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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:いじめについて議論するとき)

いじめについての議論と自己保身

このQ&Aのポイント
  • いじめについて議論する際に、自己保身や他人事の姿勢が目立つ。
  • いじめに関する相談に対する回答があるが、実際に行動する人はほとんどいない。
  • いじめの解決について考える人は少なく、結果的に議論は遊び半分になっている。

質問者が選んだベストアンサー

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  • 05051036
  • ベストアンサー率22% (114/508)
回答No.3

噛み合ってないな…。 >当事者ではなくなっているのではないでしょうか。 >そのようなことが起きている環境にいる人は”当事者ではない”とはいえないと私は思います 私もそう思います。 私が言ってるのは、質問者様が『棚に上げている』と感じる人はそういう環境ではないのではってことです。 >・第3者はわざわざ議論に参加しようと思わない。 >第三者をはじめから無関係として扱っていること自体に疑問があります 質問文にある『自分達第三者を議論からはずして』の考察なんですから。 本人の主観では加害者でも被害者でもなく、イジメの現場を見たこともない人なら、いじめ問題への関心なんて大して持たなくてもおかしくはないでしょう。 それを問題だと感じたって、現実がこうなんだと思います。 >加害者側の言い分が取り上げられないのは、 >その大半が言い訳や自己保身、責任転嫁に聞こえるというのが理由だと思います そのような色眼鏡で見ているからでは? 容疑者と書いた理由を今一度考えてみて。 >いじめを悪いと思っている(反省している)という態度で >意見を書く人を私は見たことがありません 言うまでもないことだからいちいち書かなかった。それだけのことでは? あとは、イジメと認定されたことを納得していないか。 >該当しない事例のいじめに合った人からは到底受け入れられない意見だと思います じゃあ自分のことではないんだな、そういうパターンもあるんだな、と冷静に受け取ればいいだけの話。 それができないなら議論に参加する資格はないでしょう。 議論ではなくいじめの相談だとしても、なにぶん相談文だけでは分からないことがあったり、怪しい点が浮上してきたりします。 そこをはっきりさせないとなりません。 本人にそのつもりがないとしても激しい恨みを買っておりイジメはその報復である可能性があります。 にもかかわらずいじめる側が100%悪いなんて考えで話を進めたら悪化させかねません。 リアルでの相談なら被害者本人に問いただすのではなく自分なりに調べたり第3者を挟んだりしますが、ネットでは相談者自身にしか言葉を投げかけることはできないのですから。 >ただ、誰が一番悪いか、責任を取るべきなのは誰か、原因を作ったのは誰か イジメていい理由にはならない、という発言がその最たるものでしょうね。 虐めたいという気持ちがどのようにして芽生え抑えが利かなくなったのか、平和的にその気持ちを昇華するにはどうしたらよいかという意見すら、イジメていい理由にはならないと切り捨てられています。 >自分が一度「当事者」でなくなったらとたんに関心を失って忘れてしまう >そしてどこかでいじめが起きても、自分が当事者でない限り関心を示さない そしていざ当事者になったら、自分が経験したパターン、立場で全てをくくってしまい、反論は正当化の屁理屈と一蹴。 これが感情的な言い争いの原因では。 思ったのですが、対策としては『イジメ』という言葉を使わず、やったこと、されたことを明確にしてはどうでしょう。 相談者様が言うように定義があいまいだからこそ齟齬が生じ収拾つかなくなるのですから。 あと、話し合いはどのような顛末だったか? 無視できなかったのか? この2つを調べてはどうでしょう。 私が経験した『イジメ』は、いずれも話し合いや無視では平和的な解決が困難でした。 しかしイジメ問題の議論でこの2つを掘り下げたものはほとんどなく、『それをせず虐めるんだからバカだカスだクズだ』と切り捨てられています。 そして世の中にイジメは今もはびこっています。

__twilight__
質問者

お礼

>私が経験した『イジメ』は、いずれも話し合いや無視では平和的な解決が困難でした。 私の場合も同じような状態でした いじめの議論といっても 中身のある話し合いはほとんどなかったので、 意味のある話し合いが出来てよかったと思います

__twilight__
質問者

補足

>そのような色眼鏡で見ているからでは? 加害者という立場で意見を言えばそう思われるのが相場です いじめをしたということに対する反省の態度などがなければ そのように思われても仕方がないと思います >じゃあ自分のことではないんだな、そういうパターンもあるんだな、 >と冷静に受け取ればいいだけの話。 問題は「いじめられる側が悪い”場合もある”」という表現で 意見を書かない人が大半ということです 「いじめられる側が悪い」という表現では 「100%悪い」という受け取り方をする人が大半です >いざ当事者になったら、自分が経験したパターン、立場で全てをくくってしまい、 >反論は正当化の屁理屈と一蹴。これが感情的な言い争いの原因では。 自分自身の経験がその人にとって唯一の現実であって真実なのですから それを否定されれることは到底受け入れられないでしょうね 「いじめ」と一括りで言ってもいろいろなパターンがあり その実例のひとつなのですから、安易に否定すべきではないと思います

その他の回答 (2)

  • 05051036
  • ベストアンサー率22% (114/508)
回答No.2

棚に上げる…というより、当事者ではなくなっているのではないでしょうか。 かつていじめられていた、かつていじめていた。といった具合に、その人にとっては過去形だからだと思います。 現在進行形でイジメを受けているか? イジメを行っているか? イジメが横行している集団に属しているか? そこら辺を明らかにした方がいいでしょうね。 ちなみには私は、今では全くの無関係です。 >現実にそれを行動として行っている人は皆無に等しいと思います 同意です。 よく、徹底的に抵抗したら終結したとか武道を嗜むようになったら終結したなんて話を聞きますが怪しいです。 私の場合、武道ではないが運動部に属しており、抵抗のための乱闘どころか口論すら不祥事と見なされ(こっちがイジメ加害者として処理されたことすらあった)他の部員や顧問の教師からも目の敵にされました。 『無視できず暴力振るったほうが悪い』『不祥事を起こせば部全体に迷惑が及ぶ』という考え方自体は普遍的である以上、私のように抵抗したくてもできない、抵抗したら悪化したという話はもっと出てきてもおかしくないと思うのです。 本当に抵抗や武道で解決になった人はどのようにして足かせから解放されたのか? そういう話は見た記憶がありません。 相談者様は他の回答もそういった非現実的なところを感じたのでしょうか? >「いじめられる人」と「いじめる人」だけが議論に登場する ・印象に残ってるのはその2者のみ。 ・手口が巧妙で、実際にイジメが行われていたとき第3者は気づいていなかった。 ・傍観者も加害者であるという考え方に基づき、第3者も「いじめる人」としてくくられている。 ・想定してるイジメはクラス全員で一斉に行う陰惨なもので第3者というのが存在しない。 ・第3者は本当に無関係だと考えている。 ・第3者はわざわざ議論に参加しようと思わない。 というのが考えられます。 >結局は遊び半分で悪人を吊るして批難したいだけで 遊び半分とは思いませんが、かつて自分を虐めた加害者や味方してくれなかった第3者や教師や親に対する恨みが爆発し冷静ではいられなくなっているのだと思います。 そして、議論の場に登場した『いじめられる側に(も)問題がある(場合がある)』といった意見を述べるものや元加害者と自称するものを仮想的にして、虐められていた当時の自分が知らなかった権利やうまい言い回しを駆使して攻撃しているのではないでしょうか。 >このように、他人事でしかいじめを考えられない人が多いから 容疑者(加害者)の言い分を公正に取り上げず、いじめられる側に問題があるという考え方を頑なにタブー視して加害者の言い訳と一蹴することこそいじめが無くならない(解決にならず悪化する)原因ではないでしょうか。 自分だけの主観でヒステリックに語る元被害者が議論をまぜっかえしてしまい、現実的な分析や対策が取りにくくなってしまうのかもしれません。

__twilight__
質問者

補足

>当事者ではなくなっているのではないでしょうか。 いじめの定義は結構曖昧なものだと思います 本当にいじめをなくそうと思うのならば 嫌がらせや悪口、いたずら、差別や贔屓、孤立など いじめの前段階の状態からいじめを意識することが 必要だと私は思います なので、そのようなことが起きている環境にいる人は ”当事者ではない”とはいえないと私は思います >相談者様は他の回答もそういった非現実的なところを感じたのでしょうか? 確かにそのような実現不可能、または実際に試してもいないのに 机上の空論でアドバイスする人は多く そういう意見は、議論の参考にはあまりならないと思います それ以外にも、実現可能で実際に効果がありそうな案が出ても 日々の生活の中でそれを実際に実行している人がいるのかと疑問に思います どんないい案も実行に移さなければ意味がありません 議論に満足して、口先だけで終わっているということが非常に残念です >・第3者はわざわざ議論に参加しようと思わない。 他の例は確かに納得がいきますが上の例に関しては 第三者をはじめから無関係として扱っていること自体に疑問があります そのように無関係・無責任を自己判断して見ぬ不利知らぬ不利をするのが いじめを黙認する原因であり、いじめが終わらない原因だと私は考えます >(前略)…攻撃しているのではないでしょうか。 そうですね そして、それを楽しむためにあえて いじめられた人たちが気に障る様な意見を書く人がいるのも事実です >容疑者(加害者)の言い分を公正に取り上げず 加害者側の言い分が取り上げられないのは、 その大半が言い訳や自己保身、責任転嫁に聞こえるというのが理由だと思います いじめを悪いと思っている(反省している)という態度で 意見を書く人を私は見たことがありません >いじめられる側に問題があるという考え方を頑なにタブー視して加害者の言い訳と一蹴する 加害者の言い訳というより、 上記の「非現実的な回答」で被害者自身が解決しないのが悪い というような意見が出てそれを否定されているの状態だと思います また、すべてのいじめにおいて当てはまる事例でもないため 該当しない事例のいじめに合った人からは到底受け入れられない意見だと思います >現実的な分析や対策が取りにくくなってしまうのかもしれません。 いじめの議論では被害者も加害者も第三者もみんな感情的になっています 少なくとも冷静に熟考した上で意見を書いている人はほとんどいないと思います ただ、誰が一番悪いか、責任を取るべきなのは誰か、原因を作ったのは誰か それだけを言い争い、罪の着せあい、責任転嫁、それが繰り返されるだけです 以前「いじめの解決のために何ができるのか」という質問を書いたことがありますが 回答はほとんど得られませんでした いじめにあった人も、いじめた人も、それを見ていた人も 結局いじめについて何も考えていないのではないでしょうか 自分が一度「当事者」でなくなったらとたんに関心を失って忘れてしまう そしてどこかでいじめが起きても、自分が当事者でない限り関心を示さない いじめに対する無関心、これが一番の原因だと思います

  • 7TTT7
  • ベストアンサー率15% (11/70)
回答No.1

人間ってのは人を見下したり自分は関係ないと思わなければ生きていけない物なんです。なのでいじめなんか無くなるわけが無いというのが私の考えです。

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