※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:韓国人の文化とも言われる《恨(ハン)》とは何か?)
韓国人の恨(ハン)とは?
このQ&Aのポイント
韓国人の恨(ハン)とは、伝統規範からみて責任を他者に押し付けられない状況のもとで、階層型秩序で下位に置かれた不満の累積とその解消願望を指す。
また、韓国語で恨(ハン)は発散できず、内にこもってしこりをなす情緒の状態を指す語であり、挫折した感受性や社会的抑圧により閉ざされ沈殿した情緒の状態が続く限り、恨は持続する。
恨は韓国民衆の長い受難の歴史を通じて貧しく、抑圧されて生きてきた胸の底にこもる感情であり、抵抗意識を生みだす要因となっている。
《ルサンチマン》が 《奴隷の道徳》と結びつけられておしまいでは 何とも心細いかぎりです。
《君主の道徳》が提出されていますが これなどは ただ《勝てば官軍》といったようにその勝ったほうの気持ちの持ち方を言ったまでだと思われます。
そこで 韓国人の持つ《恨》を取り上げてみました。
だからと言って あらたな思想(生活態度)としての文化的思考=かつ行為の形式であるかどうか。これは まだよく分かりません。
じっさい詳しくは分からないままでいます。
したがって まづはいくつかの定義をかかげて そこから何が言えるか。そのようにしてみなさんのご見解をうけたまわろうと考えました。
歴史的な議論もあろうかと考えますが 基本は哲学としての定義から始めて そのコトの評価をまづは持ちたい。こういう方針ではいます。あるいは 何かいい案がありましたら それを承けて方針転換に到る場合もあるかと考えます。
○ いくつかの《恨》の定義
( a ) (古田博司)~~~~~
「伝統規範からみて責任を他者に押し付けられない状況のもとで、階層型秩序で下位に置かれた不満の累積とその解消願望」
(古田博司 『朝鮮民族を読み解く』 筑摩書房〈ちくま学芸文庫(1995年刊の同名著書の文庫版)〉、2005年、150頁)
(ヰキぺ:恨) § 1 朝鮮文化における恨
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%A8#cite_note-1
( b ) (小倉紀蔵)~~~~~~
( b-1 ) 「恨み」は相手に対して抱くものだが、「ハン」は多くの場合、自己の中で醸すものである。
*(ぶらじゅろんぬ註) 特定の相手を対象とはしなくなるという意味に理解します。ただしたとえば日本人一般というように 不特定多数を相手にする場合はあるのかどうか?
( b-2 ) 理想的な状態、あるべき姿、いるべき場所への「あこがれ」と、それへの接近が挫折させられている「無念」「悲しみ」がセットになった感情が、「ハン」なのである。
(小倉紀蔵の私家版・韓国思想辞典 (1) あこがれと無念の情動 ハン)http://web.archive.org/web/20041019234056/http://www.onekoreanews.net/20031022/bunka20031022003.htm
( c ) (世界大百科事典 第2版の解説) ~~~~
ハン【恨 han】
( c-1 ) 朝鮮語で,発散できず,内にこもってしこりをなす情緒の状態をさす語。
( c-2 ) 怨恨,痛恨,悔恨などの意味も含まれるが,日常的な言葉としては悲哀とも重なる。
( c-3 ) 挫折した感受性,社会的抑圧により閉ざされ沈殿した情緒の状態がつづくかぎり,恨は持続する。
( c-4 ) 長い受難の歴史を通じてつねに貧しく,抑圧されて生きてきた民衆の胸の底にこもる恨は,おのずから彼らの行動を左右する要因としてはたらき,抵抗意識を生みだすようになる。韓国では植民地時代から解放後の〈外勢〉と〈独裁〉のもとで,恨は民族の〈恨〉として強く意識化されてきた。
http://kotobank.jp/word/%E6%81%A8
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質問者の印象ないし感想程度としては
( d ) 要するに日本語で《恨みを晴らす》というように いいわるいは別として陽性であるほうが 何かとすなおな人間性にもとづくとも考えます。
( e ) 《怨霊》にまで成ると なんで生きているときに やはり恨み(=裏・見)を晴らさなかったのかと問いたくなります。
( f ) 《生き霊》となると じっさいその現在時に恨みにもとづきタタリを起こしているということのようです。これは 現代人にあっても 起こっていることではないかと思っています。けれど 議論にはなじまないでしょうか?
( g ) もっともっといろんな角度から見て 主題の解明としての展開がなされるものと考えます。たたき台も無しにですが お考えを自由に述べて問い求めをすすめていただければさいわいです。
お礼
こんばんは くりなるさん。ご回答をありがとうございます。 そうですかねぇ。 個人が持つものであることははっきりしていますが その原因は いろいろではないかと思うのですが。 つまり 目上・目下の関係という狭い場での問題から 日本による植民地の時代をつうじて広く民族として受けた上下関係の問題まであると聞いていますが。・・・ つまり 民族どうしのいざこざによって受けた辛い体験でも けっきょく一人ひとりの個人的な問題になると考えられます。ただその体験は ほかの人たちも同じように受けているということになるのだと見られますが。・・・ で とにかく韓国人は それを個人の思惟および行動の形式としてかたちづくっているし そういうものだとも思っているのだと見られます。これは 特異なかたちなのだと思われます。 ここまでは 間違っていないと考えるのですが。・・・