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何のために他人の痛みを考えるのか?
よく「他人の痛みを考えるようにしなさい」と親に言われてきた。 だが、何のためにそれを考える必要があるのでしょうか? オスプレイ問題で、沖縄の人が怒っています。 しかし、沖縄の人の気持ちをわかってあげるわけにはいかない。 日米関係が壊れると、日本はどうなるかわからないから、 沖縄の人には辛抱してもらうよりない。 拉致問題も然り。 仮に憲法改正して日本が軍事行動をできる国になったとして、 たたったわずかな拉致被害者のため、日本が北朝鮮と戦争を するわけにはいかない。 拉致被害者の人には辛抱してもらうよりない。 要するに他人の不幸というのは、ある意味見てみぬ振りをする もので、どんな奇麗事言っても所詮は他人事である。 オスプレイが近所にきたら反対するが、他人のところならかまわない。 自分の幸せは、他人の不幸をさけてとおれない。 なぜ他人の痛みを考える必要があるのか? ただの社交辞令か?それとも、自分がいつか不幸な目に あったときに他人の情けをもらうためか? みなさん どーおもいます?
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正論だね。 よくぞ言い切ったと思うよ。 大抵の人間は、君と同じような事を「思ってはいても気付かないふりをする」ものだ。 今の尖閣、竹島の問題も然り。 「武力行使は止めよう」と言う人間を、非国民、在日、宗教家、理想家と罵り、「お前のような人間のせいで日本がダメになる」と言う。 まるで、それが「現実主義者」でもあるかのように。。。 しかし、その一方で、この質問が全てになるんだよ。 「憲法9条改正しろ」 でも、自衛隊に変わる強大軍事力は、自分の住んでいる街には置かせないよ。 「アメリカに頼らず、自国の事は自国で守ろう」 でも、自分は自ら兵隊になんて行かないよ。今いる自衛隊に任せよう。 「自国での武器や戦闘機開発はどうしよう?」 今の日本の電力状況で出来るかな?やはり原発でも動かすしか方法は無いよね。 「防衛費はどうなる?」 今の消費税で限界なんだ。何とかして増税無しでやってもらおう。 島を守れ、国を守れと言うくせに、その守り方が分からない。 それはなぜか? みな「他力本願」だからだよ。 だから好き勝手な事が言える。 「猫の首に鈴」ってことわざ、知ってる? こうしたらいい、あーしたらいいっては、口では何とでも言えるけど、いざ「誰がやる?」ってなった時に、誰も名乗り出るものがいないんだよね。 君の言っている事は、正論であり、人間の本能だ。 でも、哲学的観点で見れば、人間はそれだけでは無いと思うんだよ。 本能のままに生きるのが人間では無いのだからね。 「他人の痛みを考えるようにしなさい」 って言うのは、「痛みを与える以外の道を考えなさい」って事だ。 「自分自身の責任を考えなさい」って事だよ。 これが人間なのだから、と開き直って一つの道しか見えないでいるのなら、哲学を語る資格は無いと思うよ。 >なぜ他人の痛みを考える必要があるのか? みな、誰でも自分が可愛いし、自分の為に生きているものだ。 それはどこまで行っても変わらない事実だと思う。 でも、他人を不幸にする事だけが、自分の幸せを追求する事とは限らないんだよ。 君には少し難し過ぎたかな。 もう一度、よく考えて見たらいい。