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塾講師にとって必要な些細なエトセトラ

私は現在31歳男性で塾講師へ転職したいと思っているものです。 教科は数学を専門的に担当したいと思っています。 ご回答者様の経験で構いませんので、 i)入社試験前にあらかじめ想定して、日常生活の中で心がけていた事 ii)実際に仕事を始めてから日常的に心がけるようになった事 がありましたら教えてください。 知識の収集方法から本当に些細な事でも構いません。 よろしくお願いします。

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  • hue2011
  • ベストアンサー率38% (2801/7250)
回答No.1

塾で数学、理科、英語の講師はやったことがあります。 大学で数理物理学の講師もしたことがあります。 現在は、オブジェクト開発だとか品質だとかの講師をやっています。 ただ、いずれの場合も、それを主業務としてやっていたのではなく、本来の仕事があっての話です。 大学の講師は、研究者をしていたときのことです。 オブジェクト開発系は、システム開発の中にいて若いものに教える必要があるからしているのです。 塾のときは、ちょっとしたアルバイトでしたが学位があってつきましたから時給は高かった。 塾に正職員として入社したとかそういうことはありません。だから参考意見にはならないかもしれない。 心がけていたこともありませんし、こころがけようとしていたこともありません。 本来の業務のほうが大事ですから、そちらの邪魔にならないように工夫しただけです。 むしろそのほうが肩の力がぬけてよろしかったと思います。 しかし、相手の言葉でわかりやすく説明できるというスキルだけは鍛えられたと思います。 自分の同レベルのものだけで友達関係を保っても得られないことが沢山ある。 理解してもらうには、たとえ話や実体験やいろいろなことを繰り出す必要があるのです。 自分はわかっているのです。相手がわからないのはなぜ、からスタートすることになります。 相手が何を言っているのかというのがわかれば大丈夫なのです。 実はそれをわかるのが非常に大変で、同じ言葉を使っていると考えたら叫びたくなります。 なんでわからないのか、どう考えたらそうなるのか、疑問又疑問です。 今思い出しましたけど、40年ぐらい前、穂刈四三二先生というひとが都立大学だったかに数学の先生でいらっしゃって予備校の講師もされていました。 相当長生きでいろいろな大学に在職されたと思います。 彼が言っていたことで、 「子供ができると考え方が変わる。  自分だけだと、わかるのが当たり前できるのがあたりまえと思って思いやりができない。  ところが子供を持つと、なんでこんなことがわからないのかできないのかということが  血をわけたものにあることがわかる。  そこで教えかたを考えるし、思いやりも出る」と。こ のひと、ぱりぱりの若いころ、「努力学力なきもの去れ」といった人なんですけど。 落ち、という話をします。 子供は先生が雪ですべってブザマに転んでも決して笑いません。でも笑おうというところでは笑います。 受講者は、センセイは知らないことは原則ないだろうと期待しています。 ないと信じているのではありません。 期待しているのです。 古文のセンセイなら源氏物語なんかすらすら読むんだろう、みたいな期待です。 これが裏切られたりするときの反応はひとつだけです。 「やっぱりなあ」です。「うそー」や「まさか」はありません。 結局できないのだという落ちを最初から知っているというか、こういう落ちでないかな、と待っているのです。 その落ちでサゲないようにしないと勤まりません。 そのためには一旦落とすように話を持っていって別のサゲに導く必要がある。 これがテクニックでありスキルです。とても細かくはここでは述べられませんけど。

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