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デモクリトスの心の眼についての発言

デモクリトスの心の眼についての発言 デモクリトスが「肉眼で見るものよりも心の眼で見ることのできるものの方がはるかに真であり美である」といったことは有名で、よく引かれますが(さきごろパラリンピックの儀式でも触れられたそうです)、出所はどこにあるのでしょうか。 またギリシア語(あるいはラテン語)の言い方を知るには何をみたらいいのでしょうか。 原文でも、また何を見たらよいか、あるいは引用句辞典への参照でも結構です。 お教え頂けたら幸いです。ディールス=クランツ ソクラテス前断片集 で指摘して頂いたら、一番いいのですが・・・ あるいは抜粋集でもいいのですが、断片番号がついていたらそれも是非お願いいたします。

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回答No.1

日本人が、心眼、という言葉を使う時、感情や思惑の、心、で見る。ではなく 、感情や思惑の心を滅した眼で、真、を見る。真眼、あるいは、知恵、で見る。の意味合いになるのでは。語源は仏教思想なんですかね? 西洋哲学が、神をもまごう知恵、と評する。古代ギリシャのプラトンには 、哲学者の名に恥じる、行為?の記録があるようです。 デモクリトスというのが大変な知恵者だったようで、 プラトンは彼の知恵を怖れ。デモクリトスの書を買い占め、出回らないようにした。というのです。 プラトンが怖れた、デモクリトスの知恵考え方とはどんなものだったんでしょうね。 鍵となるのは、デモクリトスはインドに遊学し、インドの修行者と交わっていた。との経歴がある。 との記録がある、と云う事ではないでしょうか。 話しはそれますが。遊学した(私が見た本にはそう書いてありました)とは。古代インドが ギリシャ哲学の本家であった。ともなりますよね。 そう考えると、古代イギリシャの多神教、神々の説話(神話)を信仰の拠り所とする、のはヒンズ-教 と同じであり。プラトンの哲人政治、幼い時から、指導者となるべく特別教育をして、哲人を育て、 期間をきり、罰、として。君主を担当してもらう。はインドのバラモン階級の創設を意識していますよね。 西洋の歴史の中で、古代ギリシャは、異常と云えるほど(知恵、知能が)突出している。と言われる 、謎、の答え。にもなりそうです。 さて、デモクリトスはインドに行って、何を学んできたのか。当時のインドは、既に、釈迦の仏教の時代になっており、交わった修行者は、仏教修行者ではなかったのか?。 ギリシャ哲学は、アリストテレスの形而上学により、完成=終焉、となったようですが。 同じ時代に、執着を捨て、今、だけに生きる、まるで仏教修行者、樽の中の哲人、デイオゲネス、が登場しています。デモクリトスからデイオゲネス、というのが。もう一方のギリシャ哲学の頂点。だったのでは。 こちらも後が続なかったようです。 有名な?デモクリトスの発言。ですが。 デモクリトスが、心なる実態は存在しない(縁によって想起するだけ)心の対極が知恵であり、 心が想起している時は知恵は起きない、知恵が想起している時は心は滅されている。 心=知恵 であり。心×知恵=単位 という釈迦の考え方を持ち込んでいたなら。 心とは、知恵、の意味で、する釈迦の思想を持ち込んでいたとすれば。 知恵によりて見る(理法に照らして見る)意味を、抑えての?発言なのでは? 少し、大夫、ずれた回答になってしまったようです。

pupuprince
質問者

お礼

 詳細なご説明ありがとうございました。デモクリトスは注目すべき説をむかしに主張し、他の思想とも呼応していることがわかりました。  ただ問題のことばが、断片集に確認できるかどうかが、まだ問題で、そうでなければデモクリトスの言葉ではないことになってしまいます。自分でもさらに調べてみたいと思います。またご教示頂けたら幸いです。