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誕生させてやれなかった子の供養
はじめまして、よろしくお願いします。 2か月前までお付き合いしていた女性がいました。その人とは、結婚を前提にお付き合いしていましたが、相手側に好きな人ができたと振られました。 私とその人の間には、小さな命がありましたが、周囲の猛反対を受け中絶せざるお得なく・・・ それでも、私と彼女はあの子のためにも、結婚しようと努力していましたが、彼女が4月に就職し職場で新しい男性とお付き合いしたようです。 私にとっては、世界一大切な人との間のこども・・・生んでもらいたかった。 彼女には振られてしまいましたが、私には大切な子には変わりが無く、行ける時にはまだきちんとした供養はできていませんが、彼女と行ったお寺に参拝しています。 彼女からは別れのメールで「さようなら」とだけ来て以来、メールも届かなくなりました。 一緒に参拝した時に話した、水子地蔵を建ててあげよう。その言葉を私はずっと持っています。 別れたとしても、あの子の父親であることは間違いなく、しかし、私独断で行っていいものかと迷っています。ソーシャルネットワークを利用して、彼女にその旨のメールは送りましたが、別れて以来、彼女はログインしていないようで、どうしていいのかわからないのが現状です。 皆さんのアドバイスをいただきたいのは、私単独でどこまで行っていいのかということです。 彼女から、あの子のことはもう忘れたとか何でもいいから返事が来れば道も見えると思うのですが、手紙を出してもなしのつぶてなので・・・ よろしくお願いいたします。
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- shokohin
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子供さんは何の穢れもなく澄みきった心のままなんです で、還るべき所(幸多き所)へ還って往かれた そこで生まれて貴方を照らしておられるのです ですから供養(追善供養)の必要はありません 貴方が子供さんになにかをするのではなくて、貴方は子供さんに導かれる(照らされている)存在だということです 彼女からの返事がないのが、彼女からのメッセージです 辛いし、時間がかかるとは思いますが 貴方がしないといけないのは、彼女への執着(煩悩)を捨てることです 貴方が迷っていることは、貴方の子供さんが悲しむことなんです 貴方の心が解放されたときが子供さんが本当に喜ぶときなんです 自分がなにかするのではなく、子供さんの呼びかけに気付いていくことです
- peri1005
- ベストアンサー率33% (610/1798)
亡くなった子供のことを思えるのは父と母だけです。そしてまた子供も父と母のことを思います。 父と母が気持ち一つに供養するきもちを一緒に表せれば本当はいいことなんですけど、世の中には事情があって父と母が別々になってしまうことがあるものなんです。人生とは一人一人が歩んでいくものです。夫婦であっても個々の意思が寄り添ってこそ成り立っていけるものです。 たとえ別々になったとて、供養の気持ちがあるなら一人でも気持ちを向けてあげることが大事です。このことは母親たるもの、けして忘れようと思っても忘れることは出来ないことなんです。今の境遇において何かをしようとしてもできないこともあるのです。 相手と連絡が取れない以上、どうしようもないことですね。全ての事をまずは忘れて先に向かいたいという気持ちがあるのでしょうが、たぶん心の奥底では苦しんでいると思います。連絡を取ればかつてのことを思い出してしまう。それも苦しいんです。一緒になりたかったのは事実なのですからね。無理やりにでも諦めなければならなかった悲しみは大きいのですよ。彼女の心を察してあげてください。 水子地蔵を建てたいというならそのようにすればいいです。お寺さんに参拝を続けていくのでもいいです。父の思いは届きます。そして思いが届いた子供は母も呼ぶのです。貴方には気づかないところで直接呼ぶのです。その声に耳を傾けられたとき、彼女は応えてくることになります。ずっと先でもです。 ただ一人で気が済むまでがんばって続けて行ってください。そしてお寺さんの本尊の前にていつか母親である彼女も、何かしらの形でどこかで子供に対する供養ができるように祈ってあげてください。今、貴方ができることはそれだけだと思います。
- kangaroo05
- ベストアンサー率20% (27/133)
要するに、元彼女との間にできた子供を下させた。その供養をどうしたらよいか。しかし、あなたは彼女のことも気になる。 彼女は強くいきてますよ。だから、あなた単独で、水子地蔵をたて、供養したらどうですか。
- fujitapari
- ベストアンサー率20% (240/1199)
親父です。 貴方が、そうすることで心が休まるのなら、貴方の判断でそうすればよいと思います。 彼女にとって、貴方と子供の事はどれだけの物かわかりませんが、もう忘れたい事かもわかりません。 良い思い出の部分もあるでしょうし、辛い事も有ると思います。 無理に彼女の気持ちを、問う必要はないと思います。 過去の経験を活かして、これから先の楽しい人生に向かって行ってください。
お礼
ありがとうございます。 そうですね。自分の気持ちで行動することにします。
初めまして。 こちらこそ、よろしくお願いします。 女性を中絶まで追い込んでも、素知らぬ顔をする男性も多いのに… 質問者様は優しく思いやりのある方ですね。 供養とは何か、どんなことをしたら供養になるのか、これまで私も何度も考えてきました。 (私は、当時10代の子どもを失った経験があります。) このサイトで何度か紹介させてもらったことがある歌を、あなたにもご紹介しますね。 以前、ある新聞で見かけた「季のうた」です。 秋山さんという女性が詠んだうたですが、それを村上譲という方が紹介していたものです。 以下、記事の原文のままです。 ご覧になって下さい。 *~*~*~*~*~*~*~*~*~*~ 『供養とは 思い出すこと 春の雪』 (秋山真由美) 降るそばから消えて積もることのない春の雪を見ながらの感慨だろう。 真冬の南国には少ないが、春になってよく降るのが淡雪である。 何となく哀れを誘うその白さに触発されて、思い出すのは故人たちの面影であった。 供養とは、仏・法・僧または死者の霊に供物を捧げることと考えていたが、思い出すだけでも供養になると気づいたのだろう。 いやむしろ大乗仏教では堂塔の供養より精神的供養を力説する。 *~*~*~*~*~*~*~*~*~*~ このうたを読んでから、私は気が付きました。 お墓参りをしたり、仏壇にお参りしたりすることだけが供養ではないのだと。 水子地蔵を建てたいという、質問者様のお気持ちはお察しします。 それはお墓と同じように、とても意味があるものでしょうから。 でも、それは彼女とあなた、両方の意思があってこそのもの。 ご質問を拝読した限り、彼女にはその気持ちがないように、私には思えます。 質問者様は、もう十分供養されているのではないでしょうか。 そして、これからも、そのお気持ちは続くはずです。 だから、この世に生を受けられなかったお子さんに、そのお気持ちは伝わっているはずです。 上記のうたのように、形よりも気持ち、これが一番の供養になるはずだと、私は信じています。 どうか、少しでも心穏やかになれますよう、心からお祈りいたします。
お礼
供養とは・・・私はお墓参りや、仏壇に手を合わせるなど、何か対象物に対して行うものだと今まで思っておりました。彼女とやり直すとかは、さらさら思っていませんが、彼女が「本当に存在した証として地蔵を建てたい」と言っていたものですから、気になっていました。 いまでも、財布にその子のエコー写真を大切に、毎日持ち歩いています。 振られたとはいえ、愛する人との子です。どんな形でも大切なことには変わりがありません。 教えていただいた言葉を胸に生きていきたいとおもいます。 ありがとうございました。
- michael-m
- ベストアンサー率50% (2724/5433)
忘れなさい。 彼女を愛しているのなら、彼女は心の奥にしまってしまいなさい。 彼女は忘れるために必死なのです。それを邪魔するのは彼女にとってどれだけ辛いものか そう考えれば道は一つです。 彼女はまた子を授かれます。それは生まれなかった子供かもしれません。 でもそのときその子は貴方の子ではありません。 魂は同じでも、この世でなすべきことが全く異なるのです。 生まれなかった子は、その時点で役目を終えています。この世に触れず純粋無垢な状態ですからそのまま魂の世界に戻ります。 貴方が忘れないでいることは、そのことにも邪魔をする事になります。 なぜ人が次第に亡くなった人のことを忘れていくのか、それは旅立ちが成った証なのです。 皆新たな出発を果たしているのに、貴方独り取り残されています。 生まれなかった子は、そのほかの魂と同じようにして、供養するのが最も良いことなのです。 きちんと旅たつことができ、貴方がきちんと心の奥にしまうことが出来れば、ひょっとしたら貴方の元にその魂はやってくるかもしれません。だから将来生まれた子はしっかりと育てることが大切なのです。
- iapetus
- ベストアンサー率60% (248/413)
彼女にしてみれば、子供はイレギュラーだったんでしょう。 悲しいかな、彼女は、子供に対する捉え方が、常識的な線より、割り切りができてしまっているというか、少しドライなんだろうと思います。 かつて愛した人との子ではあっても、今愛している人との子ではない。 彼女は、その彼との人生をやり直すために、宿した命が法的に人となって対処できなくなる前に、何とかするしかない、と考えたのでしょう。 主さんの立場からすれば、愛する人に宿った愛すべきわが子だった。 けど、女性にとっては、妊娠・出産とは、まさに命がけの行為なのであり、体にも大きな負担と変化をもたらす、一大事なのです。 母・子との抗原抗体反応が重篤であったり、血液型の不適合であったり、出産時の難産や大出血で亡くなる人は、少なくありません。 また、女性にとって、経産婦であるか否かということは、男が想像する以上に、大きな問題なのです。 かといって、主さんにも責任が無かった訳ではないと思います。 いくら結婚を前提としていたとしても、一寸先は何が起こるか知れないのが人生です。 時間を遡れない以上、詮方ないことではありますが、下駄を履くまでは、男が主導して避妊をすべきでした。 大変厳しいことを申して恐縮ですが、それを怠たり、直接放ち命を宿してしまったことは、やはり男の責任が大きいと私は考えます。 デキ婚という言葉で婚前妊娠が受忍される世間になって久しいですが、やはり順番は守られるべきでしょう。 父母の都合でその子がこの世に生を受けられなかったことは、実に不幸なことでした。 でも、もう、その子が還ってくることはありません。 その子のことを思えば、彼女に本供養に参加してもらうことは、客観的にも理想ではありますが、彼女を過去に引き戻すことが得策とも思えません。 供養は、主さんだけですればよろしいと思います。 なぜなら、彼女は、新彼にそのことを伏せている可能性が高いからです。 きっと、その子の供養は念頭にあるけれども、忘れたいと願い、記憶の片隅に追いやって、黙っていることで新彼に罪悪感を抱き、自分の心を騙して暮らしていると思います。 もし、いつしかそのことに気づき、真摯に向き合えれば、彼女の方から供養をしたいと言って来るでしょう。 それまで、その事に触れるべきではないと思います。 主さんがしなければならないことは、 「その子」を野辺送り 元カノを諦め 新しい恋を見つけ 元カノの記憶が埋め尽くされるくらいの恋に育て 結婚し 次に生まれ来る子を「その子」の分まで愛すること ではないかと思います。 どうか、その子の死を、振り返る人生の源とするのではなく、前向きな人生を送るための経験とされますように。
お礼
下ろさせたわけではないです。彼女の御両親にも土下座しましたが認めてもらえず、二人で話し合った結果そのようになったということです。誤解のないように釈明しておきます。