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ジェンダーの表れ方

質問が漠然としているのですが。。。 美術作品などに男性や女性またはジェンダーやセクシュアリティが表現されているものが多々あると思うのですが、我々は、それをどのように解釈するものなのでしょうか?裸の男性や女性、もちろんそれだけに限らず、いろいろな作品をご覧になって、この筋のことに詳しい方からのご回答をお待ち致します。

みんなの回答

回答No.4

>文化を学ぶものがどのように性に美術に現れる性を学べる、またはアプローチできるのか。 まだご質問の主旨をつかみかねていますが、 >筋肉質な男性の場合男らしさ」を表現している 最初から主観で恐縮なのですが。 「絵画や彫刻に表現されている性」という感覚は私には理解できません。 作者は「性的なもの」を描いているのではありません。 本来の描きたい課題の表現の手段として女性美、男性美を作品に象徴として取り入れるのです。 人間が求めてやまない「母性」への憧憬、執着は女性の胸であったり、女性器そのものであったりもするのでしょう。 女性の裸像には人間の内なる力強さを感じます。 男性の裸像には(例えばダビデ像とか)ジェンダー以前に物(全能の存在の創造物)として美しいと感じます。無駄のない筋肉の美しさ。 題材の選択には時代的背景は大きく関係していると思います。 絶対的権力を持つようなパトロンが必要だった時代には、パトロンの要求を職人的にこなしていかなければならなかった側面もあるので、題材を自分で選ぶ事はできなかったでしょう。 芸術家は自分で意識せずとも題材を介して自己表現をしていると思います。そう駆り立てられてしまうのです。 それが内なる葛藤であったり、明確に外へのメッセージであったりするのだと思います。 例えば油彩を描く時、男性、女性の全裸のモデルをモチーフにしても、カンバスには自己を表現しています。モチーフはモチーフ以上のものではないのではと思います。 最初は「美しい、だから描きたい」と思っても、創作過程においてその感覚とは別のものが生まれて来ると思います。 また、それを鑑賞する人々が同じものを感じるとも限りませんし、制作者もそんな事を望んでないかと思います。 芸術はそういうものと思います。 具体的な時代、作家、作品例等を提示して頂けたら、もう少しましな解釈を差し上げられたかも知れせん。 ご期待にそえるコメントではないと思います。すみません。

回答No.3

>ジェンダーやセクシュアリティが表現されているものが多々あると思う ご質問内容がやや抽象的かと思います。 美術専攻です。もう少し具体例を示してくだされば私も興味がありますので何か情報を差し上げられるかと思います。

daizunorei
質問者

補足

そうですよね。おっしゃる通りです。自分のかなでもまとまっていなくて質問が先走りしてしまいました。絵画や彫刻に表現されている性は、その時代、その社会をある程度反映しているとおもうのです。筋肉質の男性がもてはやされる時代、文化もあれば、そうでないところもありますよね。たとえ作品には作者の意図がぎっしり込められていても、作者も文化の中の存在。文化を学ぶものがどのように性に美術に現れる性を学べる、またはアプローチできるのかなあというのが私の質問です。

  • Ahooo
  • ベストアンサー率11% (5/44)
回答No.2

作者は必ずしも、全てを曝け出すとは限らないと思います。「男らしく」と見えることの中にじつは、「女性らしさ」を込めているかも知れません。只、作者は鑑賞者を意識している事は当然で、直接的なのか、間接的なのか、抽象的なのか、具象的なのか、作者の心、作品の中に描かれているもの、それを観るもの、其の三つの関係を自分なりに表現するのだと思います。 小生、芸術には門外漢であり、己の生活において深く関わりあう事はありませんが、例えば外国を訪れたときなどは、其の国を知るために美術館に足を運びます。そういった立場なので、ここの具体的な作品を批評する資格はありませんが、ここでは敢えて、「裸の男」について考えて見ます。 自己に内在する“性”は、若しくは現実に触れることのできる“性”は、とても“汚いもの”なので、其の生々しい“性”から夾雑物を取り除き、理想とする“性”を作り上げる。それによって、自己の汚らわしさを清めるのか、自己の欲を抑えるのかは判りませんが、一つの『性の理想』の象徴ではないかと思います。それが女性だと生々しくなるからなのか、男性が其の時代の性の象徴なのか、ここから先は手に負えません。何れにしても、観る人が好きなように観ればそれで好いと思います。

  • Ahooo
  • ベストアンサー率11% (5/44)
回答No.1

美術というものは、人間の内的事象が極に達した時、象徴・憧れ・贖罪等の意味を持たされ、排泄物として世に放出されたものだと考えます。ここで云う内的事象とは、歓び、怒り、悲しみ、愉しみ、つまり感情である。ただ感情というものは、非常に揮発性が高く、一度に爆発的なエネルギーを持つ一方で、ともすると一瞬で消えてしまう。それを結晶化し、何らかの手段で体外に放出する能力を有する者を、世の中では芸術家と呼ぶ。 さて、そう考えるとジェンダーとはどう理解されるか?男であれば女、女であれば男、が性の対象であり、生きるために求める手段でもある。ということは、人間そのものであるといえるかも知れない。世が変われば人も変わる。当然、美の基準は時代によって異なり、その時代の真理を表している。中世の日本の美人が、今渋谷を歩いて、多くの男性を惹きつけるとは限らない。その逆もまた然り。 古代ギリシャでは、美とは男性が対象であり、男性同士の性交も盛んに行われていた様である。日本でも若衆・衆道等といって男色に対して比較的寛容?!な風もあったようです。織田信長もその気があったとか... 先に挙げましたが、美術とは人間の内面をそれぞれの手段で具現化する、形に表すという作業ですから、この文章も小生の美術表現?!かも知れません。 時代背景、宗教的背景、社会規範、タブー等、美術にはそれらに沿って、亦、反って生まれ出されてきます。両の目を大きく見開いて芸術に触れるように、絵を直感的に観ることと、状況証拠を踏まえて理論的に解読すること、の二つの目は、御自身の答えに近づく道の一つかもしれません。

daizunorei
質問者

補足

ありがとうございます。裸の男性画などはどのように解釈されますか?たしかに筋肉質な男性の場合「男らしさ」を表現しているともとれますが、美術館で鑑賞している人は皆服を着ているわけで、その意味では「弱い」存在ですよね。見るものと描かれるものとの関係のお話なども伺えればと思いました。