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小中学校の自由研究の意義 II

前回の質問で無駄な記述が多く論点がぼやけてしまったので、整理して再度質問させていただきます。 小中学校の宿題のうち、一番子供を悩ますものの一つに自由研究があります。 自由研究の意義として “総合的な学習の「ねらい」である 自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する資質や能力を育てること。 学び方やものの考え方を身に付け、問題の解決や探究活動に主体的、創造的に取り組む態度を育て、自己の生き方を考えることができるようにすること。” という建前があると思います。しかし、実際は どれだけ親が協力してくれたか、どれだけお金をかけたかが評価に大きく反映されるようです。 これは私が小学生の時ですが、 同じクラスの生徒で 一人は旅先の海岸で拾った綺麗な石を集め標本にしただけなのに 先生から「きれい」だと褒められたのに、もう一人の生徒は夏休みにどこにも連れて行ってもらえず、家の近所の石を集めて同じように標本にしたら 先生から手抜きだと怒られました。私もその生徒に同情しました。 それでは、私個人のエピソードです。私が中学生のころ、花粉や蝶の燐粉などを顕微鏡で観察し、 私は絵があまり上手でなかったんですが、それでも一生懸命色鉛筆で何度も描き直しスケッチしました。ところが、夏休み明けの作品発表会で 私と似たようなテーマでもっと高性能の顕微鏡で しかも写真まで撮っている作品があり、私は恥ずかしい思いをしたと同時に 羨望を感じました。 もちろん、 私と似たテーマの生徒が金賞を取り、私のは番外でした。道具だけの問題ではないかもしれませんが、私の作品があまりにも幼稚に見えてしまいました。 おそらく、小学生の自由研究だったら私の作品でも通用したかもしれませんが、中学生の自由研究として 「科学」の視点を入れた場合、下手でも一生懸命書いた絵と写真とでは 研究の成果物件としての価値が違うのだと実感しました。 似たようなことは、私の姪の中学校でも起きています。姪の学校の場合は天体観測でしたが... なんか、自由研究って 親の協力度 しいては親子関係、そして、生徒の家の裕福度なども含めた品評会にも思えました。 料理に喩えれば 本職の料理人がありあわせの材料で作った料理と、家庭の主婦が最高の食材で作った料理が互角というのにも似ている気がします。 私も自由研究の建前のコンセプトには反対しませんが、現状ではマイナス面もあります。それについては 前回の質問の回答者の多くも認識されていました。 そこで質問です。小中学校の自由研究についてどう思いますか?

みんなの回答

回答No.3

伝わっていないようですが 京土産のような自作羽子板が優秀賞とりました。 でもネタを凝ればアイデア賞はもらえます。 石を並べるだけではダメです。 ネタを凝ることが必要です。 石でも化石レプリカ(これも鉄板ネタ・材料は石膏と化石にしたい何か)というネタもあります。 もちろんこれでは顕微鏡には勝てません。 それでも作品としては認められるでしょう。 それでいいんじゃないですか?

yingtao7
質問者

お礼

再度ありがとうございます。 yuukiyuukiさんのところでは自由研究と工作はいずれかの選択か両方かのどちらだったのでしょう?

回答No.2

まあ、なんというか、 アイデア不足ではないでしょうか。 昔、羽子板工作の宿題があって、 ダンボールの羽子板に1枚一コマの4コママンガを書いた4枚の紙を張り付けたのですが、これでアイデア賞をもらいました。 もちろん優秀賞は京土産のような美術的なやつですが。 科学系でも 林檎や柑橘類で電池を作るというベタで安価で受けが良く、手本となる資料に困らない鉄板のネタもあります。 ただ、一般的な普通の平凡な絵を描いただけの羽子板が認められないのは仕方ないことですし 美的でも、科学的でもない石を並べただけでは認められないのは仕方ないことでしょう。

yingtao7
質問者

お礼

ありがとうございます。 >美的でも、科学的でもない石を並べただけでは認められないのは仕方ないことでしょう。 問題はここなんです。私が質問で書いた、旅先の海岸の石は綺麗でも アイディアは微塵もありませんからね。

  • trajaa
  • ベストアンサー率22% (2662/11921)
回答No.1

マイナス面があるからとアレも駄目コレも中止という事を続けて行けば最後には何も残らない。 世の中にマイナス要素のない事柄など一つもなく、マイナスを上回るプラス面があるので物事が続いている 世の中の変化によってマイナスがプラスを上回ることが明らかになった、風習や事柄は自然に淘汰される。 学校教育で有っても、誰もどんな状況でも平等公平などと言うのは幻想であって、努力をするしない家庭の協力が有る無い、場合によっては資力の多寡によっても一人一人その結果成果はことなる。 必要な時に必要な努力や協力をすれば良いのであって、誰々ちゃんより良い研究成果を上げるためにモノを揃えるのはあほらしと考える。 出来る環境で出来るモノをその子の創意と工夫でまとめれば充分。 まあ教師のレベルによっては、見映えのするモノに引き寄せられるのも致し方ない。 家族が褒めてあげれば宜し。

yingtao7
質問者

お礼

ありがとうございます。 少し抽象的な方向になりましたが... >世の中の変化によってマイナスがプラスを上回ることが明らかになった、風習や事柄は自然に淘汰される。 質問者から脱線するのも気が引けますが、それを言うなら、日本でも死刑制度がなくなるもしれないですね。 >学校教育で有っても、誰もどんな状況でも平等公平などと言うのは幻想であって、 これについては前回の質問でも触れましたが、学校は一応はフェアな競争をさせる場だとは思っています。幸い、公立の小中学校では習熟度別教育みたいに差別化を図る教育は普及していませんし。 >必要な時に必要な努力や協力をすれば良いのであって、誰々ちゃんより良い研究成果を上げるためにモノを揃えるのはあほらしと考える。 これって典型的な大人の詭弁に感じます。小中学生のの時点で既にこんな成熟した考えができる子供っていうのもどうなんでしょうね。処世術には長けているでしょうけど、何か夢や野心も持たず現実的に生きる少年少女というか... ウイリアム・クラークを反面教師にするというか... >まあ教師のレベルによっては、見映えのするモノに引き寄せられるのも致し方ない。 家族が褒めてあげれば宜し。 私の場合は自由研究というより工作でしたけど、学校で貶されて家族から褒められても なんか却って悲しくなったことがあります。