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間接受け身
日本語における間接受身形は、他動詞だけでなく自動詞も受身形になるということですが、どうもぴんときません。 わかりやすく説明していただけないでしようか。よろしくお願いします。
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昔学校で習いましたが記憶があいまいです。その辺をお許しください。 まず、自動詞と、他動詞ですが、動作の対象が存在しないのが自動詞で、 存在するのが、他動詞といわれています。 英語的な文法解釈でいくと、動作の対象を主語にして動詞を受身形に変えると受身の文になるのですが、 動詞の対象が存在しない自動詞が受身の文を作るのはおかしな計算になります。 ところが日本語では自動詞でも受身形の文を作ることが可能です。(英語の文法をそのまま日本語の文法に当てはめるのは危険です。) たとえば 雨に降られた。 父に死なれた。 というものです。 「降る」も、「死ぬ」も動作の対象を持たない自動詞ですが、受身形の文になっています。 確かこのような文を間接受身と言ったような気がします。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ごめんなさい。 このように天とか神さま(?)とかにかかわるような事柄が間接受身になるのでしょうか? (回答するほうが質問してどうする…。) 別名迷惑受身とか言ったような気がします。 ほかにも日本語にかかわる受身の問題はあって、 佐々木はイチローに打たれた。 とかです。 「イチロー」が打ったのは佐々木ではなくて、おそらく「球」なのですが、 このような受身が日本語では可能です。 これを省略と捕らえるか、日本語の受身の機能の一部と捕らえるかはよくわかりません。 このような事柄は「ヴォイス」と呼ばれる文法のカテゴリーなので、調べてみるといいかもしれません。
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- Head_Syndicate
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じゃあ、yamato-miyabiさんはもちろんご存知なのでしょうがおさらいということで…。 間接受け身とは、元の文章で目的語でない語が主語になる受け身の ことです。 直接受け身は以下のようなものですね。 「私は本を読んだ」 「本は私に読まれた」 元の目的語である「本」が、主語になっています。 以下のようなものが間接受け身です。 「先生は私の日記を読んだ」 「私は先生に日記を読まれた」 「私」というのは元の文では目的語ではありませんね。「読んだ」の 対象は「日記」です。 で、これは他動詞ですが、自動詞の場合。うーん、wyvern2さんがせっかく 例を出してくださっているので、他の例も挙げてみようと思ったの ですが、いい例がとっさに思いつかない。wyvern2のおっしゃった ことと重複してしまいますが、ご勘弁ください。 「雨が降った」 「私は雨に降られた」 「女房が逃げた」 「私は女房に逃げられた」 「降る」「逃げる」は目的語を取らない自動詞ですね。元の能動態に 戻そうとしても ×「雨が私を降った」 ×「女房が私を逃げた」 にはなりません。 これらの例は、突然「私」というのが登場してますね。天候である ことといい、英語での形式主語「it」が突然現れるのに似ています。 ここで、「私」じゃなかったらどうなるでしょう。 「雨が山に降った」 「山は雨に降られた」 となります。「山に」は目的語ではないか?と思うかもしれませんが、 「山を降る」でもありませんし、やっぱり「降る」は自動詞です。 先の例も 「雨が私に降った」 「女房が私から逃げた」 だと問題ない文になります。 私も学者では無いのではっきりとはいえませんけど、シロウト考え を書いておきます。 「~ニ」とか「~カラ」などは本来の「~ヲ」と違って他動詞に 対する動作目的ではないとされないようですが、それに類するもの として自動詞に対して擬似的に目的語となる場合があるのではないか、 と感じます。そういった場合自動詞の間接受け身となるのでは ないでしょうか。
お礼
おさらいまでしていただいて、至れり尽くせりです。 例文を沢山挙げてくださって、ありがとうございました。 お陰様でモヤモヤがすっかり晴れました。
お礼
あいまいだなんて、そうは思えません。こんな私でもよくわかりました。 そうです、迷惑受身というのですよね。 イチローの例もわかりやすかったです。おもしろいものですね。 助かりました。ありがとうございます。