 去って行く。くすぶっているが 去って行く。  女の場合は つづく。永遠につづくらしい。  チューインガムにも五分のたましいはあっかよ?

bragelonne
質問者

補足

 ★ いつものパターン  ☆ ぢゃなかったろう。

回答No.5

いつものパターンだろ。 この質問のお礼の中で「あなたのことがあんがい分かっている」なんて言いはじめるあなた自身のエゴを保つためにあなたは分かり合いを犠牲にする。私はその賢い人間をおちょくっている。あなたは、愚かすぎるほどに賢い。 >《浮き世》の意味が分からないので   浮き世なんて、それ以上でもそれ以下でもない。  私のことは、あんがい分かっているんじゃなかったのか? >《愚劣で怠惰》なわたしにくらべるなら より少なく愚かであるのだけれど  そんなことはない。賢いあなたの愚かさにに比べたら、私なんぞ、駅の床の大理石にこびり付いたちょっと緑がかったチュウインガムのカスそのものだ。知らなかったろう。今日は、35回も人に踏まれている。

bragelonne
質問者

お礼

 社会のゴミ 世の屑であった過程を通って来ているので 足を踏まれたくらいは 何ともないと思ってしまう。  要するに インチキやペテンをあばくしかないと ひとつには 思っている。ゴータマ・ブッダだって そうだ。    ★ ~~~~~   >《浮き世》の意味が分からないので   浮き世なんて、それ以上でもそれ以下でもない。  私のことは、あんがい分かっているんじゃなかったのか?  ~~~~~~~~  ☆ とは言うものの 前回は  ★★(回答No.4) 分かったような気になっている・・・あなたの浮き世の浮き世たる所以ですな。  ☆ と言って 《浮き世》は わたし自身のことだと言っているのだから 分かりづらい。  ★ おちょくっている。  ☆ ことは分かっていた。それでもそこにでも何か光るものがあればいいと思っていた。  そうすると 世間の人びとに借りは返さねばならないというような問題なんだろうか?    アベックが向こうから歩いて来て 女がわたしをじろっと見た。そうすると男が 止まって わたしの顔をなめまわすように見ている。何もなかったと思って 男が歩き出したから こちらも歩き始めたとき 振り返って またじろじろ見つめる。わたしが何も言わなかったところへ 唾を吐きつけた。男も 遠慮したのか あたまの上をめがけていた。髪の毛に当たってとどまった。  何も言わずそのままわたしが見つめていたら 去って行こうとした。何かひとこと言って欲しかったのか わたしも去ろうとすると もう一度戻って来て 睨みつける。今度はさすがなのか 女が止めた。もう行こうと腕を引っ張った。  それで 去って行った。  たぶん借りは これで返したと思っている。むしろヤツらのあいだで ひと揉めあったのだと思う。こちらの知ったこっちゃない。かくして 世の中は 平和なりき。  だが 《浮き世》どころの話ではない。

回答No.4

>わたしのほうはあんがい分かっているところが多いと思っていますが あなたにはわたしはナゾですか?  いいえ。きっちり愚かであると記載しています。  あんがい分かっていると思っていることが愚劣で怠惰なんですよ。  分かったような気になっている・・・あなたの浮き世の浮き世たる所以ですな。

bragelonne
質問者

お礼

 そうですか。  ぢゃあこういうことですか?  つまり 《なぞ》ではなく 《おろか》として分かっているのだと。  もしそうなら どうして先に  ★ あんがい分かっていると思っていることが愚劣で怠惰なんですよ。  ☆ という内容を知らせなかったのでしょう?   つまり 《愚か》とそして《愚劣で怠惰》とは 違うでしょう。規定を言い直していませんか? それとも 最初では遠慮したというだけのことでしょうか?  ★ 分かったような気になっている・・・あなたの浮き世の浮き世たる所以ですな。  ☆ 《浮き世》の意味が分からないので 何とも反応し得ませんが おそらくひとつの例示を出すことが いちばんでしょう。  たとえば最近 次のような質問がありました。  【Q:仏教の、説話。子供を亡くした母親。】   http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa7860768.html  そしてその中でのやり取りやベストアンサーの中身について わたしは 次のような物言いをしました。  【Q:精神は 空である。】   http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa7860670.html  そのキサゴータミーの説話をめぐって No.16のお礼欄から始まった議論です。No.17・18そして19と続き 少々長いのですが ゴータマ・ブッダのオシエについて重大な疑義が生じているという問題ですから ここでこちらからのひとつの例示として取り上げます。  おそらく あなたが分かり合えるというみなさんとは わたしの物言いを受け留める側の方々であると思われます。  つまり言いかえると 《愚劣で怠惰》なわたしにくらべるなら より少なく愚かであるのだけれど けっきょく五十歩百歩か何か知りませんが ぜんぜんゴータマについて知っていない。ということが露見しています。そういう問題があるという例示です。

bragelonne
質問者

補足

 お礼欄につづいて 次をおぎないます。  ですから そちらからもひとつ例を示してもらえるなら はっきりする。ということになります。  総括的な抽象的な規定で《おろか》かどうかと言っている段階ですから。  つまり ただただレッテルを貼っただけで 《分かり合える》とはさすがのわたしも考えていないのですから。

  • atti1228
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回答No.3

1.分かり合えない。 2.ひとに感じたことのない感情をわかれというほうがそもそもむりなんだ。 3.貴方の言ってる孤独や寂しさがそのものだ。感じたくない。見たくない。触れたくない。また、本当に、感じたことがないとすれば、その感情を共有し、分かり合えることは、ない。 孤独に、落としえてやり、強制的にわからすしかない。 それなら、分かり合える。通常では、難しいんだ。 4.分かり合えないと知ってるおれは、わかるよ。分かり合えることこともしらないやつには、もとめない。つまり、うつの子どもや、嫁が甘えてるだの、だらけてるだの言われてるんだって書いてあると、言ってる奴らに、お前らに何がわかるんだって怒りを覚える。どんなにうつが、辛いかってるのか?わからないくせにお前らに言う権利があんのかって。 5.虚しさが、ともなうが見えるんだろうな。

bragelonne
質問者

お礼

 あってぃ1228さん こんにちは。はじめまして。ご回答をありがとうございます。  そうですね。これは 直前のご回答(No.2)の場合にも 大前提として捉えたところですが 問いの(5)ですね。つまり 《関係の絶対性》が あなたの目の前に見えているのではないだろうか? の問いに対して:  ★ 5. 虚しさが、ともなうが見えるんだろうな。  ☆ と答えておられます。  ですから そこから考えるならば 潜在的な可能性があるけれども たとえば  ★ 1. 分かり合えない。  ★ 2. ひとに感じたことのない感情をわかれというほうがそもそもむりなんだ。  ☆ というように話はつながるのだとも思われます。  すなわち 可能性が否定されているわけではなく:  ★ 4. 分かり合えないと知ってるおれは、わかるよ。分かり合えることこともしらないやつには、もとめない。  ☆ というふうに 人によって場合があるのだ。というお答えだと思われます。これが 総論だと思われます。  各論としては やはり孤独の問題がありましょうか。  ☆☆(趣旨説明欄) 3. たとえばひとは孤独である。生涯 《ひとり》である。ただしこの孤独は 社会にあって 《孤独関係》である。  ★ ~~~~~   3. 貴方の言ってる孤独や寂しさがそのものだ。感じたくない。見たくない。触れたくない。また、本当に、感じたことがないとすれば、その感情を共有し、分かり合えることは、ない。  ~~~~~~~  ☆ 質問の趣旨説明が舌足らずでしょうか? あるいは まだまだ要領を得ていないでしょうか?  ★ ~~~~~   孤独に、落としえてやり、強制的にわからすしかない。  それなら、分かり合える。通常では、難しいんだ。  ~~~~~~~~  ☆ たぶん感覚的に体験としてあじわったことがないのならば 分からないというかたちで捉えておくしかなく それとして分かり合う。ことになるのかと思ったりしますが たしかにむつかしいでしょうね。  それに No.2の回答者さんのように《そもそも 孤独ではない》という人生をあゆんでいる場合もあるようですので 一概に規定しえないということになるのかも知れません。  あとは 次のくだりが残りました。  ★ ~~~~~  つまり、うつの子どもや、嫁が甘えてるだの、だらけてるだの言われてるんだって書いてあると、言ってる奴らに、お前らに何がわかるんだって怒りを覚える。どんなにうつが、辛いかってるのか?わからないくせにお前らに言う権利があんのかって。  ~~~~~~  ☆ わたしはバカ丸出しで能天気と来ていますから うつなども分からず ただしそれについては 社会の中で上司のガミガミ電波をゴミ処理のごとく清浄化するアース役という位置づけをしていて そこから来る困ったなぁ状態だと見ています。  ヒキコモリや KY などは 草の根民主主義としての未来社会への隠れた一歩であると見ています。つまり ささやかにネガのかたちにおいて現状に抗議しつつその未来社会をめざすうごめきなのであると。かならずポジになるという意味です。  《分かり合える》とは どういうことなのでしょうね?