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水子の供養について。
1年前の4月10日に訳あって中絶手術をしました。 いろんな思いを抱えて1年過ごしてきましたが、供養とかってどうするべきなんでしょうか? するべきだ、しないほうがいい、と過去の質問には真逆の回答がされていたので正直迷っています。 するとすればなにをしてあげるべきなんでしょうか? 近所に中山寺があります。 そこのお地蔵様に手を合わせるだけでも供養になるんでしょうか? 中絶に関してのご意見は理由も知らない人にとやかく言われたくありませんので、なしでお願いします。
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葬式にしても、法事にしても…それは、亡くなった人というより、残された遺族のために行われている祭礼ですよね。 供養というのも、亡くなった人とっては、現世の我々が具体的にどうすれば…というのは科学的に立証されていませんから、お地蔵様に手を合わせて亡くなった人の冥福を祈り、これからの自分の幸せを祈るのでも良いような気がします。 ただ、法事などの祭礼の形を取ることによって、人の心ってある意味暗示にかかり意識を強化できますから、自分一人で手を合わせただけでは不安というのであれば、何らかの形のものとして、供養の祭礼をお寺などでしてもらうのもアリだと思います。 辛い思い出としてあなたの中に残っているのであれば、お寺や神社などでの供養をお願いして、それを機に…あらたな気持ちがもてるかのうせいがあるのですから、やってみてもいいと思います。マイナスにはならないでしょう。
供養とは与える事ではないでしょうか。 与えようとする純粋な気持ちで、後生に幸いあれとお祈りされるならば、それだけで立派な供養ではないでしょうか。 形式に拘らなければ、それだけでも宜しいと思われますが 仏様の導きをもって、さらに確かなものにとお思いでしたら、僧侶の方にお願いするのも良い方法だと思われます。 ただし、仏様への信仰心が無く、疑心暗疑の心のままに依頼する場合には不安があると思われますので そうした場合には、僧侶の方でもなるべく親しみを持っている人に依頼されたほうが良いと思われます。 仏様にも僧侶の方にもご縁が薄いといった場合には、水子地蔵や観音様などに水子の霊の善導を託す気持ちで直接お祈りされてもよいと思います。 たとえ小さな真心でも必ず受け止めてくださると信じてお祈りしてみてください。 また、一度ならず、気がかりになられた時には、その都度お祈りをされたら宜しいと思います。 折にふれて、もういいのだよ安心して、というようなサインをお受け取りになられるといった事もあるかもしれません。 そうした事があった場合には、それはそれで自然な事としてお受け止めになり安心されたら宜しいと思われます。 ご参考になさってください。
水子供養のお寺に3千円から供養してくれました。水子地蔵はピンきりの様で5千円から3万円のようです。 でもやはり気持ちの問題ですので、水子地蔵でお参りだけでも違うと思いますよ。