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捕鯨や闘牛問題と日本の動物愛護
捕鯨や闘牛問題についてなんですけど、現在日本は捕鯨を動物愛護的に反対されていますが例えばこれが200年前のヨーロッパ諸国と現在の日本ならば恐らく何の問題もおきていなかったと思います。 彼らも虐殺の限りを尽くしたからです。 200年前当時のヨーロッパの人間に現在の動物愛護的な捕鯨、闘牛問題の事を言っても、理解できないと言われのではと思いました。闘牛なんかは彼らの文化ですし。 しかし現在は動物愛護にまで気を使っている。捕鯨のみならず犬猫の殺処分やペットショップの存在など。 これは日本が「遅れた国」なんではないですか?当時のヨーロッパ諸国の人間は今の日本人と同じような事を言うのではないですか? ネットの意見などを見ると、理解できないもの=悪という感じに見えました。 ※これはあくまで客観的な視点で見たものです。 感情的な回答はお断りします。 もう一つ。 だからといってヨーロッパやアメリカでは肉食=悪ではないですよね。 なぜそのように変わっていったのかと思いますか?その過程に興味があります。
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- nankaiporks
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捕鯨に関しては、明らかに米豪の牛肉を売るための嫌がらせです。 それを動物愛護ということでロビー活動し、世界中に吹聴していった結果です。 じゃあ、ヨーロッパの食材の兎や羊はいいの?って話です。 中国の犬は? 猿も生きたまま脳みそを食べますしね。 なのに反対意見すらないでしょ。 単に、日本を狙い撃ちし、日本の食材を奪い、自国の食料を買わすための作戦です。 食文化も貧しいアングロサクソン。 文化にぐちゃぐちゃ文句を言わないでほしいと思いますね。
- 4237438
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日本は捕鯨やいるかで頑張るのをやめようよ。 日本は脱亜入欧を明治時代にやりました。それは非常に良かった。 脱亜入欧をやるなら最後まで行こう。 世界の大半が捕鯨反対なら添えば良い。 世の中には旨いものがたくさんあってクジラなんて食べる必要がない。クジラなんてぼくらの世代では肉が食えない貧乏人が仕方なく食べるものでした。 捕鯨を潔くあきらめよう。
- kia1and2
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ずばり言って動物愛護が一部の人間にとって商売になるようになったからです。その人達に踊らかされている賛同者。 私は外国に住んでいる外国人ですが、動物愛護は、野良犬を蹴とばさない、程度のものですよ。日本は鯨を食用として捕獲なので、他の海に住んでいる動物と同じで、自然増分は食料としてとってもいいという判断です。アメリカ海軍の訓練での標的として1万頭以上の鯨殺傷はやめてくれと。 動物愛護の人が鯨が絶滅寸前と言ってるだけです。 闘牛は、観衆の前で動物を傷つけて、血だらけにして6頭の牛を殺していくショーなので、昔から一部の人だけのもの。ほとんどの人は、もう2度と見たくはない、吐き気のするショーです。
時間的な流れからみると「遅れている」と言えないことはないでしょうが、むしろ人々の認識が変わっていったが、日本では変わっていないというのがポイントだと思います。 何を食べものとして認識するかという問題だと思うんですよね。 例えば、犬が何匹もつながれていて「どの犬を食べたい?」と聞かれたらどう思うでしょう。私の体験じゃないですけどね。 あるいは、食べものじゃないですが、猫の皮をはいで楽器にすると聞いてどう思います? そういう意味では、「理解できないもの=悪」という見方があるというお話には私も賛成です。 やっぱり、犬や猫というのはペットとしてかわいがるか、あるいは犬ぞりのように生きたままで利用するものという感覚が根本的にあるから、殺して利用するというのはおぞましく感じるわけですよ。 もう一つは必要性との兼ね合いがあると思います。 西洋でだってクジラが鯨油を取るための"資源"だったことがあります。それが石油や電気にとって代わり、またその哺乳動物としての生態が広く知られるようになると、わざわざ殺す必要が感じられなくなるわけです。 私だって、今どきどこに行ったら食べられるのかもしれない鯨肉を取るために、わざわざ殺しまくる必要は全然感じられません。 クジラを殺して食うことをおぞましいと感じる人が絶対的に多数なら、「じゃ、やめときましょうかね」というのが、" 相手を思いやる心を大事にしている"と自分で言っている日本人の選択であるべきだとも思います。あるいは鯨肉で"おもてなし"するんですかねwww >なぜそのように変わっていったのかと思いますか? 私は必要性と「可哀想だな」という感情とのバランスが変わっていくことによるのだと思います。 肉食が悪いのではないです。殺される動物は可哀想ですが、食わなければ人間は生きていけません。殺す必要性が少なくなれば、あるところで可哀想という感情が勝つようになります。 可哀想という思いは大事にしたいですから、食用の動物を殺すにしても残酷さがより少なくなるように方法を規定している国も多いです。その話の関連としては、フォアグラなども残酷であるという見方がありますね。実際、フォアグラの製造を禁止している国も少なくないです。私もこんなものを美味だとかいって喜んでいる構図はおぞましく感じます。 ま、いずれにしろ人間というのは罪深い生き物なわけですよ。
- hekiyu
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彼らも虐殺の限りを尽くしたからです ↑ 彼らも、ではありません。 彼らが、です。 彼らが乱獲したので、資源問題化したのです。 日本は、それこそクジラの髭まで利用しますが、 彼らは鯨油だけで、後は捨てました。 これは日本が「遅れた国」なんではないですか?当時のヨーロッパ 諸国の人間は今の日本人と同じような事を言うのではないですか? ↑ 何をもって遅れた、と判断するのでしょうか。 彼らの価値観に合わないと、遅れたことになるのですか。 捕鯨問題についていえば、当初は、クジラは頭が良いから というのが禁止の理由でした。 しかし、頭の善し悪しでいえば、クジラは犬やブタよりも 劣るのではないか、と言われ、現代ではこの説は 公式の場では出されなくなりました。 その代わり、クジラ資源が減少してきたから、という 論法に変わります。 しかし、日本の調査ではクジラは増えています。 しかし、彼らはこれを信用しません。 自分でも調査しません。 それなのに、ただ信じられない、と繰り返すだけです。 どちらが科学的で、どちらが遅れているのでしょうか。 なぜそのように変わっていったのかと思いますか? ↑ 問題化したのは、石油が使われるようになり、鯨油の需要が無くなった からです。 それで、 日本への牛肉輸出を増やすためだ、という説が あります。
- dragon-man
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もとをただせば、有色人種に対する白人の差別、偏見です。その証拠に捕鯨に対する有色人種国からの反対はありません。
- eroero4649
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>だからといってヨーロッパやアメリカでは肉食=悪ではないですよね。 これはですね、旧約聖書にあるんです。「牛とかって、神様が人間の食べ物として造ってくださったから食べていいのよ」って。日本人からすると「なんじゃそりゃ!」と思うような考え方ですが、この世界を作られたミスターゴッドがそのようなことを御自らおっしゃっておりますのでOKなのです。 欧米の動物愛護って、あれは放っておくとあいつらは動物虐待を平気でやっちゃうからそのブレーキとしての動物愛護だって気がしています。 アメリカでは、闘犬が動物愛護に反するという理由で禁止されています。でね、闘犬の育て方ってすっごいえげつないんです。とにかく「目につくものは噛んで殺そうとする」というふうに躾けるんだそうですよ。子犬のうちからぬいぐるみをビリビリにすると「あら、よくできましたねー」といってエサをやるみたいな育て方をするのです。だからもうとにかく命じられたら噛み殺そうとするのです。そんな育てられ方をするもんだから、当然交尾なんてできないんですよ。メスを噛み殺そうとしちゃうから。一部の雄犬だけを繁殖用としてそれは普通に育てて、闘犬用は文字通りの殺人(犬)マシーンとして女も知らずに死んでいくのです。それだけじゃなくて、一度戦いに敗れた犬は相手が怖くなって戦えなくなるそうなんです。だから、一度負けた犬は殺処分するしかないそうです。 ものすげええげつない動物虐待ですよね。芸を仕込むのがせいぜいの日本人の発想を超えています。白人はそういうところがあるから、動物愛護しましょうってやんないとえげつなくなっちゃうのだと思いますよ。 ところで、私は最近知ったのですが、水族館のイルカショーのイルカって、例のザ・コーブで話題になった太地町のイルカ漁で捕獲されたイルカが使われてるんだそうです。わたしゃてっきり繁殖されたイルカが使われていると思ったのですが、イルカの繁殖は難しくてなかなか成功しないんですって。 ある日海を泳いでいたらとっ捕まって連れられて「お前は今日から芸を覚えてショーをやって生きていくのだ」ってやるのは、こりゃ立派な動物虐待だと思いました。繁殖したやつなら野生では生きていけないからそりゃしょうがないと思うけど、野生のイルカを捕まえるのはよくないですよな。もう私、イルカショーを楽しめなくなってしまいました。
- 山田 太郎(@f_a_007)
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訂正: X <具体的な歴史を紐解くなかで語る>ということになろうかと思いますよ。 O <具体的な歴史を紐解くなかで語る>の基本から逸脱することになろうかと思いますよ。
- 山田 太郎(@f_a_007)
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Q、捕鯨や闘牛問題と日本の動物愛護。 A、根底にあるのは人権意識の変遷・発達過程の違いにあるのでは・・・。 人権意識のあり方と動物愛護精神のあり様とは決して無関係ではありません。そういう意味で注目すべきは、日本における人権意識の未発達、後進性です。その原因は、ご承知のように明治維新の実態、性格にまで遡って解明しなければなりません。 明治維新以後に富国強兵策で一気に近代化を達成した日本。でも、人権という意味では旧態依然のまま。すべての成人男女による完全普通選挙が実施されたのは、ほんの70年前。戦後日本は、米国に寄り添う形で極めて高度な工業生産社会を実現しています。でも、この米国ってのは実は犬の殺処分大国です。米国は、工業生産偏重、資本重視で決して人権にも動物愛護に熱心な国ではありません。こうして、戦後日本も、人権意識の発達は道半ば。 動物愛護に関して論じる時、明治維新のあり方、戦後の米国の影響下での復興という日本の特殊性を抜きに語ると<具体的な歴史を紐解くなかで語る>ということになろうかと思いますよ。 >なぜそのように変わっていったのかと思いますか? <具体的な歴史を紐解くなかで語る>と答えに接近できるのではないでしょうか?
欧米諸国というかキリスト教圏で肉食≠悪な理由は、神が人間に食料として与え給うたものだからだそうです。進んてる遅れてるって発想ではなくて、完全にキリスト教的な観点で判断されているわけです。だからある意味、ISISとかと同じなんですよ。自分と異なる意見を認めず攻撃するっていう点においてはね。攻撃手段が物理的じゃないだけです。 ただキリスト教的発想だと、自然にいるものは神にしか生み出せない尊いものだが、養殖できればそれは人の手で作り出したものだから食っても良いってことになるので、この辺が欧米的動物愛護は恣意的であると感じてしまう原因になります。ほんとに命を尊重するんだったら野生だろうが養殖だろうが差はないはず。なんだかんだ言っても結局俺様基準かよって言うずるさが見えます。 なのでガチなベジタリアンからの批判には重みがあるけど、普通に肉も魚もバクバク食ってる連中から批判されても、「はぁ?何言ってんだこいつ?」としか思えないですね。