- 締切済み
日本人女性記者の死亡のニュースについて
「ご冥福をお祈りします」と済ましてる人がとても多いけれど 何でそれで済むのか疑問です 普通、女性はそんな事に巻き込まれないように守らないのですか? この人たちの意味は「死んで残念です」っていってるのと同じです それは死んで当たり前だったような言い回し 殉職だったり、仕事だからそれで良いと 女性なのに死んで当たり前なんて平気で言ってる 何か必死に守ろうとしないのか疑問です 女性なんて最前線に立って盾となって犠牲になるような存在じゃないでしょう 守られる側であるはず そう、女性は誰からも守られていなければいけないと思います それが最前線で犠牲になっても男性がそうなった時と同じように平然としていられる そこがとても違和感があります ご冥福じゃ済まされない まずは守る人が最前線で守るべきだと思います とても苦しい 他の人もそう感じていて欲しい 女性が犠牲になる事が苦しいから何とか守られるようにして欲しい その女性がどんなに無茶を言い出して最前線に出ると言っても最後は守られて欲しい 男性と女性は違う なんで危険な場所に女性がいってるのを誰も止めないのか これは女性差別的発言ではないと思います 生物の本能 女性は守られる それが本能 それが破られるからこの焦燥感のようなものが
- みんなの回答 (57)
- 専門家の回答
みんなの回答
- phj
- ベストアンサー率52% (2344/4489)
#15です。再度補足有難うございます。 >逮捕される事と守る事は別 守りたければ逮捕されてでも守るでしょう 逮捕されるのがいやだから守ってあげないっていってるのは 違いますよ。逮捕されるのがイヤなのは「守れなくなるから」です。ですから女性を守って死ぬことも構いませんが、現実問題として私が死んだら誰が彼女を守るでしょうか? ですから、常にずっと、絶対に「守る」「守りきる」ためには、守るための権限がなければならないのです。 >守る人は権利が無かろうと守り続けるし、自由な人は義務をおったら自由でない それぞれ別 「自由」とはそんなに甘いものではありません。日本人女性記者は「自由」に戦地に行って亡くなったのですから、それを考えれば「自由」こそ保護には最大の敵だともいえます。 そして、女性を「守る」ために女性の自由を奪う制度はイスラム社会ですよ。現代の社会から見れば「女性の自立を否定する社会」と見られている制度をもつ社会です。 もちろんイスラム女性の中には「すべての面において守られているからイスラムはすばらしい」という人と「守ってくれなくてもいいから自由が欲しい」という二通りの考え方があります。 >まずその職業に就けなかっただろうし日本から出さなかっただろうし そうですね。簡単なことです。その職業のつけないように女性は職業を制限しましょう。いや、そもそもそういう職業があることがわからないように教育も与えないようにしましょう。女性が勝手に日本から出られないようにパスポートも発行しないようにしましょう。 あなたが言っているのは、そういうことです。この日本において女性を侮辱しているのはいったいどちらでしょうか。 男性であっても女性であっても、大人で在るなら「自由」であり、そのかわり選択の結果責任は自分で負うのです。 (男性でも女性でも)誰かが「守る」ということは、その守る人に守るられる人の行動を制限して結果としても守ることにつながる、そういう権利が与えられているのです。 一旦「自由」になった以上は守られないのです。守られることは女性の尊厳を侮辱し、そしてその人の「意思」を侮辱することになります。 きつい言い方ですが、質問者様は今回の内容で、亡くなった女性ジャーナリストの意思も人格も否定し侮辱していることにいい加減気がつくべきだと思いますよ。 私は、残念ながら彼女が亡くなった後ですが、彼女を「守りたい」からこうして書いているのです。
- china1
- ベストアンサー率16% (10/60)
こんばんは。 質問者様のおっしゃりたいことは以下のサイトに明記されてるものと 解釈してよろしいでしょうか? http://iwao-otsuka.com/enqb/res/expbiovalue1.htm
補足
難しいので理解できないのですが もしもジャーナリストを狙うなら男性にして欲しかった とっちだったらまだ悲しいで済む話だと思います 人質事件の時も女性だけでも解放しろと言います なんで命に係るここでは女性は死んでもいいのか疑問です
- phj
- ベストアンサー率52% (2344/4489)
#14です。補足ありがとうございます。 >>「守れるような権利」を男性に与えていただきたいということです。 権利がなければやらないようなものはいらない 自然と守るべき 代償を要求するのですか? 「代償」を要求しているわけではありません。個人的には「男性が守るべき」という考え方に賛成ですし、「守るために男は死ね」というなら(死んだ後誰が彼女を守ってくれるかは別として)死にます。 私がいいたいのは「自然と守ることは無理」ということです。もちろん説得に応じてやめてくれるなら、説得はしますが、この話は最初から「なんとしても守れ」という話ですよね。 すべての権利が男性と女性の両方あって、自分で航空券を買えて、パスポートを取れて、飛行機に乗られたら守るすべはありません。 「自然に守る」なら監禁するしかありませんし、空港に行かれてしまったら、縛るか手錠をかけて車におしこむしかないでしょう。 しかし監禁しても縛っても、それが女性を守る行為であっても、女性側に行く意思が強く「あの人は私を拘束してまで行かせないようにしている」と訴えれば、男性のほうが逮捕監禁の罪で警察に逮捕されることになります。 つまり「強制的になんとしても」という質問者様の望みは「自然に」することは不可能な社会ルールがあるのです。 これを超えて「守れ」、というなら「権利」が必要だということです。 >ただ守る側の要求 女性がしなれたら困るから要求しているだけ でも女性を守るのは義務であるはず これはありえません。義務には必ず権利が表裏一体でついて回るからです。もちろんその逆もです。 単に「守れ」それも「自然に」では守る側の負担ばかり大きく、そして実際には守ることが不可能になるから書いているのです。 どんなに男性が女性を守りたくても、現在の社会ルールでは出来ないものは出来ないんです。
補足
逮捕される事と守る事は別 守りたければ逮捕されてでも守るでしょう 逮捕されるのがいやだから守ってあげないっていってるのは みんなで守ろうとしていれば今回の事はおきなかったはず まずその職業に就けなかっただろうし日本から出さなかっただろうし 入国してもその場所にも出発できなかったはずだし 兵士も女性だけは撃たなかっただろうし 幾つにも安全弁があったはず 誰も守もらなかったって事 守る事なんてそうたいした事では無いと思います 日本は安全です そこでどれか上の一つが守られれば済むのですから そして死んだ後すら守ろうとしてない気持ちが前面に押し出ていて 詭弁と弁護ばかりで 義務と権利は違うものです 義務はしなければいけない事、権利はする事の出来る権利 する事が出来る事に義務を伴うならそれは権利ではないし 何かの権利がなければしない事は義務ではない それは取引 守る人は権利が無かろうと守り続けるし、自由な人は義務をおったら自由でない それぞれ別 そして男性も女性を守ろうとしていないでしょう 守ろうとしていたら、詭弁と正当化で逃げないし、ただ後悔の内容が延々と書き連ねられるでしょう
- phj
- ベストアンサー率52% (2344/4489)
かなり原則的なことを書きます。 質問者様は >女性が犠牲になる事が苦しいから何とか守られるようにして欲しい その女性がどんなに無茶を言い出して最前線に出ると言っても最後は守られて欲しい と書かれています。 ということは、女性以外の誰かが女性を「守る」ということをする必要がある、と言っているわけです。 それでよろしいですよね。 という事は、女性を守るために、今回であれば「戦場に行くのは禁止」と誰かが押さえつけてもいい、ということになります。それでも女性が行こうするなら、実力で拘束してでも行かさない、ということが必要になるかもしれません。 それが「守る」ということの本質的な意味になります。 さて、「守る」という行動、つまり女性が望む「意思」を無視して守るためには、体の拘束まで必要になる場合があるわけですが、これは許されることなのでしょうか。 また許されるとしたらどういう場合なのでしょうか。そして「守る」側にはどのような権利(保護権)が与えられるのでしょうか。 実を言うと、古代から多くの国で、また現代でもイスラム教の国ではこれらの権利を「父権(パターナリズム)」として与えています。 父権による「保護」は時代と地域によって違いますが、大きく分けると財産権と生存権を男性が管理することです。 今回のジャーナリストの場合は、最初から、女性に権利を与えていなければ防ぐこと(つまり守ること)ができただろうと思います。つまり女性が自由にできるお金を持たせなければ航空券が買えず、生存権のひとつであるパスポートも父権者の同意がなければ発行しないという仕組みにすることで女性を守ることができただろうと思います。 極端な例ですが女性の意思が強固であればあるほど、保護者も強烈な手段を講じる必要があり、そうしなければ守ることはできなくなってしまいます。 イスラム法の国家では「父権」がいまだに生きており、質問者様の主張と同様「女性と子供は絶対に守られるべき」であるため、女性に財産権もなければ、運転免許証も取れない地域もあるのです。 これが「守る」「保護する」ということの本質です。 男性が守る側、守る責任を負う側で在るなら「守るための権利」を与えていただかなければ困ります。すべての人が平等で、自分の望むように判断し、そのとおりに実行できる、というならとてもではありませんが「守ること」はできません。 現代の日本でもこのような父権主義的な法律はあります。たとえば自動車に乗るときのシートベルト、子供たちを座らせるチャイルドシートなどです。これにより、乗員の犠牲やなにより子供の犠牲が少なくなります。 しかし「少なくなる」では子供を守れないというなら、たとえば12歳以下は自動車に乗るのを禁止、することになるでしょう。そうすれば「自動車事故で同乗中に亡くなる子供」は確実に0になり、子供を守ることができるからです。 歩行者や自転車での事故をなくしたいなら、同様に12歳以下の子供が歩行することと自転車に乗ることを禁止すればいいわけです。 こうすれば、子供が死亡する事故は理論的に0ですから、完全に子供を守ることができるわけです。 どうです。むちゃくちゃでしょう。 しかし「守る側」が責任を負う、ということなら、こういうことまで考えなければなりません。「守る」というのは非常に難しいことなのです。 ですから子供の場合は学校や保育園等・家庭そして託児所などで保護できる能力を持った人々の下でしか生活することが許されません。 少し大きくなって中学生ぐらいになれば「自分の判断」で在る程度自由行動が認められますが、門限とかお小遣いなどで、行動範囲は制限されることになります。 そして成人することによって、大人として「十全の能力がある」とされ自己決定について自分で責任を負うことになっているわけです。 でも今までの歴史的経緯で女性は男性に比べて、自己決定が出来ない、という差別があったので、それを自分で行えるようにしましょう。というのが女性解放運動であり、男女平等の原則でもあるのです。つまり女性解放運動は「女性が誰からも介入・保護されることなく、男性と同等に自己決定できる」というのが根本的な原則なのです。 つまり保護と女性解放はまったく逆の考えであるといわざるをえないわけです。 はい、結論です。 男女の平等、女性解放を求めるなら、大人の女性の行動を止めることはできません。たとえ本人が戦地で死亡してもそれは本人の選択ということです。 もし「女性を守る」ということであれば「保護権」とそれに伴うツールが必要です。それがなければ責任が負えないからです。 質問者様はどちらを選ぶのでしょうか?私権の制限が入っているのですから、どちらも両立することは出来ないと思います。 逆をいえば「保護者」としての権利を与えられていない男性に対して「なぜ女性を守らないんだ」と批判するのはまったくお門違いといえます。 はっきり言えば、質問者様が問題にするように、今の日本の男性はありとあらゆる社会的制約から女性を守ることはできません。少なくとも女性の意思に反して守ることはまったくできません。 もし「女性を守る!」ということが重要で在るなら、「守れるような権利」を男性に与えていただきたいということです。
補足
>これは許されることなのでしょうか。 命以上に大事なものは無いと思います 全ては命あってその次 必要な行動をとれば良いだけ 命よりもときれいごとを並べている時点で大事にも尊重もしてない >そして「守る」側にはどのような権利(保護権)が与えられるのでしょうか。 権利等もともと無いと思います ただ守る側の要求 女性がしなれたら困るから要求しているだけ でも女性を守るのは義務であるはず >たとえば12歳以下は自動車に乗るのを禁止、することになるでしょう。 それはいざ死んだ時いう事 ああ、当然と受け入れるか、受け入れられないか 受け入れる人はもともと守る気は無いのでしょう 建前である程度安全を保障しているだけ 実際に死んだ人が出たらそんな事はいってられない 今死んだこの時間で冷静でこれはしょうがないんだよと押し付けている人こそが 人間としておかしい >「守れるような権利」を男性に与えていただきたいということです。 権利がなければやらないようなものはいらない 自然と守るべき 代償を要求するのですか? だったら男性か女性がどちらかしかこのよう生まれるべきではないですね 利害関係でしか成り立たないなら 弱い方が一方的に損する 「守ってあげるけれど守る為には条件が必要だ」 長い時間かけて、戦争で犠牲になるのは女性や子供だと言うのを訴えてきて こんなどうでもいい平等の理屈で、それを否定されたらたまらない 平等だから今は女性が戦争で犠牲になるのも男性と同じなんだ と こんな理屈が この理屈や犠牲が否定される為に長年かけて犠牲になるのは関係の無い女性だと広められてきたはず
- NicksBar
- ベストアンサー率26% (176/673)
No.10です。 質問者さんは主題をすり替えています、かつ論旨がずれています。 亡くなったフリージャーナリストは、男女が同じように働けるようになったという状況のもとで、自分でその職業を選択し、かつ戦地に赴き情報を発信する事を選び、残念ながら戦闘に巻き込まれたという事です。戦闘に巻き込まれないように守るために、戦場に赴く事を妨げたとすれば、それは亡くなったジャーナリストの意思を無視することであり、基本的人権である職業選択の自由を犯す事になります。 >例えば、子供は大人と同じように自由に意見する権利を持っています >大人になってもいないのに意見する子供はだめなんていえばそれは差別でしょう これはジャーナリストが亡くなったこととは全く関係のない主張です。ジャーナリストの場合何を「だめ」といえば「差別」することになるのでしょうか? >では、その大人と平等で対等の子供が、大人より死んでもいい人でしょうか? 生存権という意味では、「人」として大人と子供は対等と言ってもよいでしょうが、弱者という意味で子供のほうが法の下、保護されている部分は多いと思います。 >たいていの人は子供が死ぬぐらいなら自分が死ぬといいだすのでは無いですか? そういう選択肢しかないのであればそういうでしょう。しかし、今回のジャーナリストの場合は戦闘中の事故ですから、意味が違います。 >それをここの人たちは、子供は死ぬのは自由だ、死んで当たり前、と言っているのです 全く言っていないと思います。言っているとすれば具体的にどのぶぶんなのでしょうか?私には判読できません。 女性は男性より保護されるべきであるということは否定しませんが、そのために職業選択の自由や、移動の自由、行動の自由が制限されたり、禁止されたりするのは、独立した個人としての尊厳を一方的に否定される事に等しいと思います。 御冥福をお祈りします。
補足
職業選択の自由を制限なんてしていない ただ、この人がどうでも良い取るに足らない命だって事が気に入らないだけ 御冥福をお祈りするなら、身代りに自分が死んであげればよかったのにと思います それが一番その人のためになる ここの人は命を軽んじていますが、本当に大切なら、相手を束縛してでも守ろうとするものです ここの人には命にか対する関心が希薄で人が死んでも良いと思っている だから、とめようとしないし、きれい事で済まそうとする 人が何の職業に付いたって別に良い思います 自衛隊になろうと何になろうと でもそれと守られる存在かどうかは違う 何になろうと死んではいけない人は守ろうとする態度が出るもの その人はここの人にとってはどうでも良い取るに足らない死んでもいい人だったと言うだけ それなら今すぐ日本中で集団自殺しても良いと思います
- zipang_style
- ベストアンサー率20% (425/2050)
シリアは内戦状態なので、 平常時に街中を歩くのとは状況が全く違いますから、 相当のVIPでなければ「自分の身は自分で守る」しかないのが現実。 仮に社命で危険な場所入りを命じられたとしても断れば良いだけなので 危険を承知で自主的に入った本人の責任(決断)です。 正しい判断が出来ない未成年等なら問題有りですが、彼女は判断力がある成人。 性別には全く関係ないことです。 女だから、子どもだからと言って守られないことを知っているシリアの人たちは 隣国トルコに非難していて、その数は60万人を越えている状況です。 死んで当たり前ではなく、殺されても不思議ではない状況。 「武器を携行出来る訳ではないので、防弾チョッキを着ることがせめてもの防御だった」 今回は、それが機能出来なかった、ということです。 随行していた自由シリア軍が所持している銃器だって、 まずは自分の身を守る、そして随行者の身を守るために携行しているのでしょう。 >何か必死に守ろうとしないのか疑問です 「内戦のニュースは見ない、情報はいらないから取材に行く必要なし」となれば 怖いもの見たさの人以外誰も行かなくなると思いますが、 マスコミが映像を欲しがっている現在、そう言った声が上がることは無いでしょう。 「行くことを承知した人が行く」 それを変更出来るのは、本人と身内ぐらいで 第3者がトヤカク言っても決断を変えない人が行くんだと思います。
補足
ではなんであなたはこの人を守とうとしないのですか? 「この人はこの人の責任だ」 と言ってるだけで みんなが死んでよかったと言ってる それなら日本人をみんな今のうちに殺して起きますか? もう生まれる必要も無いと思います
- yuuri-k
- ベストアンサー率30% (90/295)
男性も女性も命の重さは、変わりません。騎士道精神というのもあるかもしれないけど、戦場~最前線~で、それが全て通る訳ではありません。相手があることです。 隣に屈強な男性がいても、運が悪ければ亡くなりますし、一瞬の油断やスキ、判断ミスが生死を分けます。戦場って、そういうものです。 戦場カメラマンは、いつも命の危険が伴います。誰かに止められたから、やめようかな位の覚悟では、できない仕事。彼女はジャーナリストです。命が危険にさらされるリスクを上回る伝えたいこと、守りたいものがあるから、カメラを向けたのだと思います。 彼女の死を本当に悼むなら、彼女の伝えたかったことを汲むことが一番の供養になると思います。 誰のせいか責めても、起こってしまったことは変えられません。私達だって何もできなかったのだから。 身近な立場なら、最初は反対しても彼女の人生を自分の死んでほしくないってエゴで止めるのは、不粋だと思います。命をかけてでもやるというなら、止めません。ムダですから。 でも、やっぱり死んでほしくないから応援するかも。 彼女は、女なんだから守られて当然とは思ってないと思いますよ。そう思うなら、最前線なんていかないです。 彼女の御冥福を心より、お祈り致します。また、弱い立場にいる方が犠牲になるような戦争がなくなることを切に望みます。
補足
戦場で通るか通らないかより、なんでここの平和な場所にいる一般の人が通らないのですか? では、男女と言うから変なしこりになるのかもしれないので仮に子供とします 幼稚園ぐらいの幼い子が これからシリアに子供の仕事(勉強:戦争の勉強)をしに入国するとします 日本の皆さんは、「勇敢だ」「子供だからと言って守られないのは当然」「自己責任だ」 死んだら「御冥福を心より、お祈り致します」と言うだけです それじゃあ祈ってないで助けたらどうですか? もしもそこに至る前にその気持ちがあれば死ぬ必要が無かったのに 無駄ばかり 死んだ事そのものが無駄 不粋なのは、止めない人、または止めている人を押さえ込んで、自由に殺す人 はっきりいって、その人は新でもいい人と言ってるのと同じ 死んでもいい人扱い その対象は女性 この集団がとても気落ち悪い 吐いてしまう程 人が死ぬのになんで抵抗しないのか
- NicksBar
- ベストアンサー率26% (176/673)
あなたの主張は「Politically correct」ではありません。 1999年の雇用機会均等法案の改定により、男性と女性で選考基準を変えること、男女別の採用枠を設けることは禁じられました。 職業名称も「中性」的なものに変更されました。(看護婦⇒看護師等) また、女性に対する深夜労働、残業、休日労働の制限という女子保護規定も撤廃されました。 ある意味女性も男性と同じ「気概」を持っているのに、同じように働けないことは差別であり、その差別は正しくないと論理的に主張し、その主張が正しいと大多数に共有されたため、それに合致するように法律を改定したということです。 だから、女性がフリージャーナリストとして戦場に赴き、今回のように銃撃戦に巻き込まれ亡くなったとしても、それは職業選択の自由を侵すことであり、法律改定の主旨に反する、つまり女性の働く意思を踏みにじるという事に他なりません。 男女本来は違うという事を否定するつもりはありませんが、それよりも、同じ仕事をするほうが「上位」の考えであり、女は「危ないところには行くな」と職業を制限することより「Politically correct」であるという事なのです。 ある意味これは女性が望んだことなのです。 感情論で女性の職業上の危険は回避すべきだというのは、一見女性に優しいようで、実は女性の職業意識や気概を否定するという、女性を不自由の道へ追い戻す卑劣な主張をオブラートに包んでいるだけです。 御冥福を祈ります。
補足
同じように働ける事と大切かどうか、守らなければいけないかどうかは別です 例えば、子供は大人と同じように自由に意見する権利を持っています 大人になってもいないのに意見する子供はだめなんていえばそれは差別でしょう では、その大人と平等で対等の子供が、大人より死んでもいい人でしょうか? たいていの人は子供が死ぬぐらいなら自分が死ぬといいだすのでは無いですか? それをここの人たちは、子供は死ぬのは自由だ、死んで当たり前、と言っているのです では女性ではどうでしょうか? 男性より守られるべき では無いですか?
- dankai-mae-M
- ベストアンサー率19% (133/696)
男女平等と言ってあらゆる場所に女性が進出しています。 また、女性が進出できないと差別と声高に言われる時代になって います。 女性も自分のやりたい事を憚りなく実行できる時代になったと喜ん でいる訳ですが、根本的なところで男女の体質の差が残ります。 女性が守られるべき存在かどうか、危険な仕事は男性に任せる べきか、が議論になるのでしょうか。 女子プロレスという危険な職業がありますが、これはぎりぎり許さ れるのでしょうか。 軍隊はどうでしょうか。戦闘機に乗っている女性もいると思います が、これはアウトですね。 全てに男女平等という概念が普遍的になった瞬間に従来の男女 の敷居が無くなったと考えられます。 男女平等を徹底すれば、誰が誰を守ろうと問題にはなりません。 ただ、現在の医学技術では男性には子供を産めませんので、平 等も体質差までは可能ではないようです。 本能について述べられていますが、人間は本能が壊れているので 人間の行動を本能で規定できません。人間の本能については説明 が長くなりますので省力しますが、心理学で一般的です。
補足
人間の本能について説明お願いします 男性が女性が死んでも関係ないと思うのならそれは完全に壊れていると思います でも、少し前の本等を読むと、女性が死ぬよりは男性が死んだ方がいいように守っています 男女が平等だろうと、やっぱり女性が死ぬのはだめだって事でしょう 簡単なお話女性が死んで不快にならない、一般人がおかしいと思います どっちかと言うとむしろ死ぬ方の肩を持つ そんなに死にたいならな生む時に男性だけを生んで自由に死んだら良いんじゃないでしょうか? 女性を産んで死んでも誰も止めないっていうのは虐待だと思います 人に子供が死ぬ映像を流し続けるのは虐待に当たるそうです 死にたい人だけが死ねばいいのです
- 634yy
- ベストアンサー率10% (37/362)
>もしもこの女性が危険な場所に行きたいと言って時 >誰かが止めて助かったはず >本当は死なないで済んだはず 彼女には意志がありました。明確で強い意志です。 誰が止めるのですか? 死ぬ生きるのが問題でない所で彼女は戦っていたのです。 アナタが怒るなら、拒否権を行使したロシア、中国、何も出来無い 日本政府に怒りましょう。
補足
ではあなたには意思が無いのですか? この人が殺されないようにする為の明確で強い意志 意思は同じだと思います それとも意思が無いのですか? それならなんでこの人を助けようとする意見を押さえつける時にだけ抑える為に強い意志を出すのはなんでですか?
補足
>違いますよ。 そこで逮捕されてでも守らなければその時点で終了です その先も何もない >そして、女性を「守る」ために女性の自由を奪う制度はイスラム社会ですよ。 そもそも、自由を奪うとかの問題じゃないと思います 命が守られるか守られない これから死のうとしている人に対して自由だからと言って、自殺を止めようとしている人をみんなは押さえつけて自殺しようとしている人を守るのですか? それともこの場合だけですか? 危ない、死ぬかもしれない、そして実際に死んだと言うのに、そのひとが死ぬ流れを守るのですか? 常軌を逸していると思います でも侮辱しているのはここの回答者全員 「守りたい」なら自分が身代わりで死ねばよかったと思います その人をあたかも理解したような言い方ですが、あなたは死んで嬉しい(本望)ですか? 死んで嬉しいならそれは自分だけだと思います だからあなたこそがジャーナリストとして打たれて死ぬべきだったと思います 普通は死ん嬉しいと感じる人はいない その人だって死ぬぐらいだったら安全がいい 安全が確保されてて始めて取材できるのです 本当にこう思います 撃たれて死ぬのが男性だったらよかったのに 男性だったらまだ救いがあったと思います