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急行さつまの博多回転車について

かつて東京~鹿児島間を2夜行で走破していた急行「さつま」ですが,編成の一部は博多止まりとなっていました。最後部の数両を途中駅で切り離すのは現在でもよく見られる光景ですが,さつまの場合,寝台車と寝台車の間に挟まれた中間の食堂車と1等車を切り離していたのですが,かなり複雑な作業になります。既に寝ている乗客の安眠を妨害してまでこのような複雑な編成にしたのは,何か理由があったのでしょうか。

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  • FEX2053
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回答No.2

ええと・・・その頃は「乗客の都合」は余り考えてないですよ。 急行「日本海」とかでも、新潟回転車が編成の前後にあって、 中間だけが青森行きって時代があった記憶が・・・。だいたい 混合列車ってのが昔はあって、客車を付けたまま貨車の 入換をやってた事もありましたから。 ヨーロッパでも、編成の中間だけ途中駅で抜くってのは普通 にあったようですし(宮脇俊三さんの旅行記に出てきます)、 鉄道の編成ってのは、鉄道側の都合だけで組成されている のが普通だった・・・と思っていいです。 「さつま」の場合、鹿児島に行くのは「ついで」でして、基本は 「東京発山陽行き」「大阪発昼行の九州行き」「九州島内夜行」 と多数の目的を持った列車でしたから、各々の性格に合わせた 編成にしたい、というのが主な理由だったと考えられます。

回答No.1

>中間の食堂車と1等車を切り離していたのですが 急行「さつま」には1等車は編成されていません。 この当時の旅客車の編成の基本は優等車の中を乗客が通り抜けないような編成にする事、2等車と3等車の相田に食堂車を配置することです。 >既に寝ている乗客の安眠を妨害してまで まだ深夜帯とは言えない時間ですし入換と行っても牽引機もここで後退なので機関車2台で行えるのでさほど複雑ではありませんし当時の優等列車の機関士の技量であれば安眠妨害とはならないでしょう。

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