- ベストアンサー
1960年代の学園紛争の実体験者にお聞きします
関心があり、学園紛争の歴史をいろいろと調べてみたのですが、動機もよくわからず、様々な党派の分裂になるともうわけがわかりません。 ヘルメットの学生同士が角材で殴りあってる、当時の動画もみました。 結局のところ、みなさんは「何に不満」で、「何をどうしたかった」のですか?「どうすれば気が済んだ」のでしょうか? ご自身が当時学生で、その空気を実体験した方にお聞きしたいのでよろしくお願いします。
- みんなの回答 (1)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
あれは日本の方向性に関する争いです。 政府は、安保条約を締結して米国寄りの、というよりも 米国べったり政策を採ろうとしたのですが、それに 反対する勢力が騒いだのです。 当時の冷戦下で米国寄りになれば、当然ながら ソ連や中国、北朝鮮などに敵対することになります。 それで、まず左派が反対しました。 反対したのは左派だけではありません。 米国とソ連の争いに巻き込まれるから、と反対 した人も少なくありませんでした。 しかし、やはり中心となったのは左派でした。 共産党青年同盟が最大の勢力を誇っており、革マル などというのがそれに敵対していました。 革マルてのは、マルクス革命、という意味です。 ”「何に不満」で、「何をどうしたかった」のですか?「どうすれば気が済んだ」のでしょうか?” ↑ ・日本が米国の子分になり、ソ連に敵対することが不満だったのです。 ・中立になれ、という意見が多かったですね。 勿論左派はソ連寄りになれ、ということでしょうが。 ・安保を締結するな、締結後は破棄しろ、ということになれば 気が済んだのです。 尚、この安保条約は米国との経済協力とセットになっており その後の経済大国への足がかりとなりました。 今になると、学生などというのは真に頭でっかちで 世の中のことなどには全く無知だったんだな、と思います。
お礼
お礼がおそくなりすみませんでした。 よくわかりました。ありがとうございました。