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下級生にどこまで要求すべきか
私は博士後期課程のD1です。 どこでもそうだと思いますがそろそろ卒論の時期です。 私の大学では卒論は学務に提出、その後、所属の教授が成績をつけるだけで、発表会などはありません。 わたしのところの教授は修論、博論などはこんなとこまでこだわるのかというぐらいこだわりますが卒論はまったくみません。つまりチームのリーダーが卒論の実質上の責任者ということになります。 わたしには前期課程の1年と学部四年生が下についており、四年生は実験自体はほとんど前期課程1年と伴にしていたことも在って、とりあえずその人と一緒に卒論のプロットを書いてもらいました。その後、私が見たわけですが…、実験内容自体にはある程度、目をつぶるとしてもあまりの文章に天を仰ぎました。で、とりあえずこことここは直せとして返したわけですが…。私の最終チェックを受けないまま出しやがったのです。 曰く、fujishiroさんの要求に合わせてたらいつまでも終わらないし、前期課程の人からOKはもらったし、卒論なんてだれも見ないからいいでのでは、でした…。 とりあえず、その態度はあまりにふざけすぎているとしかった後、出したもののコピーを確認してみると…半角と全角はそろってないわ、英語のつづりはまちがってるわと注意したところも全然、直っていません。 相談は次に私がとるべき行動です。 1.学務係から卒論をとりかえす。 2.もうあきらめる。 3.手許にのこる卒論のコピーだけはやりなおさせる。 ぐらいでしょうか。 ちなみに薬学部なので今から四年生は国家試験の勉強をはじめなくてはならない時期です。卒論の締め切りもあと1週間ほどです。 このままほっておけばこの四年生はなんの苦労も無く卒業はできます。助教授、助手についた四年生はもっと厳しく指導をされているようですが、前期課程の二年生についた四年生はもっと楽にしているという状況です。
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fujishiroさんに時々お世話になっているsuiranです。 自己にも他にも厳しく,カッカしておられる様子を推察して,大変失礼ですが微笑ましく思いました。ついにfujishiroさんも”教育の難しさ”を感じる立場に立たざるを得なくなったようですね。 fujishiroさんのお気持ちも良くわかります。しかし,もう少し肩の力を抜いて”教育や指導”とは何かをお考えください。 教育とは,一口で言い現せば,本人の持っている資質をのばしてあげることです。高等教育になればなるほど,教育や指導の及ぶ範囲は狭まってきます。本人にやる気がなかったり,能力・資質がなかったりした場合には,その教育効果は全く期待できません。 格闘技のことはよく知りませんが,ボクシングにヒット&アウェー戦法というようなものがありますよね。それと同じで,”少し指導しては引いて様子を見る。”その繰り返しがよいのではと思います。 相撲のようにがっぷり四つに組んで対峙しては,どちらかが倒れてしまいます。fujishiroさんの現在の様子は,どちらかというと,相撲や柔道やレスリングのような取っ組み合いの姿勢に見えます。〈ひっょとして,こちらの格闘技がお好きなのかも知れませんが…〉 気を長くお持ちください。指導すべき事は指導し,そして,時にはあきらめることも必要かと思います。教育に”あきらめ”は極めて重要です。あきらめることも,そして決してあきらめないことも… 研究の方は順調でしょうか。健康に留意してお励みください。
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- medicine1976
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はじめまして。薬学部を私も5年ほど前卒業しています。私の大学も国家試験というより研究重視の大学でした。 ですから、年生の時配属された研究室では研究に人生を捧げたいと思っている先輩に沢山出会いましたが、私はあまり熱心な学生ではなくfujishiroさんの教え子に似た学生だったに違いありません。 当時はとりあえず大学を卒業できて薬剤師免許が取れたらいいという考えだったので、(きっと大学受験で燃え尽きてたと思います。)大学時代あまり勉強せず、(といっても4年生の時は朝の9時から夜の8時ぐらいまで毎日研究室にいましたよ。)4年生の時に研究室で指導してくれていたD1の先輩に全く学部3年間の基礎が出来ていないと随分叱られ、卒論のこの時期にとうとう反抗した記憶があります。 というのは、やっぱりあまり勉強していなかった私はろくな卒論が書けず、2,3回書き直してもなかなかOKがでなく、しかもどこが悪いという指摘も適当で(今から思えば何もかも悪かったんだと想像しますが)ただ書きなおしてといわれるだけ。とうとう切れて本人に、「何でこんなに頑張らなきゃならないんですか?」と反抗。しばらく気まずくなりました。その後気がついたらそのD1の先輩が自分で私のために何もかも訂正してくださっていて、事は終わりました。 (今はなんでそんな態度なんだったろうと反省しています。) 5年たって思うのは、 あの時のD1の先輩の私への態度は正しかったんだということです。今は心から当時D1だった先輩を尊敬しています。そして、今更ながら真面目に生きているつもりです。でも、4年生の時の私にはどう考えてもそれを理解するのは不可能でしたが。。。 多分、Fujishiroさんの教え子も今はfujishiroさんの気持ちを理解することは不可能でしょう。 でも、十分今不満な気持ちを持っているということは伝えたんですよね? でしたら、とりあえず、 4.将来はちゃんと改心してくれることを祈る。 という選択をして、 とりあえず送り出してあげたらいかがでしょう? 大学を卒業して社会に出ると多少いい加減な人でも大学時代自分はどんなに甘かったのか多分実にしみるはずです。 参考にならなかったらすみません。
お礼
ご回答、ありがとうございます。 お礼が遅れたことをお許しください。 結論から言いますと、結局、放置というか…四年生がそもそも大学に来ませんでした(笑。ぶっちゃけ、逃げ切りやがりました。 ま、さすがに卒業させてあげること自体はよいとは思ってたのですが…。このような学生が増えてくれば、今までのように自己責任を許してあげることはできそうにありませんね。仕事が進まず、わたしの裁量が疑われるだけですから(笑 まともな学生・院生はわたしの担当じゃなくても持ってくるんですけどねぇ。最大の失敗はこの時期まで卒論というものを理解させることができなかったわたしの指導方法というのも明白なんですが…。同じ指導方法でもこう違いがあるとやっぱり戸惑いますね。 皆様、ありがとうございました。この場を借りてまとめてお礼することをお許しください。
#9です。お礼に書かれている情報でまたずいぶんと対処方法が変わってきますよ。(最初はそこまで書かれていなかったので、わかる範囲での回答でした) 会社の例で、主任の了承を得ず、部長にいきなり書類を出した場合、通常の会社では決済印制度がありますので、もし主任が決済権限があるならば、「主任の決済がない」として返されてきます。 >教授はわたしが承認できないというのなら、学務からとりかえしてやり直させてもかまわない、とも言ってるからです。 この場合教授ははっきりとあなたの承認を必要としているわけですから、上の場合でいう主任の決済印のない書類であり、不備として返されます。 この場合のように最終権限者の教授があなたに委任しているのなら話は別ですよね。 「教授からこういわれている」と相手に告げて、学務から取り返してくるべきだと思います。 それならあなたは正しい!
お礼
再度の投稿、ありがとうございます。 教授は、わたしと四年生の前で 卒論は確かにこだわりすぎるようなものでもないがと前置きした上で、あくまでも決定権はわたしにある、と述べ、わたしが承認できないというならとり返して来れば良い、と言われました。 ただ、実際には実験の中身は問題にすらならないレベルだし、論文に使うとしてもわたしか、M1の人がやりなおすことは既に決定的なのが逆にネックです、皮肉ですが。 教授としても本心ではあまり問題にはしたくはないでしょうし(何せ本当は卒論には興味がないようですし)、とり返しても良いと言ってくれたのもわたしの顔を立ててくれただけなのかな、とも思います。 怒りに任せてとり返してくれば良かったかなーとも思うんですが、一度、冷静になると逆に行動しづらくなってしまって…。 本心では、今は無理でも、国家試験が終わった後でもいいから、ちょろっと直して郵送でもしてくれればうれしいんだけどなーとも思ってるんですけど、無理なんでしょうね。 下の回答者さんにもありましたが、学校の人間関係って理屈で言うとかなりあやふやなんですよね。仕事だったら、必要なことをやらなければ給料はやらんの一言で済むんですが。 ありがとうございました。
大学院を経験していない素人の客観的意見だと思って聞いてください。 私は企業で管理職をしていますが、いろいろな部下のタイプがいます。必ずしも型にはまっている必要はなく、個性を最大限重視するようにういつも心がけています。 あなたの研究というか学問に対する情熱と真面目さは伝わってきますが(そういう人だからこそ大学院へ進まれたのだと思いますが)、社会に出たならばすべて自己責任です。 それに最終的には教授が成績をつけるわけなんですよね?教授がNOと言ったらNOなんだし、それでいいと思ったら責任者の教授がいいと言っているんだから、あなたが心配することないのではと思います。 だってあなたは、主張を相手に伝えたわけですよね。でも相手はそれに従わなかった。悲しいことですが、あなたがどうこうできる権限はもう越えています。これ以上は単なる「おせっかい」にしかなりません。20才超えたいい大人が、そう判断したのだからあなたはあきらめるしかないのでは・・・。 社会にでればでるほど人というものは自分の思い通りに動いてくれません。完全に人を自分の言うことを聞かせようというのは無理なことです。 もちろんその学生の非常識さはもちろんなんですが・・・。 さらにその人は将来、数々の論文を発表していって博士になるつもりでしょうか?とりあえず卒業できればいいのではないでしょうか?だとしたらそれで目をつむってあげればいいのではないでしょうか?
お礼
確かに現在はわたしの権限から半分、手にあまっている状態です。 しかし、言わせてもらうなら、先に権限を逸脱してきたのはこの四年生なのです。会社で言うなら、一社員が主任の承認の上で部長に正式書類を出す手はずが、いきなり部長に書類を提出するようなものです。部長は主任が言いというなら問題ないだろうと追認しますが、仮に問題があれば(例えば論文にする時に4年生がやったデータを使用するとしてなにか不備があれば)主任が責められるわけですよね。しかも、その一社員は会社をやめてるわけですよ?四年生がやったことに不備があれば、わたしがケツをもって仕事をやりなおす立場にあるわけです。 つまり部長は問題があれば主任がケツをもつことが前提で、主任の承認を追認しているだけなんですね。 これは文書捏造とまではいかなくとも、かなりの問題だと思うんですけど。 最初に「半分」手に余ってるといったのは、教授はわたしが承認できないというのなら、学務からとりかえしてやり直させてもかまわない、とも言ってるからです。今、責任をとるのも、問題が起きてから、責任をとるのもどっちでもいいよ、と言っているわけですね。 将来、役に立たないからおざなりでも構わん、ひょっとしたら他人に迷惑かけるかもしれんけど、自分に責任は来ないからいいんじゃない?という考えで書かかれた報告書をどう思いますか?そういった意味では、研究者にならない人のほうが、卒論というものをキチッとするべきだと思うんですけどね。 ま、訂正させるべきレベルがあまりに低いからわたしとしても教授としてもどうなんだろなーと思ってるわけなんですが。 こんなクソみたいな馬鹿でも卒業させてやらなければならない現在の大学のシステムにもかなりむかついてる次第です。 ありがとうございました。
私はM1で、学部4年生を3人持っています。 初めての固っくるしい論文。 単位の正しい書き方も、図と表のlegendの違いなどなど知らないことばかりで手間取っていたようです。 私は論文を書き始めるにあたって、まず論文を何のために書くのかを聞きました。 寝耳に水の話だったようで、とりあえずやれと言われたから・・・というのが本音のようです。 私にとって大学時代は将来にとっての踏み台となりました。高校の生物が好きで「勉強」したくて受験しましたが、卒研で「研究」の面白さを知りました。そんな私にとっては卒論は1年間の集大成だと思い、論文の書き方の本まで買って自分なりに納得のいくように書き上げました。 研究職に就きたい人にとっては卒研は大事な足がかりになるでしょう。 でも薬剤師になりたいと思っている人にとっては?卒研は「やらなければいけないこと」なのでしょう。おそらくは学生実習のレポートと同じ気持ち。 そこは考え方の違いとして割り切ったほうがいいと思います。 私がfujishiroさんの立場なら、4年生の考えを確認し、自分の考えも述べた上で、「まだ時間はあるんだから自分の納得のいく行動をとりなさい」と言って放置します。しばらくして何か言いたそうだったら助け舟を出します。
お礼
レポートと同じぐらいに見てくれてれば、まだマシですよ。レポートなら不備があれば再提出させるのは簡単なんですから。もはや、なめくさって卒業に必要な書類ぐらいにしか見てないわけです。 研究者にならないなら、研究によって責任を負うという行為ができないわけなんですから、卒論が最後の報告義務なわけです。 それにこの四年生の手法が今後も通じるというなら、これから院に行かない四年生はわたしの研究室でなにもしないでしょうね。 卒論という最後のタガがはずれた状態で研究室という教育の場が果たして維持できるでしょうか。 アメリカの大学などが日本の大学よりも大衆化は早かったにもかかわらず、はるかに価値があるのはけっしてこのような甘えた学生を許さないからでしょう。わたしひとりがこだわるのは意味ないかもしれませんし、こだわりが大きすぎれば害にしかならないのも承知しています。しかし、日本の現在の大学の荒廃ともいえる状況はひとりひとりがこういうことにこだわらなかったからではないでしょうか。 今回の問題に関しては、わたしは四年生にすべて言いきったので、とりあえず、今は放置しておこうと思います。 ありがとうございました。 (明らかに「お礼」を逸脱する書きこみをお許しください)
- denden_kei
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真面目なご性格が想像されます。研究室に限らず、非常に不可欠な存在です。 こういう先輩-後輩の場合、多くは対立の時期を経て(ある程度は)よい関係がつくれるものですが、1年間の間にそこまでいかなかったようですね。残念なことです。 ただ言えることは、「お互い対立していても少しも卒論はよくなりません」 「もうあきらめる」というなら別ですが、少しでも「卒論をよくしたい」「4年生と喧嘩別れで終わりたくない」という気持ちがあるなら、ある程度こちら側の「歩みより」も必要です。 4年生が何か卒論のことで聞いてきたら、なんとかfujishiroさんと和解したいという意思表示かもしれません。 その質問がfujishiroさんにとってどんなにナンセンスなものであっても、それを咎めるような言葉はグッと抑えてください。 そして少しでも前向きな回答、相手の質問のよいところを誉めるような返答をするように努めて下さい。ある程度は「自分の気持ちを偽る」ことも必要になるかもしれません。 失礼ながらfujishiroさんタイプの方はこういう対応が苦手、または個人の信念上潔しとしない方が多いとは思いますが、辛いとは思いますがやってみてください。 人間的に1つ成長できるかもしれません。 少なくとも、卒論のクオリティは改善されます。 (「まだまだ足りない!」と思う気持ち、ストップ!) 4年生も人の子です。fujishiroさんの指摘が的を得ていること位分かっています。「それならどうしてxxx」とお怒りになられるとは思いますが、あえて表には出さないことがこの場合重要です。 ここからは余談かもしれませんが、 fujishiroさんは今、非常に大事なことを学んでいるのだと思います。場合によっては研究の次に大事なことかもしれません。それは「上司として部下について悩む」ということです。 企業が主に大学院生を採用する理由は、「上司としての悩みをわかって欲しい」ためなのかもしれません。 ご参考になれば幸いです。
お礼
う~ん、無理な要求をしてるつもりはこれっぽっちもないんですけどねぇ。卒論前の最後の話し合いで追加しろと言ったこともやってないけど許したし、データも…かなりまとめやすいところで妥協したつもりなんですけど。わたしが要求してるレベルは、間違いは訂正しろということなんですけど…。英語のつづりを間違えてるから訂正しろと言って、その反論がそんな細かい訂正してたらいつまでたっても終わらないってレベルなんですから。(あ、書いてたら情けなくなってきた…)そもそも、卒論のメインにくる試薬の略語を間違えるとは、この一年間おまえは単に無駄な時間を過ごしてきただけなんかい!って…。 ここで誤解が内容に言っておくと、その四年生は究極のところ、そもそも卒論をまじめにやる気がないんですねぇ。卒論なんてどうでもいいなんて私に真顔でいうぐらいなんですから。もう国家試験のことしか考えていないのでしょう。かなりシバキ倒したかったんですが…。 教授はわたしより先にあきらめてたんでしょうか、「うちの大学も薬剤師養成所になりさがってきてるなぁ…」なんてぼやいておりました。わたしはそれは諦めじゃなくて放棄だろと言いたいのですけどね。 ありがとうございました。
補足
つまり、 「誤解が内容に」を「誤解が無いように」にするぐらいは当然、やるべきだろうってことなんですね(汗。 今回はこんなやつもいるんだという教訓になりましたが…。来年からどうやって指導したらいいのか、なやんでおります。 ありがとうございました。
- First_Noel
- ベストアンサー率31% (508/1597)
私も学生指導でいろいろ悩みました. 叱り過ぎてすねてしまうと言う悪循環に陥り, 腹割って話そうと携帯メールでやりとりして,とか. と同時に,私自身も学生時代,先生方に手数かけてしまった クチですので,学生の気持ちも分かります,質問者さまの お気持ちもよく分かります. で,選択肢ですが,いろいろあるので選択肢では,「2」が現実的かなと思います. 「1」は問題が起きそうですし,「3」はその意味を 理解させることにまた一波乱ありそうですし... で,卒業前にぜひ,その学生さんに「10年後に生きる最後の指導」を してはいかがでしょう.10年後,その学生さん,今度は 質問者さまの立場に立つこときっとあるでしょう, そのとき,きっと部下なり後輩の面倒を見ることあるでしょう, そのとき,今の質問者さまの気持ちで後輩の面倒を見れるように,と. それが最後の指導の目的です.
お礼
だんだん時間が経ってくると、まぁ、あきらめるというか…あんまりこんな馬鹿と係わり合いになりたくないという気もしたきたんですが…。 最後の指導、ですか。 …わたしそんなことをしてあげれるほどの大人になれるだろうか…という気も…。 ありがとうございました。
- stone_wash
- ベストアンサー率10% (59/555)
私も今学部4年生です。 私もドクターのD3の方に教えてもらっています。 私の大学は大学院進学が多いせいか、卒論自体の提出は義務ではありません。ただ、発表はありますが… ちなみに、私の所属する研究室は例外なく院進学しますし、しました。 しかし、3月くらいになると、なんやかんやいって私もですが卒論を書きます。4年生の成果を残すため書くだけですが。 その卒論は、M1、D3の方に見てもらうことになっています。 その訳は、D3の方曰く、”M1は就職活動で暇がないので、君の来年以降のことを考えて見てあげる。書いたらもってこ!”とのことです。 いままでの、中間報告もD3チェックを通って、初めて報告会にだせるという感じでしたしw 前置きが長くなりました… こんなことをいうのは変かもしれませんが、私にとってDの方は、学部生やマスターにうるさいくらい言ってくるのが普通と思っています。 そして、それに答えようと私の場合は、私なりにがんばっているつもりです。 ですので、やってくれているのに答えようとしないというのは、個人の責任という感じがするので、放置と思います。 もっというと、やってくれているのに、答えようとしないその学部生の方の神経が不思議です。 私の視点からですが。
お礼
いい雰囲気ですねぇ。うらやましいです。 うちの研究室もちょっと前までそんな感じがあったのですが、1回、Dがいない時期があって…。そこからはなんかなし崩し的な感じになっちゃって。(M2が卒論を見ると自分の修論とかぶるところが多いので卒論の指導が甘くなるんですよ、そうしたらなんか卒論は出したら勝ち、みたいな雰囲気をだす院生もいて…。) 院に進学する人は助教授、助手についていることもあってか、1回や2回、没くらうのは当然、みたいな感じのようなんですが。 出せば終わりって人は厳しくするのは良いことなのか、意味無いことなのか…。(悪いとは思っていません) とりあえず、月曜まで考えてみます。ありがとうございました。
- jisai
- ベストアンサー率7% (1/14)
こんにちは。私は4月から修士過程2年になるものです。 >>相談は次に私がとるべき行動です。 1.学務係から卒論をとりかえす。 2.もうあきらめる。 3.手許にのこる卒論のコピーだけはやりなおさせ る。 結論から言わせていただきますと、私の場合は「もうあきらめる」です。下のついているものが、先生、あるいは先輩にチェックを受けるのは当然のことであって、目上の人に対する態度ではないですね。 >>出したもののコピーを確認してみると…半角と全角はそろってないわ、英語のつづりはまちがってるわ うーん、卒論はあくまで人に対して見やすく書かなければならないので、つづりの間違いなど直して当然の範囲です。 ただ「学務係から卒論をとりかえす。」はちょっと問題になりそうなので、せめて「手許にのこる卒論のコピーだけはやりなおさせる。」でしょうかね。fujishiroさんがそこまでちゃんと注意して直していなのだから、しょうがないと思います。ここまで来たら、やる、やらないはもう本人しだいですよ。
お礼
>やる、やらないはもう本人しだいですよ。 それはそうなんですよね、そう言った意味では自己責任に任せるしかない訳なんですが…。 1年間がそれかよっとわめきたい気分もあるんですよね…。最後に英語のつづりぐらいは直す意思があってもいいんじゃないかと。 とりあえず月曜まで考えてみます。ありがとうございました。
- shikakuhonpo
- ベストアンサー率23% (201/841)
> 相談は次に私がとるべき行動です。 > 1.学務係から卒論をとりかえす。 > 2.もうあきらめる。 > 3.手許にのこる卒論のコピーだけはやりなおさせる。 「私はこういう方針でいくんだ」という一本筋が通っていれば、どれでも構わないと感じます。どれが一番あなたらしいかを踏まえて選択するのがいいでしょう。 ビジネス的な観点から見ると、学校ってすごく変な存在です。「お客様は神様です」と言うように、ビジネスでは金を払う人が絶対的に偉いのです。「絶対」です。ところが、学校では金を払っているのは生徒(実際には生徒の親がほとんど)のほうなのに、あたかも先生のほうが偉いことになっています。ここに矛盾が生じていて、今回のようなケースに発展するのだと僕は分析しています。 つまり先生の側もどこまで生徒に強要していいのか困り、生徒の側もどこまで勝手に振る舞っていいものか判断がつかず、今回の例のようなことが起こるのだと僕自身は思っています。これが企業だったら、主従関係が明らかなので基本的には起きません。 ということから、僕はあなたの取ってきた行動も間違っていないと思いますし、4年生の取ってきた行動(金を払っているのはこっちだし、つべこべ言われる筋合いはないという論理)も決して間違っていないと思います。結果として、あなたと4年生との間に意見の相違が生じれば、あとは駆け引きとならざるを得ません。それではじめに申し上げたとおり「一本筋が通っていれば、どれでも構わない」というのが、僕のアドバイスです。
お礼
そうですね、学校というのは不思議な人間関係ですよね、わたしも授業料払って、仕事して上の人間に怒られるんですから(笑。 ただ、必要最低限まで指導するというのもサービスだとは思うんですが。 とりあえず月曜までは考えてみます。ありがとうございました。
- briony
- ベストアンサー率29% (323/1090)
白か黒か、とりかえすかあきらめるか、やりなおさせるかさせないか、という図式が文面からとっても匂ってきます。 とるべき行動は、 4.その人物の自己責任を尊重し、なにもしない だと思います。 そう思えませんか? これは相手の問題ではなく、あなたがそこから学習しないといけない、人間関係の、そしてあたなの生き方を振り返えなおすよう、神が教えてくれている試練いやテストに映ります。 そうそう、カチッとしないのが、人生です。
お礼
自己責任ですか…。 確かにわたしと四年生のこの場限りの人間関係を考えた場合は、それがベストなのかもしれません。 しかし、仮にも四年生を指導する最終責任を負った人間としてそれでいいのでしょうか。明らかにレベルに達してない卒論を認めていいのでしょうか。ここで妥協すればつぎも妥協してしまわないでしょうか、そして来年の四年生も自己責任の名というもと、適当にこなしそれが伝統となってしまわないでしょうか…。 人間関係ではあなたのおっしゃるとおりでしょう。私にも反省すべきところはあると思います。しかし学問レベルでみると、妥協することは正しいのでしょうか。(もちろんレベルはとても低いのですが) 昨今の大学の教育レベルの低下を見ても、しめるべきところはしめるべきだと思うのですが…。 もうすこし頭を冷やしてみます。ありがとうございました。
お礼
ヒット&アウェーですか…。 う~ん、この一年間、それなりに指導もし、それなりにほって置く時間も与えてあげたと思ってたんですけどね。今振り返るとそれがあんまり良くなかったかもしれませんね。私なんかはほっといても育つ奴は育つという方針で教育されてきた口なんですが。 ほっといたら楽な方向にしか行かない奴もいるってことなんですよね。そういや実験にしても勉強にしてもとにかく早く切り上げたがるめんどくさがりな性格だったなぁ…。私の研究室ではここまで極端な奴は始めてだったんで…。 というか、大学における教育ってなんなんですかねぇ。やる気がないなら大学くんな、卒業したいなら最低限のことは嫌でも我慢しろと言いたい。わたしにとって教育を「あきらめる」ということは卒業を「あきらめさせる」ということなんですけど、これって無理な水準なんですかねぇ? ありがとうございました。