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小さい頃から褒められなかった私の心の闇とは?
- 小さい頃から褒められなかった私の経験
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小父さんです。 辛い子供時代でしたね。 人はやっぱり褒めたり褒められたりして、暮らす方が良いですね。 ただそれだけでは、問題や辛いことが有るとすぐ逃げ出しちゃうので、叱ったりお尻を叩く人も必要になると思います。 怒るのが好きな人、褒めるのが好きな人もいるし、打たれ強い人、打たれ弱い人もいるから、考えて付き合うことも必要になりますね。 貴女はどっちでしょう? 少し打たれ弱いのかな。 でもその辺は、経験で慣れたり、成長し自信がつくことで、強くなれるものです。 今は少し屈折してるところも有るのでしょうが、本を読んだり、映画を見たり、人と話をしたりして、良いものを見る目を養えば、本当に良い事とはどんなことか、理解できるようになると思います。 そして、自分が良い人間になろうと努力すれば、そんな自分を褒めてもらえれば、素直に喜べると思います。 褒められても「どうせ嘘だ、お世辞だよね」と思ってしまうというのは、自分が良くわかっていないのか、自分の行動や考えに信念が無いのだと思います。 遊ぶことでも、楽しむ事でもこうしたいとか、こうなりたいと思ってやっていけば、そうなった時は嬉しいし、褒められれば素直に喜べると思います。 世の中、良い事ばかりは無いので、駄目なことは必要以上に悩まずに、次に進むことが良いことに巡り合うことになります。 これから環境や、接する人も違ってくるので、自分が進んで良い人になり、よい環境を作っていけばよいと思います。 人に頼り過ぎや期待しすぎも良くないけど、自分を悪いと思いすぎるのはもっと良くないです。 「人に迷惑をかけず、好きなことを楽しめばいい」と言う考えが基本で良いと思います。 その中で、何人か気楽に付き合える人ができれば良いんじゃないですか。 友達を選んでも良いと思います。 良い人に選べれることも嬉しいことです。 基本は、良い生活をすることですね。 私も、好きなことを言って楽しく生きています。
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- sayone1966
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よく言われますが“親にがっかりされた顔をされることほど、ただでさえ扱いが厄介な劣等感を助長させること”はありませんね。 ワタシの親もそうでした『これがお前の一所懸命か!』と言って殴られるような学生時代でした。 ワタシがウソを付いた(その場を逃れようと)のかも知れませんし、親は悔しかったのかも知れません。ジブンが偏差値的なアタマが良いひとは、子供もそうだと疑わないものでした。。。 でも世の親御さんは大きく勘違いしています(一般的に知っているようで常識や経験して来た事意外知らない。) ◆大人とは、ジブンの感情をコントロール出来る“ジブンの気嫌をジブンで取れる”ひと ◆大人とは、時間や顔のシワ、体格などの貫禄がそう見えるが“単に未熟”な存在であるひと ◆親と子供は違うこと 実は、後から生まれて来て親を選んで生まれて来ている“アナタ様の方が魂は古いこと”もあり、じつは大切なこと(本質)を気づかせるために子供が親育てをしている事/子供のお陰で親をさせてもらえている事にたいがい気づいてはいません(笑) ※参照:『自分探しの旅』 斎藤 一人 著 ←これはオススメです 実は親(教師・年長者)は単に未熟なのです。仮にジブン(あなた様)が半分、環境要素が半分とすると、、、その環境である親自体に認める/褒めるというセンスが少ない=未熟であるので(もったいない事なのですが)相手に自己重要感を与えることの大切さに気付いていないのです。アタマで分かっていても、実践できてないだけであることも多いのでした。 ※参照:『人を動かす』 ディール=カーネギー or 永松 茂久 著 また、この世の中には大法則があって、 ■投げかけたことが返される、投げかけないことは返されない 愛すれば愛され、嫌えば嫌われ、愛さなければ愛されないし、嫌わなければ嫌われない・・・という法則があります。別名引き寄せの法則とも呼ばれています。感謝を投げかければ感謝を返されますし、不平・不満・グチ・悪口・陰口を投げかけて来たなら倍返しで返されることも♪ご自身でも振り返られてみてください、多かれ少なかれ当てはまることはあると思います。 ■一番の才能は相手の良い所を見つけられる(自ら褒める)能力 褒められたい/認められたい欲が強いワタシは以前、褒められたい!と投げかけました。投げかけたので天は忠実に、『また褒められたい!』と言いたくなる現実をたっくさんワタシにくれました(苦笑)。ワタシはアタマを切り換え、人に『○○サンが素晴らしいから!』と投げかけたり、親しい人/家族に『ありがとう』や『感謝しているよ』と投げかけるように自ら心がけるようにしました。(たいして突出して事の出来ない)普通の人のワタシに出来ることは、褒めることです。 ■与えると受け取るのバランスが大切 例を挙げると 『褒める』や『褒めるに値する言葉をかけられた時』に『ありがとう!』と受け取る練習をすると良いですね。有難う!と言葉のプレゼントを受け取ってあげれば”与える/与えた”行為が成立しますが、謙虚に“それほどでも”や“イヤ私なんかマダマダ”と否定してしまうと、相手が学ぼうとしている“与える”経験を奪うことになるそうです。 相手が思い切って(もしくはあなた様を勇気付けたい一心でお世辞ととったにしても)あなたを持ち上げたとしたら『ありがとう(笑)』で受け取ることが、なにより両者間でエネルギー交換が起こる。信じなくても大丈夫ですが、万一受け取らなければ改めて受け取る経験を、来世・来来世や5回~6回先の転生で経験するということだけ、の様です。 ※参照:『幸せになる準備はできています』 ウィリアム=レーネン 著 ■何か起こるのはジブンのせいは正解 外側に起きていることは実は、内側(ジブンの中)で起きていることの投影だと言います。ある意味でジブンのせい(100%自らに責任をもつ)と考えることは個人的には賛成です。誰彼のせいにしていても、『結果』と仰いますが最終的にジブンだとワタシは感じています。またジブンが前世遣り残した(未完了の)ことのバランスと成長を遂げるために生まれ直しているとも言われ、種を蒔いたのだから刈り取る!という意味合いにおいては正しいと言えそうです♪ 過去に起きてもう起こらないことをアタマで反芻すること(記憶のリピート再生)を止めて、起きても居無い未来(将来不安)を取り越し苦労するのも止めて、今ココを大切にする生き方がワタシやあなた様に大事なのかな、と思いシェアさせてもらいたく書き込みました。過去は変えられる(前出の参照本をご参考に)。未来は今をどうするかで形作られる。 あなた様がご自身が悪いと決め付けにならない方が良いと思えたし、誰彼・社会の偏見・世間が悪いどうこうより、単に“投げかけ方”だったり、未成熟なだけだったりする・・・そんな捉え方を通して、少しでもキモチを軽くできたら嬉しいと思った次第でした。ご自身を好きになれば、人の良い所も目に付いて褒められる様になります。尊重はするけれど、ワタシは親(が示した態度)のようにはならない・・・そんな、『あなた様らしさ』:客観性を確立することも、人生において必ず必要になって来ます。10年経ってマシになれば良い☆ワタシはそう思って日々暮らします。 陰ながら応援しています♪ ~ あなたにすべての理解を超えるほどの平穏が訪れ、あらゆる良きことが雪崩の如く起きます ~
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ありがとうございます。
- bekky1
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すごく矛盾している。 自分で気が付いてる? ほめられたことがないと、いいつつ、あるけど、それでは、ほめられたことにはならないと あなたが’判定’しているだけのこと。 いわば、ほめ方が、ほめる内容が、気に入らないということです。 ほめ方のハードルが高すぎ。 そんなに手放しでほめられなくちゃ気に入らないということが、 すでにして、あなたのお父様に相手のほめグレードに関して、評価がそっくりです。 それでいて、自分自身への自己評価はACだということで、イクスキューズする狡猾さを備えている。 彼氏に振られたから、それがなに? ただの自己憐憫に浸るのが大好きなだけじゃない? それに、ほめられることを期待しての行為って、本物でしょうか? 自分がやりたいからやる。 そして、その結果が、ほめられることにつながらるという、視点が最初からあなたには無いもの。 ほめられるから、やるの? ほめられないならやらないという理屈になりませんか? 人は、自分のためにすることをして、たまたま、それが誰かのためになったり、 難しいことであったりするから、ほめられるだけのこと。 最初から、ほめられたいとするような人を、私はほめることは絶対にしないでしょうね。 もちろん、子供に対しても、ほめられたいからするようなことに対しては、褒めませんよ。 何気なく、ふつうにしていることで、こそ、人の真価がわかるから。
お礼
ありがとうございます。
とても難しいですね。 育った環境でそうなってしまったことは仕方ないと思います。 恐らく大人の9割は、質問者さんと似た気持ちを持っているでしょう。 褒めらる事がないまま一生を終えた人は、この課題に悩み続けたようです。 私はそれでも、それが普通なのだなと最近思っています。 人をすぐに信じる人は、この世にはいないでしょうから、時間をかけて人を想うようになれば良いと思います。
お礼
ありがとうございます。
- okkinaa
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50代男性です。 どうも目の前の巨大な山と格闘して苦しんでいるようですが、 必ずしも山に登らなくても、 迂回してなだらかな道を行けば山の向こうには出れるんですよ。 目標を山に登るのではなく山の向こうに出ると視点を変えれば難しい事では無いですね。 それでもどうしても父親に勝ちたければ、 貴女の父親がどれだけ凄くても絶対に貴女に勝てない事が一つだけありますよ。 女性にのみ許された出産です。 「悔しかったら産んでみろ」とでも心の中で唱えれば少しは気が軽くなるんじゃないですか。 余談ですが、 我妻は人並な容姿ですが、 子供3人孫2人で今や同年代の女性の中ではぶいぶい言ってますよ。 あれだけ激烈だった美人競争も、 50代になると産んだ子供と孫の数が女性同士の序列基準に入れ替わるんですね。 目の前の基準に一喜一憂しても人生という長い物差しの前では、 なんであの時にこんなことに必死だったんだろうということは、 よくあることですね。
お礼
ありがとうございます。
お礼
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