• 締切済み

食べ残すことに対する意識と文化的背景

ちょっと昔の日本では食べ残しが良くない、食べ物を大切にしなければいけない、といった価値観があり、食育にも反映されていたと思います。そこで次の二点を疑問に思い興味を持ちました。 ・こうした価値観の起原は何処なのか?  日本人の文化のルーツとなったといわれるアジア諸国にもみられるのでしょうか? ・他にこうした価値観があり、教育していたりする国や地域はあるのでしょうか? どんぴしゃの答え以外にも、色んなエピソードもお待ちしています。お願いします。

みんなの回答

  • orkney
  • ベストアンサー率32% (25/76)
回答No.11

「食べることは命をいただくことであり、食べ残すのは作ってくれた人や食べ物そのものに対して失礼である」という発想でしょうね。 10の回答者様もおっしゃる通り、年がら年中何かしらの食べ物があれば、食べ残しに対する抵抗感も低いでしょう。食べ残しても、それが家畜のえさになったり、漁をするときのコマセにできたり、肥料になったりすればなおさら。 徒然草48段に、後鳥羽上皇から供御を賜った藤原光親が、食べ残して散らかした食器を御簾の内側へ差し入れて、後鳥羽院から「有職の振舞、やんごとなきことなり」と言葉を賜ったエピソードがありますが、これは一説に「私はすでに十分な禄を賜っており、恩賜の食事とはいえ、欲張っていただくことも礼にかなわないことです」というメッセージがあったと言われています(異説もありますが)。 お隣の中国になりますと、さらに事情は少々変わってきます。 中国では、客をもてなすのに食べきれないほどの量の食事を用意してきます。 これを食いきってしまえば、「足りないからもっと持ってきて」のメッセージになってしまいます。 ゆえに「私はもう十分いただきました」とのメッセージで、食べ残しをします。 また、魚料理の場合、「魚」の発音が、「余(=財産を遺す)」と同音(yuの4声)であり、縁起担ぎの意味を込めて、食べ残しがむしろ奨励されます。 以上、参考まで。

  • Guan-Yu
  • ベストアンサー率13% (60/436)
回答No.10

南に行けば行くほど、遠慮なく食べ残しを捨てます。 基本的に南の暖かい国は、ほとんど何もしなくても作物が実りますし、果物も豊富になります。 種が風に運ばれて来て、自宅の庭で勝手にパパイヤがなったりします。 土地の人達はそれを適当にとって食べます。 お米も一年に二度も三度も出来ますから、一年中、食べ物に困りません。 南の国は本来、とっても豊かなのです。 南の国々は発展途上国が多いですが、これは昔から働かなくても食べ物に困らなかったからです。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.9

根底には神道の影響があると思われます。 神道によれば、万物には魂が宿ります。 人間と動植物、その他総ての間には 質的な違いはありません。 だから食べ物に限らず、どんなものでも 粗末にするなということになります。 勿体ない、というのはここから来ています。 ちなみに、文科省の調査によると、我が国に おける神道の信者数は1億1千万人だそうです。 仏教は9千万。 キリスト教では、人間以外のモノは総て人間の 為に存在することになっています。 人間は特別な存在です。 ま、貧しい国ではどこも食べ物を大切にする という習慣が育っているのでしょうが。 中国などは食えるだけ食え、という感じですね。 彼らは実によく食べます。

回答No.8

   食膳食後 ~ 残すべきか、捨てるべきか ~    肥満は、お腹が一杯になるまで食べつづけるのが原因です。  食物は、胃袋で膨れあがるので、腹八分でなければなりません。  さらに、食膳を見わたして、生・焼・煮の順に、食べるべきです。    フランス料理のフルコースでは、前菜・スープ・メインディッシュ・ デザートの順に、スプーン・ナイフ・フォークが並べられています。  コンサートで(原則として)序曲・協奏曲・交響曲の順に聴くように。    郭(くるわ)では、親に売られた田舎娘を高く売るための工夫があり、 とにかく真っ白に塗って、もっぱら郭言葉「ありんす」で語らせました。  客の前で、けっして食わせないのは、育ちがバレるからです。    わたしは、とくに厳しく育てられていませんが、一年365日を通じ、 朝昼晩の食事を残さないのが自慢です。箸をつけて余すのは、料理を絵 にたとえれば、塗り残しのようで見苦しいからです。    もちろん、体調がすぐれず、熱があるときは、食がすすまないので、 赤信号とみて、箸を置きます。かならず食後に甘いもの(黒砂糖とか、 コーヒー、アイスクリーム、ヨーグルトなど)で打ちきります。    もったいない、という考えは、かならずしも合理的ではありません。  鮮度の問題もあり、とくに皿から取りこぼしたものは非衛生なので、 けっして口にしてはいけません。家族といえども回しのみは厳禁です。   …… 好物でも一口残すといって、今一口と思うところで止めて、十二 分には食べないのが衛生の秘訣なのだ(望月 三英)。 http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/4572001200 ── 森 銑三《おらんだ正月 ~ 江戸時代の科学者達 ~ 19781009-19890812 冨山房百科文庫 20》P73   …… 優しく見つめる。手際よく噛む。ひとこと感想を述べる。 http://q.hatena.ne.jp/1155289271#a586507 (20060812)  世界共通の作法 ~ 笑う・食べる・語る ~    ひとつの仮説として、差別問題の根幹は、種族や習俗のちがいでなく、 伝染病への対抗策として出現した可能性があります。二重三重に隔離し、 疫病が発生すれば、橋のない川で遮断することができたからです。   http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/B000J82T66 ── クライフ/秋元 寿恵夫・訳《微生物の狩人(上)19801117 岩波文庫》 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19710228 細菌学史 ~ 十三人の狩人たち ~   http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/4043417012 ── 辺見 庸《もの食う人びと 19970625 角川文庫》 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20050202 食味喰餐  

  • Carbadoc
  • ベストアンサー率19% (144/750)
回答No.7

神道に由来するんじゃないかと思います。 山には山の神、地には地の神。八百万の神に囲まれて暮らしているという考えです。 山に感謝し、地に感謝し、そういう気持ちが、食べ物を(食べ物に限らず、物を)大切にする価値観を育てていったのではないかと、僕は思うのです。 世界的にも神道は日本独特の信仰のようです。 もし、ほかの地域で日本と同じ価値観を持つところを見つけるとしたら、精霊信仰をもつ地域でしょうか。万物には精霊が宿るという考えです。八百万の神に通じるものがあるのではないかと思うのです。東南アジアを中心とした地域で、キリスト教やイスラム教の影響を受けておらず、精霊信仰が呪術に結びついていないような地域でみることができると思います。たとえばですが、密林で暮らす部族などは、食べ物とか、物を大切にするのではないでしょうか。

回答No.6

根源的には食べ物に対する価値観が国によって違うということはないと思います。 逆に言うと「食べ物を粗末にして良い」という文化など聞いたことがありません。 だからルーツも何もないし、どこの国でも食べ物は生きて行くのに大切なもの、それは人間の本能的な価値観でしょう。 ただ、それが踏襲された社会であるかどうかは非常に疑問である現代です。 はじまりは貨幣の流通でしょう。食べ物がお金と引き換えられるようになったところから。 たくさん食べたいとか良いものを食べたいとかの人間の欲求が産業を形成しています。 そうなると純粋に食べるという目的以外の利害が絡み、結果的に廃棄される食糧が増え、食べ物を粗末にしている。 狩猟や耕作などで自給自足生活を送っていた頃の人間は自分達が生きるために必要なぶんだけを獲とくして暮らしていました。 まさに自然から命を頂いていたのです。獲り過ぎれば自然を破壊し結果的に自分達が生きながらえることが困難になるからです。 禅の修行や茶道の作法のなかにもそうした精神は生きています。 しかし食糧需給が産業ベースとなっている現代ではそのバランス感覚が失われています。 自分の「必要な分だけ」がわからなくなっている。お金のある国に過剰に食糧が行き渡っている。 もちろん日本はその代表です。 最近の話で言うと日本の食糧危機は太平洋戦争の後に訪れました。 戦災孤児は食べるために盗みも働いた。少ない食糧をめぐって見苦しい諍いも多く起きました。 日本人が切実に食べ物の大切さを痛感した時代が65年ほど前にあったのです。 私は60年代の生まれですが親から「ご飯を残すと目がつぶれる」など言われたものです。 すでにその頃は高度経済成長期の只中で、食糧危機を意識してと言うより贅沢を戒める言葉であったのでしょう。 親の代から生まれた時から物にあふれ食べ物にあふれた今の時代の子供たちに食べ物の大切さを教えることは簡単ではありません。 すべての食糧は命が源であることを教えるために学校菜園や家畜の飼育体験などが行われています。 命や自然を大切にすることが人間の暮らしを守ることにつながるという原点思想に国境はないと思いますよ。

  • pri_tama
  • ベストアンサー率47% (678/1421)
回答No.5

 MOTTAINAI(もったいない)運動なんてのが、2005年から海外で行われる様になった位ですから…。←「勿体無い」を外国の言葉で適切に訳す事が難しい為、日本語をそのまま使う事に…。  (ノーベル平和賞受賞者のワンガリ・マータイ 女史が、当時の内閣総理大臣・小泉純一郎と会談した際に感銘を受けて、この言葉を世界中に広める為に活動されている。)  「もったいない」という言葉は、一応仏教用語から来ている(仏教用語の「物体(もったい)」を否定する語)ようですが、現在一般的に使われる意味は、日本人の民族信仰である古神道を源流していると考えられています。  (全ての事象に神は宿る。だから森羅万象に感謝を捧げる必要が有る。)  私も、昔祖母にお米には88の神様が宿るから、残さず感謝して食べなさいと教えられました。  中国の文化圏に有る所だと、お客に対して食べ切れないほど食事を出すのが最高の歓待の一つだったりしますから、料亭とかの高級だけど量が少ない食事のところへ案内すると、微妙なすれ違いが発生する事も…。  キリスト教とかの一神教圏(ユダヤやイスラムとか)だと、確かに神への感謝は有るのですが、食材に対しての物ではないので(飲食は神の意思と指示の元に行われる、人間の権利と言う感覚がある…。人間が食す為に神が作った物だから、神への感謝は有っても食材へは…。)、残す事への忌避が少ない…。

  • 7683
  • ベストアンサー率18% (32/174)
回答No.4

どこの国も同じだと思います。王族や貴族などの特権階級や金持ちは別ですが。どの国も基本的に飢餓や戦乱や伝染病を経験していますから。

回答No.3

近所に台湾料理(中華料理)のお店(店員も厨房も台湾人か中国人)ができたので、ときどき食べに行くのですが、ものすごく量が多くて毎回パックをもらって持ち帰ります。持ち帰るのはちょっと恥ずかしいのですが、やっぱり残すことに気が引けるので。その事を妻に言ったら、中国の文化では料理を出してもてなす場合、食べきれないほど量を出すのが礼儀だそうです。 でも、どうやら日本で捨てられる残飯の量はものすごいみたいですよ。主にコンビニの賞味期限切れ弁当。もしこれらを飢餓に苦しむ国に送れるとしたら、世界の飢餓が解決する量とか。 日本では食べ物を大切にする価値観がありますが、同時に食べ物の鮮度に神経質だったり、品揃えの豊富感を出すために最初から廃棄される分を見込んでたりと、商売の場合はかなり食べ物を粗末にしてますね。回転寿司とかもかなり捨ててるはずですし。 価値観の起源は・・・難しいですが、江戸時代とか究極のリサイクル社会だったわけだし、高度成長期までずっと日本人のほとんどが貧乏だったから、だと思います。

yubikyataous
質問者

お礼

江戸の街のリサイクル文化には興味があります。本屋で気軽に入手できる感じでは資料が見当たらないので、おすすめがあったら教えて下さい。個人的には、エコの先進国は北欧みたいなイメージで日本に日本の資料が無いのは残念だと思います。残飯を肥料にして農業に使う、という試みも楽しそうですが、ゴミ収集は自治体ごとにやっているから難しいみたいですね。

  • 2080219
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回答No.2

こんにちは。 遠い昔の価値観を引きずったり、他国のしきたりに影響されたわけではないでしょう。 一皿のおかゆが食べられなくて死んでいく子供たちが大勢います。 今現在もです。 ジェット機が飛び交い、大型貨物船が定期航路を埋め尽くしていても、 彼らに食べ物は行き渡らないのです。 ヒューマニズムですよ。 直接助けられなくても、せめて心情だけは分かち合いたい。 それだけです。