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秀吉の肖像画
派手好みの秀吉にしては、地味な装束のようです。 「白」に何か特別な意味がありますか。 例えば、関白太政大臣を表すとか…、実は秀吉の好みの色だったとか…。 袖口に赤いものが見えますが、この装束は「重ね着のかさね色目」なので、これで結構おしゃれで、派手なのでしょうか。 ちょっと、気になったので質問しました。 よろしくお願いします。 大阪市立美術館所蔵「秀吉像」 http://www.museum.city.osaka.jp/flat/a/GrandChildCommentPrint.cgi?no=060302
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上級貴族にのみ許された 冠(垂纓繁文) 直衣(白地浮線綾文) 単(紅) 指貫(鳥襷文) これではないでしょうかね http://genjiito.blog.eonet.jp/default/2012/07/post-71d0.html 光源氏が40前後の准太上天皇となったころに着ているらしい。 ほかは柏木や男宮などの最上級。 http://www.osaka-art-museum.jp/special/past_18_osakajin_tenji.html 慶長5年の6月の 讃 が見えます http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E6%B0%8F%E7%89%A9%E8%AA%9E%E3%81%AE%E3%81%8A%E3%81%93%E3%82%8A 晩年、源氏物語を好んだそうです。
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- pri_tama
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この手の肖像画って年忌法要とかで、使う物なんで厳格な決まりを守ったフォーマルな姿になります。 (織田信長や徳川家康の威厳を正した装束での肖像画で黒衣が多いのはここに由来。) では、豊臣秀吉が決まりを破っているかというとそうでなく、このフォーマル規定には例外が有りまして、「雑袍勅許」という天皇の許可(皇族は許可が無くてもOK)があれば、一番フォーマルな装いを要求される皇居参内も直衣で大丈夫になります。 (天皇の突然の呼び出しに対して、直ちに参内できる様に普段着の直衣でもOKにしている。) 直衣には、当初色々な色が使われていた[源氏物語「花宴」では、並み居る人が黒い袍を着ている中、桜重ねの冠直衣で現れた光源氏の晴れ姿が表現されている)のですが、時代が下がる毎に冬は白の固地綾、夏は穀織(歳をとるごとに薄くしていき白色になる。)を使うようになったのですが。 遺族にしてみれば、故人に特別な特権が有った事は強調したい所でしょうしね…。 (信長は死後、家康は危篤後に太政大臣を贈られた訳ですし。)
お礼
確かに、年季法要の折に描かれたものでしょう。 回答を戴いてもなかなか理解できない部分があります。 「直衣」の意味からして分からないのです。 直衣とは、勅許によって着用が許された平常着で衣冠と形状はほぼ同じ、と辞書にあります。 この秀吉像は、笏を手にしているから「束帯」だと思うのですが、だんだん分からなくなってきました。 このURL「色彩と色目」には、pri tamaさんが仰るような説明があります。 http://www.kariginu.jp/kikata/5-1.htm ご回答をヒントにもう少し考えてみます。 ご回答ありがとうございました。
- tanuki4u
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妄想編 http://www.osaka-art-museum.jp/special/past_18_osakajin_tenji.html 慶長5年の6月の 讃 が見えます 源氏物語といえば、 光源氏と薫 実子でないが、源氏物語の後半の主役 この絵の発注者がだれかわからないが、北政所だったら 怖いなぁ
お礼
意味深! 座布団1枚! ホント、発注者はだれでしょうね。 画家は、狩野山楽とされていますが。 ご回答ありがとうございました。
こんばんは。 秀吉の死後の肖像画ですからね。 ついでですけど、ひげは付けひげで、はげねずみとよばれたのは 信長が秀吉の妻寧々にあてた手紙です。 秀吉の浮気を慰めている手紙に秀吉の事を『はげねずみ』と 記したものでした。
お礼
死装束の白ですね。 ご回答ありがとうございました。
- あずき なな(@azuki-7)
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死後に書かれた絵ですからね… ちなみにこの写真の解説に 秀吉は猿と呼ばれていた とありますが それは後世の創作です 文献では 秀吉が猿と呼ばれていた記述はひとつもありません 信長からは はげねずみ と呼ばれていたようですよ
お礼
死装束の白ですね。 ご回答ありがとうございました。
お礼
ご回答ありがとうございます。 秀吉と源氏物語がつながるとは、思いも寄りませんでした。 質問した甲斐がありました。 服装は難しいですね。 ご回答を参考に高校の教科者でも調べてみたのですが、よく分かりませんでした。 もう少し考えてみます。