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とげ状の県境

福島県と茨城県の県境で、茨城県の一部が福島県側に深く侵食する5本の鋭いトゲのようになっている箇所があります。具体的には茨城県の北茨城市関本町関本上と福島県のいわき市勿来町の間です。茨城県側から幅わずか数mないし数十m、長さ数百mないし1km程度で先端がとがったトゲ状の土地が数百m間隔で全部で5本並んでいます。その異様な県境の線引きからして、何か特別な事情があるに違いないと推察します。由来というか、経緯をご存知の方がおられましたら是非お教えください。

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  • yanhua
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回答No.2

以下による推測ですが、  おそらく「地形により成立した境界」ではないでしょうか。 ◆『日本全国県境の謎』浅井建爾 実業の日本社 なる本を先日読みました。 ご質問の件はありやと再看しましたが載っておりませんでした。 この書に取り上げているのは“県境”ですから、 明治から現在に至る政治・行政的な事情に触れたものが主です。 一部は歴史的に特異な事情にも言及しています。 一方で、ここに採録されていない事案も多くあったはずです。 関本町の件は特段の事情があったか否か、   少なくもこの書には出ていないという事しか言えません。 ◆地図による確認 ・国土地理院1/25,000:境界線が不明確ですが概ね等高線に随う   http://watchizu.gsi.go.jp/oldmap25k.html?longitude=140.74518040988&latitude=36.864618052011 ・Google地図-地形表示:等高線沿いに境界があることが分かる ・GoogleEarth及びGoogle航空写真:特に左3本は谷と境界の様子がよくわかる ◆この一帯は、勿来の関を中心として崖多く難路だったようですから、 地形に随った生活圏が形成されたと考えて問題ないと考えます。 石炭を中心に鉱業も古くからあったようなので、 利権が絡む要素もなしとは言えない?かもしれませんが。 *ちなみに、他県にとげ状に侵入している県境の特異な例。 福島県・山形県・新潟県の境界、三国ヶ岳から御西岳まで    幅1m見当、距離7.5kmの福島県が入り込んでいる。 明治時代、福島県の一部を新潟県に編入する際、 編入域にある飯豊山神社の奥の院は、現喜多方市の飯豊神社の神域であるとの裁断によるもの。 http://goo.gl/maps/wOiox *識者の回答がついておりませんので、たまたま首記の本を読んだ折でもあり、  私見を述べた次第です。ご看過なされて構いません。

rednex
質問者

お礼

詳しく調べていただいて、ありがとうございます。 この細長い土地を見て私が最初に連想したのは、回答者様も最後に挙げられている山岳信仰説でした。 廃藩置県後に一旦新潟県に組み入れられた旧会津藩の領地の一部が飯豊山山頂までの参道確保のため奪還された例は非常に有名ですよね。 ただ、今回の例ではトゲ状地形の本数の多さと間隔の狭さ、短さ、それにも増して狭さが異様であり、少し異なる事情があるのでは?と思っている次第です。 ご指摘のなかで私が特に注目したのは石炭の鉱脈説です。 以前、茨城県の高萩にある宿泊施設を利用した際に、そこは元々炭鉱の社宅の跡地だったと聞きました。また、福島県いわき市のスパリゾートハワイアンズ(映画フラガールの舞台ともなった)で宿泊した際にも、そこの温泉や温水プールのお湯は、かつてこの場所で炭鉱を掘っていた時に起きた出水事故で偶然掘り当ててしまった温泉から引いている、とのことでした。 いずれの炭鉱も、かつてはおおざっぱに「常磐炭鉱」として総括される本州最大の炭鉱の一部だったとのこと。 因みに今回の特異な県境は、上記2例の炭鉱のほぼ中間点にあり、そこもかつては炭鉱の鉱脈に関連した利権がらみの土地だったとしてもおかしくないと思いました。 重要なヒントを幾つも提起いただきまして、重ねてお礼申し上げます。

その他の回答 (2)

  • smzs
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回答No.3

 国土地理院の2万5千分の1の地形図を見てみました。  ご質問の場所は、勿来の関跡のすぐ西側あたりの所ですよね。  地形図を見ると、福島県側に深く入り込んでいる箇所は、いずれも谷筋で、水田や畑のマークがついています。  推測ですが、山林はもともと福島側の藩の所領だったが、農地だけは、その地形から、茨城側の人々が出入りして、自分のもの(昔なら茨城側の藩の所領)として利用していた名残、と言う気がします。

rednex
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 「勿来の関」のご指摘は、確かに重要なことのように思えます。 もともと県境は基本的には廃藩置県の際に確定した領域を幾つか足したり分割したした結果なのでしょうが、そこに関東とみちのくを分ける関所があれば、境界線の解釈がシビアになる可能性はじゅうぶんあると思います。 また、山林が福島県の所領、農地が茨城県の所領、という解釈も説得力があると思います。 調べてみたところ、林業、農業、漁業、といった業態ごとに土地を揃えるため、あえて県境を複雑にする例は他にもあるようで、宮城県の県北の山林のなかに、岩手県の一関市の土地が忽然と飛び地として存在しますが、周辺の森林は宮城県側で林業、飛び地は牧場で酪農業をやる岩手県農家、ということだそうです。三重県と和歌山県の間の飛び地も、一本の河川を介して上流の山で木を伐採し、下流の太平洋岸から出荷するため、業態の相性がよいことから姉妹都市のような関係を維持するため、そうなったそうです。 回答者様のご指摘はどれもシンプルではあるものの、非常に現実的で説得力があると思いました。

  • nitto3
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回答No.1

確認したわけじゃないですが、 地図を平面図で見ているからじゃないかな。 先祖がたどってきた道は、獣道が発展したようなものです。 等高線でジグザグってこともありますよ。 そういう道が境界線になっているのでしょう。 地図を立体ずとしてみるといいでしょう。

rednex
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 今回質問させていただいたことの主旨は、「他とは違ってここだけが特異な形状となっているのは何故?」ということです。 この県境だけを平面図で見ているわけではなく、すべて平面図で見ているのに、ここだけが特異なのです。 ここだけが先祖がたどってきた道、獣道が発展したもの、ということではなく、そうした歴史的な経緯はどこも似たり寄ったりでしょうに、ここだけが特異なのです。 等高線でジグザグではなく、ほぼ等高線に沿って渓谷で分け入るようなトゲ状地形だからこそ、特異に感じている、ともいえます。 「地図を立体図として見る」からこそ湧いてくる疑問、とも言えましょうか?