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心の作用について 命・動物愛護・素朴な疑問です
私事ですが、10年ぐらいの一人暮らしを経て、ふと寂しくなりウサギを飼いました。 飼ってみると不思議なもので 今まで、犬猫に服を着せたり猫かわいがりしている方々が理解しがたかったのですが (私は服を着せようとは思いませんが・・うさぎにとってはイヤだと思うので) 少し、理解できるような気もします。 本当に愛して可愛がってるのですね・・って。 でも、それがいきすぎてモンスターペアレンツになるのかは、どうかと思いますが。 そこで、皆様に質問です。 私は今の、パートナーである、うさが可愛くてしょうがありません。 当然、伝統的なフランス料理の「コウサギの○○」などは絶対、食べれません。 でも、私の小学校時代は給食にクジラの肉が出ていました。 当たり前のように食べていました。 でも、クジラを食べることに反対している愛護団体の方がいらっしゃるんですよね? 学校では、命はすべて尊いと学びました。 私もゴキブリを見たら「キャー!!」と言って殺虫剤をかけます。 どこまでが、殺していい生き物か、どこからが責められるのか? なんだか思春期のティーンエイジャーのようなことをいってますが ウサギを飼いだしたことで、命の不思議さにとまどい このような質問をさせて頂いております。 今まで、生き物が私一人だった部屋にウサギがいる・・いきているものがいる・・ なんだか不思議で「このコ、電池で動いてるんじゃないよね?」ってバカバカしいことを 一瞬思ったりします。 そんなことないのは、いきいきした表情でよくわかってるんですが・・ よろしければ、いろんなご意見をお聞きしたいです。 よろしくお願いいたします。
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- eroero1919
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そんなの考えたらねー、キリないですよ。 温泉旅館で温泉からあがってきたら食卓に用意されていた伊勢海老の生き造りで伊勢海老がまだウネウネと動いている。我々日本人は「まあ、新鮮!」と感動しますが、オーストラリア人が見たら「ウギャー!グロ料理!」と絶叫します。かくして確かオーストラリアではロブスターの生き造りが禁止になったはずです。その立法化にご熱心だったある議員によりますと、「ロブスターは茹で殺されるのが最も苦痛が少ない」ということですが、彼がどのようにしてロブスターからインタビューしたのかが気になります。 私たち日本人は仏教の影響で輪廻転生を信じてますから「次にカエルに生まれ変わったら嫌だなあ」とか考えますが、西洋人はそう考えません。「すべての生き物は神が作りたもうた」もので、人間は「神が自分の姿に似せて作った」ので好き勝手やっていいという日本人からすると眩暈がしそうなゴーマニズムがあります。彼らにいわせりゃ牛や豚は神が人間に食べさせるために作ったものだから食べていいんですって。イルカは神が人間に食べさせるために作ったものじゃないから食べちゃいけないんですって。 誰だったか、日本の昔のお坊さんは蚊にも命があるといって蚊帳で寝るときは右腕を蚊帳の外に出していたんですって。日本の蚊は血を吸ってかゆい程度で終わるけど、東南アジアに行くとマラリアというやっかいな病気を媒介します。そうなるとそのお坊さんといえども蚊帳から右腕を出すなんて命知らずなことはできませんよね。日本の蚊が安全だから成り立つ行為なわけです。日本では「家蜘蛛は殺すな」といわれますが、これも日本には毒蜘蛛はいなかったから(近年外国から来た毒蜘蛛が定住してしまったようですが)です。 ウサちゃんだってね、本来のウサギの生態とはかけ離れた状況で、仲間もおらずひとりぼっちで生きていくのが幸せなのかって考えちゃうと、ね。 なんでも動物園の動物はその多くは自然界にいる個体に比べると寿命が半分くらいしかないそうです。外敵にも追われず、「いつ襲われるかもしれない」という恐怖におびえることもなく、寄生虫にも犯されず、質のいい餌が与えられているはずなのに。また動物園で飼われている動物には、糞を食べたり同じところをぐるぐる回るこれまた自然界の個体では見られない異常行動をする者もいるそうで、それってつまり人間でいうところの気が狂ったって状態なわけですよね。 よく考えれば、コンクリートの床で生活させられりゃそりゃ寿命も縮みますよね。カゴの中にいる雅子さまは幸せなのでしょうか。
こんばんは。トイレに目が覚めたついでに回答します。 「行動はその背後にある動機を強化し、選択はその背後にある世界観を正当化する」ジョージ・ウェインバーグ。一例を言うなら、怖い(動機)ので逃げる(行動)と、その恐怖は増す(強化される)ということです。また、ある種の世界観(たとえば、人を騙しても構わないというチョットした思いつき)から、自分の利益を他人からだまし取るような選択をすると(株価操作など)、人を騙しても構わないという世界観は確信に近づく、というようなことです。よく「世話の焼ける子ほど可愛い」と言いますが、同じメカニズムです。可愛いから世話を焼く、すると可愛いという思いは強くなる、ということです。 人間の潜在意識にもっとも影響力があるのは、自らの行動です。新興宗教に寄付する、あるいはちょっとした布教活動をする、すると信仰心は強くなるのです。多くの新興宗教は、これを狙ってプログラムを組んでいます。 理屈は後から付いてきます。本当のところはジョージ・ウェインバーグの言うとおりなのです。私たちが抱いている信念や価値観や世界観は、そのようにして形成されたものなのです。一つとして、自由意思で獲得したもなどないのです。
お礼
なるほど~ 説得力がありますね。ありがとうございました。
愛しさに気づけて良かったですね。 とりあえず哺乳類は生かしましょう。
お礼
わかりました。ありがとうございました。
- hanasaka
- ベストアンサー率61% (479/785)
そうですね。 私も命はみな尊いと習いました。 だけど人間が生きていく為には他の生き物(動物であれ植物であれ)から命をもらわなければならない。 だから食べる時には 「(あなたがたの命を)いただきます。」と感謝の言葉を伝えましょう。と習いました。 では食べる食べないの境目はどうか? これは食生活と文化の問題ですね。 ウサギは最近の日本ではあまり食べられてませんが、 江戸時代位までは普通に食べられていました。 とは言っても日本は儒学や仏教の影響から、殺生をしてはいけない。動物は食べるものではありませんでした。 しかし、滋養強壮の薬として、野山にいるウサギやタヌキ、イノシシが捕まえられて食べられていました。 イノシシの肉をボタンと呼ぶのは、 動物じゃないよ、植物だよ。殺生じゃないよ。という名残です。 スズメなども現在の日本でも食べられています。 ちなみに私は鯉を食べます。 でもスーパーに売ってる物を買って、近年の一般的な食生活をしている方にとっては ウサギ、スズメ、鯉、そんなの可哀想だよ!って感じてしまうでしょう。 このように国内でも食生活が違うのだから海外の食生活が違うのは当然です。 中国では犬が食べられて、やはり愛護団体から言われてますが、文化なので仕方ありません。 自分達が食べないからといって、食べる人を非難するのはおかしいですよね。 単なる自分の価値観の押し付けだと思います。 では殺していい生き物とそうでないものは、 人間を中心に考えられていると思います。 基本的に人間にとって有益であれば保護され、 無益か害をなすものであれば駆除されます。 だからただの犬でも飼い犬は保護されますが、 野良犬は保健所に連れて行かれます。 このような考えは人間が生きるために考えたことや 自分の価値観を認めて欲しいというエゴによるものが混在していると 私は思います。
お礼
本当にそうですね! 自分の価値観をおしつけてはいけないですね。 ウサギを見ているだけで命の不思議さを体感します。 でも、ウサギを食べる人を非難しません。 はじめから、するつもりはありませんでしたけど、より確信になりました。 感謝を忘れず生きていきたいと思います。 ありがとうございました。
- yochikinu
- ベストアンサー率20% (2/10)
私はこうやって割り切っています。命の尊さを理解しながらも。 自分に攻撃してくる生物には厳しく扱います。 「蚊(血を吸い、痒みを残す)」「ゴキブリ(食べ物に菌を付着させる)」 自分を育ててくれる生き物には感謝します。 「魚」「肉」「卵」 そして、こう思います。 来世、自分が生まれる時には、嫌われる、もしくは人間のために犠牲になる生き物に生まれても文句は言わないようにしよう、と。
お礼
現実社会を生きるには、それしかないですね。ありがとうございました!
- shizumo
- ベストアンサー率12% (159/1285)
ヒトは哺乳類だから哺乳類から離れるにしたがって、愛情は失せていく。 哺乳類でも可愛い物は愛される。醜いものは愛されない。食用肉とはまたちがった視点でものをみてしまう。 >>ウサギを飼いだした事で 当然、伝統的なフランス料理の「コウサギの○○」などは絶対、食べれません それは命の尊さと言うより可愛い物への愛着。偏見。 パンダが灰色だったらあれほど愛されないということ。 ペット屋でドブネズミは売られていない。なぜか? また、もし今。ドブネズミとウサギが同じ値段だったらあなたはどちらを買うか?この選択はあなたがウサギをかって命の尊さを知ったと言うならドブネズミも買わねばならない。しかしそれはありえないだろう。 ヒトに適応すればイケメンはもててブ男はもてないのと同じこと。美醜を愛情と履き違えてるだけ。
お礼
この質問をした時点で厳しいご意見は覚悟していました。いえ、厳しいでhなく事実なんんですよね。 昔読んだマンガに「自然、自然といってるのは人間だけで動物にとって、現在ある状況が自然なんだ」と 書いてあり、一理はあるなと思いました。 人間だって、美醜で、扱いに差がでますものね。 本当に自然界はきびしいものです。 たまたま、かわいがられたペットはラッキーってことですね。 ありがとうございました。
はじめまして。 昔、自然系の大学サークルにいたので、 生き物を飼うことに関して、議論を交わしたことがあります。 生き物を飼育することで、生命の神秘を学べる一方、人間様の都合で 生き物の生き死にを左右させることが傲慢だという意見です。 正直、結論はでませんでした^^; どちらも正しいと思えるからです。 美味しいからと言って、あんなに可愛い牛ちゃんを殺してまで食べます。 魚でも動物性たんぱく質はとれるのに、ですよ。(魚を殺していい、というわけでもありません) あと、食べる分には、生きるためだと言い訳がききますけど、 「不快害虫」と呼ばれる虫は、別に人様に迷惑をかけていないのに、気持ち悪いからと言って殺しますよね。 人間なんてご都合で生きています。 地球上で唯一傲慢な生き物かもしれません。 でも、その人間も地球の生命の一つです。 行いを恥じて、人間様の命を軽んじるなんてもってのほかです。 私の結論としましては、人間の好きなようにしていいのだ、ということです♪ うさちゃん、可愛がってあげてください。人間と同じくらい。
お礼
おっしゃる通りですね。 うさが、幸せになれるよう、がんばります。 ありがとうございました。
- erieri68
- ベストアンサー率40% (40/100)
私も「命」の不思議さにはいつも感動します。 例えば今も目の前をショウジョウバエが飛んでいるのですが、こんなちっぽけな生き物すら、人間の手でゼロから作り出すことはできないんですよね。 殺せばそこまで。永遠に復活しない。 そんなことを考えてしまうので、私はゴキブリもハエも殺せません。 でも牛や豚は食べます。野菜(これだって命ですよね)も食べます。 他の命をもらわなければ生きていけない存在であることは、常に心に留めています。 感謝して、せめてくだらない生き方だけはしないように、と。 でもこの問題は考えすぎるとノイローゼになりかねないので、今は素直に目の前の命を愛でるだけでいいと思います。 私も同居のネコを、これでもかというほど可愛がっていますよ(^^)
お礼
確かに考えすぎるとノイローゼになりますね。 >こんなちっぽけな生き物すら、人間の手でゼロから作り出すことはできないんですよね。 その事実に気づいた、今に感謝したいです。 与えられた自分の命と、気づかせてくれてうさに感謝して生きていきたいと思います。 ありがとうございました。
- marisuka
- ベストアンサー率39% (667/1700)
自分に直接の危害を加える生き物は殺していい ごくおおざっぱに言って、これでどうでしょう。細かく言えばいろいろありますが。 ・人間は除く(と言わざるを得ませんよね)。 ・自分の住むエリアで考える。今の日本にサーベルタイガーはいませんので、そういう「自分の周りに不在の生き物」については考えない。日本に住んでいればベンガルトラについては意見を言えない。 ・文化的に食べる習慣のある生き物は殺すしかない(生きたままは食べられない)。 ゴキブリやハエはばい菌をばらまき危険。蚊は血を吸うから。自分の家の敷地外に巣を張った蜘蛛は殺してはいけない(背赤後家蜘蛛は別)。ハブやマムシは行動範囲に自分が含まれるかもしれないので殺していい。 なんだか「殺していい」ばかり書いているといやになってきました。もうやめます。
お礼
早々のご回答、恐れ入ります。明快でわかりやすいです。言われてみればそうですね。ありがとうございました。
お礼
そうですね。 でも、人間だったら自らカゴに入りたい方もおられるかも・・ 確かに考えたらキリないですね(笑) ありがとうございました。