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救急車を呼ぶことの重要性と課題
- 山形県に住む大学生が消防に体調不良を連絡し、死亡するという悲劇が起きました。相手との意思疎通が困難であったことや、費用の問題が浮かび上がりました。
- 体調不良の大学生がタクシーを進められたが、なぜお金を用意できるのか疑問です。未成年者なので親の保護が求められます。また、医学知識もないため状態を正確に理解できない可能性があります。
- 一週間以上続く体調不良にも関わらず、助けを求めたにもかかわらず放置されたことは大変遺憾です。このような状況から、日本では弱者すらも救えない社会になってしまったのでしょうか。
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質問者が選んだベストアンサー
山形市、市長、消防長の態度について、 非常に強い憤りを感じましたので、 回答になっていないとは思いますがお答えさせていただきます。 まず、大前提として市民が税金を納めているのは、 安心して生活できるような行政サービスを受ける為です。 その点において行政には生命を守る義務があるでしょう。 生命を守れなかった事実において市、市長、消防長には重大な責任があると私は思います。 百歩譲ってもし生命が失われてなければ、 今回の対応も理解できる点もあるでしょう。 しかしながら、 誤った判断によって生命が失われた事実を責任者が重く受け止めることがなぜ出来ないのか、 大津市のいじめ事件にもつながるような強い疑問と憤りを覚えます。 また行政側の酷い言い訳として、 請求者の状態を6項目について質問した上で救急車出動の是非を決定しているという話です。 担当者の対応に間違いがないため、 市長を含めた関係者は一応に謝罪を行わない態度だと聞きます。 たしかにタクシー代わりに救急車を利用するような輩が居ることも事実でしょうが、 救急車を出動させないようにすることで、 命が失われた可能性があるのでは本末転倒でしょう。 また、一般的にその6項目は認知されているでしょうか? 私は今回の事件が起こって初めてそのような対応を消防署が行っていることを知りました。 そのような一般性のない確認事項によって正当化できるほど、 救えた可能性がある命は軽いものなのでしょうか? 私は決してそのようには思いません。 人間は必ず失敗するものだと思います。 だからこそ、その失敗に目を向けて改善していく他ないと私は思います。 しかしながら、山形市ではどうやらそのような考えは通用しないようです。 残念ながら私には何も出来ませんが、 このような人間に政治を任せないように政治家たちの資質を見極めて選挙に行きたいと思います。 また、山形市では次の選挙がいつ行われるかわかりませんが、 現市長の行く末を注意深く見届けたいと思います。 ご参考下さい。