理不尽さについて
この世界で人間として生きていると、
たくさんの理不尽なことに遭遇します。
多くの人はそれに気付きながらも、半ば諦めたかのように
受け入れざる得ないというのが現実ではないでしょうか。
ジタバタしてどうにもならないからこそ理不尽なわけで、
どうにかなるなら、それは理不尽でない。
例えば、不可抗力による事故。
生まれながらにして不遇の環境など、中には、
そこから脱する人もいるかもしれませんが、
数として考えてみたときに、果たしてそれらは
多数を占めるかというと疑問があります。
そういった不遇の理不尽さに負けて、下を向いて生きることは、
人生を楽しめないというのは理解できます。
しかし、その理不尽さをどうしても受け入れることができない場合は
確かに存在します。
そういう境遇の人たちが、理不尽さを理由に理不尽な暴挙に出たとき、
他者はそれを批判できるかという質問です。
ここで、断っておかなければならないのは、
それが、先天的理不尽さである時に限る場合です。
自ら招いた後天的な理不尽さとは異なります。
先天と後天の違いは不明確で、
それがどちらかを決定することは難しい場合もあります。
しかし先天的不遇は確実に存在すると思います。
生まれながらにして、貧困、戦場、生活環境、身体的障害など
自ら望んでいない環境と境遇と運命にある人が、それに耐え切れず、
より恵まれた環境にある者に嫉妬し暴挙に出ることは許されるのでしょうか。
許されないとしても、その行為そのものを批判できる道理はあるのでしょうか。
お礼
やっぱりそうですよね 解答ありがとうございます