法事の意味
法事の意味について質問します。
僕は法事(祖父の49日)が無意味なものに思えてなりません。
死んだ人間が喜んだり悲しんだりするとは思えず、そもそも神も仏も
いるとは思えません。死んだ人間に感情があると思う方、神仏がいると思う方、根拠つきでご教授ください。
坊主に高いカネ払って(しかも僕の地元では楽器を使うとか何とかで同じ宗派の寺から坊主が3人来ます)お経をあげる意義など一つも思い浮かびません。ちなみに30分お経を上げるのにかかったお金は30万円でした。いい商売だと思います。聖職と呼ばれる宗教家がそんなボッタクリの料金を取っていいのでしょうか?「それが相場だ」「どこもそんなもんだ」以外の答えをお持ちの方、ぜひお教えください。
その後会食をしたのですが、「供養だ供養だ」と言って酒をがばがば飲み、騒ぎまくる大人を僕はみっともない、ああいう大人にはなりたくないと思いながら見ていました。そもそも酒を飲むことがなぜ供養になるのでしょうか?ちなみに死んだ祖父は酒が大嫌いでした。
お開きになった後、母と祖母に「死んだじいちゃんにはもう何もしてあげられないんだし、してあげたとしてもそれは結局は生きてる者の自己満足なんだから無駄だよ。それに会食だって確かに久しぶりに親戚が集まって楽しいかも知れないけど、節度の無い人たちが多すぎるし、そもそもじいちゃんは酒が大嫌いだったんだから供養になんかならないよ。親戚同士会いたいならそれぞれで連絡取り合って、『久しぶりに会おう』とか言って会えば良いんだよ。だから新盆と1周忌以降の行事は無駄だからやめよう」と言いました。
そしたら母が「たしかにあんたの言ってることは正しいけど、正論が正しいわけではないんだよ。あんたはまだ若いから分からないだろうけど」とわけのわからないことを言われました。
僕は理論的に正しいことを言っているつもりです。なのに正論として受け入れられないのは、実はその人がまだコドモで、理論的な思考ができないからだと思います。
以上、生意気だと思われると思いますが、ぜひ法事の意味、意義についてお教えください。