- ベストアンサー
子どもは人質?
みなさま、こんばんは。 教師をしているのですが、不思議だと思うことがありますので、皆様のご意見をお聞かせください。 学校に対して不信感を抱いておられる方の質問や回答欄には、必ずといっていいほど「子どもを人質にとられている」という言葉が出てくるように思うのですが、これがよくわからないのです。 書かれている方は、学校に対して文句を言ったら、子どもの成績に響いたり、担任を含めた教師から冷たくあしらわれたり、わざと嫌味を言われたりするとご心配されておられるのだろうと思うのですが、自分自身、そんな考え方今まで思いつきもしませんでした。 子どもを教え育てていくには、学校だけでも限度がありますし、ご家庭だけでも大変だと思います。 子どものことを第一に考え、できるだけ良いと思える環境を与えることは、大人として当たり前のことです。 ですから、子どものためになっていないんじゃないかと思うことを言うのに、なにを憚る必要があるのかと思うのです。 根回しをしたり、何人かでまとまって言わなければならないものなのでしょうか。 私も今まで様々なご意見を頂きましたが、言われて初めて気づくこともありました。 ただ、やはり人間ですし、自分なりに懸命に考えた方針で学級経営しておりますので、あまりに高圧的な話し方や、こちらの考えや方針を聞きもせず、要望だけを押し通そうとされる方には、正直腹が立つこともあります。 ですが、それは親の人間性の問題であり、子どもは別、それはそれ、これはこれ、です。 以上のように思うのですが、いかがでしょうか。 残念ながら、人間として恥ずべき者が教師になっていることもある現実には、憤りを越えて嘆きを感じておりますが・・・。
- みんなの回答 (12)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
先生がcolin-farrelさんのような方ばかりならいいのですが・・・。 実際には、教師をしている方の中には、colin-farrelさんとは違うタイプの方も多いのではないでしょうか? どうしても評価する側にいる先生に嫌われるようなことをするのは怖いと思う親御さんは多いでしょう。 自分の思うとおりにしない親御さんの子供に対して、個人的感情で成績や学校生活に影響させるような人もかなりいるのではないでしょうか? そもそも、子供が第一ということが建前ではなく、心底そう考えている先生がどの程度の割合でいらっしゃるのか・・・。 ご質問文にあるお考えには大賛成です。 まったくの同意見です。 ですが、自分の子供の担任を完全に信用できると感じられるようなケースを除けば、言いたいことをストレートに先生にぶつけるのは怖いと感じるでしょう。 それを表現する言葉が「人質」なんでしょうね。 親御さんが人質にとられていると感じないようにするには、先生を信用できると思わせるしかないでしょう。 日頃の先生の行動で「あ、この先生は真剣に子供のことを考えてくれている」と思われれば、そこに「人質」という感覚はなくなり、先生が自分と同じ側にいると感じるでしょう。 口で言うのは簡単ですが、大変なことだと思います。 colin-farrelさんだけでなく、多くの先生がそのように行動してくださるようにお祈りいたします。
その他の回答 (11)
- sponta
- ベストアンサー率26% (54/207)
短く回答します。 教室が密室なので、人質という表現になる。 ☆ 現状の根本的に教員の一番の目標は、個々の子供達の将来ではなく、教室の円滑の運営にあること。 そのことをすべての教員が認めるべきです。 だから、扱いやすい子を優遇する。 だが、扱いにくい子供の方が個として素晴らしい物を持っているはず。 その前提をふまえた上で、いかに個々の子供達と接していくかということ。いまの個々ではなく彼らの将来を考えて行動できるかということ。 木を見て森を見ずという諺がありますが、群ればかり見て個々に思いをいたさない教員が多すぎます。 学級経営などという言葉は糞食らえです。すべての個々を徹底的に見つめていく先に学級が見えてくるはず。 ☆ 人質などという揶揄に負けないで頑張ってください。
お礼
spontaさん、ご回答有難うございました。 経験者となっておられるので、教員の方なのでしょうか。 教室を円滑に運営するにあたって、扱いやすい子どもを優遇するだけでは不可能ではないでしょうか。 扱いにくい子どものほうが、個としてすばらしいものを持っているかというと、そうでないことも多々あります。 扱いやすいから好き、という感情も湧きません。 子どもはみんな、時として面白いことを言うし、する。 毎日爆笑ですが、それだけではいかんともしがたい。 将来を見つめた教育をするのは当然ですが、子どもはとても残酷な面を持っていて、こちらが輪の中に引っ張り込んでも、自分達で異端と感じた子を排除しようとすることがあります。 それを修正しながら、教室の中の全員を輪にして動かしていく、連帯意識や、あらゆる個を含めた世の中という認識を持たせることが、学級経営だと思っています。 ただ、学級経営という言葉は、子ども一人一人との関係がができてからの取り組みにあたるものが多いかと思いますので、そのあたりは省略して発言してしまったかもしれませんが。 >すべての個々を徹底的に見つめていく先に学級が見えてくるはず。 そういうクラス作りができればと、本当に思いますが、10人前後の学級でないと、今の実状では非常に厳しい。 現場を見ない文部科学省の方針に振り回され、ゆとりもへったくれもありません。 40人近い子どもを相手にしていると、一人と向き合おうとすれば、他の子に目が行かず、こちらとしても、ひどくジレンマに陥ってしまいます。 最近になって、限界を感じることが多くなってきたように思いますが、力の限り、頑張ろうと思います。
- 1
- 2
お礼
papa0108さん、ご回答ありがとうございました。 子どものことを第一に考えられなかったり、私情をぶつけたりしてしまう教師がいることは、とても残念なことです。 教員の不祥事をニュースで知るたびに、こういう人間のために、熱心に取り組んでいる他の教員の信頼まで損なわれてしまうことを考えると、腹立たしくてなりません。 自分が保護者の信頼を得ているのかどうか、なかなか知ることはできませんが、ご回答を拝見させていただく限り、今まで私にご意見を言ってこられた方が、例え辛らつなご意見でも、一対一で訴えてこられてくる方ばかりだということは、それなりに信頼されているのかな、と思いました。 言われた時は、さすがに動揺しますが、冷静になって客観的に振り返ると、言って頂いてよかったことがたくさんあります。 >口で言うのは簡単ですが、大変なことだと思います。 colin-farrelさんだけでなく、多くの先生がそのように行動してくださるようにお祈りいたします。 今の職場には、熱心な教員が多いです。 ですが、そういう教員ばかりではないことは確かです。 私も切にそう願っております。