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漢文の訓点について
レ点や一二点の組み合わせでは表現できない読み方ってありますよね; 例えば3文字から成る文で、 2 3 1 つまり下の字→上の字→真ん中の字 と読みたい場合どうしますか? 2と3の間をハイフンで繋ぐしかない気がしますが。。 なんかこういう例って他にも作れそうな気がします。 10文字から成る文の場合、訓点だけで10!通りの読み方を全部表現できるとは 思えませんからね
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「231」の読み方については,質問文のとおり2と3をハイフンでつなぎ,1に一点,2に二点を付すのがもっとも誤解のない方法です。 2と3が明らかな熟語とわかる場合はハイフンを省略することも昔は普通だったようですが,「312」と誤読されるのを避けるため,今の教科書や学校ではハイフンを付けるのが普通だと思います。 ハイフンは3字以上の語に対しても,例えば 2-3-4-51 のように付けることができるので,これとレ点・一二点・上下点以下の返り点を入れ子構造で駆使すれば,ちゃんと検証したわけではありませんが原理的にはあらゆる配列を表現できるはずです。 ちなみに,例えば10文字の場合,読み方の可能性は数学的にはもちろん10!通りですが,ある論文によれば,漢字列を日本語の語順に並び替える場合の可能性としては,10!のせいぜい1.5%程度しかないそうです(それでも十分に多いんですが)。 ただし前述のように,単純にパズルとして考えても,10!通りの読み方でさえ訓点の組み合わせでなんとか表現できると思います。
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- TANUHACHI
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趣旨を誤解されてしまった様です。 >はい、私も訓点がどうも信用できないのでなるべく古代中国語のまま直読しています。 「古代中国語」でどの様に発音していたかに基づいて書き下しをしている方がどれほどいるでしょうか。また言語的に「古代中国語」がどの様な音韻体系を持っていたかが明らかでしょうか。 訓点はあくまでも「漢文」を日本語で読む場合のツールでしかありません。それも現在に伝えられているテクストは殆どが鎌倉時代以後のものであり、そこに「ヲコト点」として振られているものを更に読みやすくするため江戸時代以後に工夫が加えられたものです。 そして「一文字=一つの意味」との単純な構造は英語を含めての外国語にもありません。「一文字=一音」の原則はあっても「文字+文字」となった場合には当然読み方も変わります。ドイツ語ならば「S」「C」「H」は「エス」「ツェー」「ハー」ですが、これが組み合わさった場合には「Sch」で「シャ」「シュ」「ショ」の発音になります。「Ich」を「イーツェーハー」とは読みません、「イッヒ」です。 質問者の立場としては「鴻門之会」を「鴻-門ノ会」と読むとの判断ですが、「鴻門」は場所であるから一つの単語です。これが山海関だったとしたら同じく「場所」であるから一つの単語として扱います。「山海-関」の可能性は万に一つはあるかもしれないが「山-海関」であったり「山-海-関」ではない。 漢文には一文字で読み方を示す特殊な文字もあります。「而」や「焉」です。前者は接続詞として使用され順接も逆接もあります。ですから読み方によっては文意が全く異なるケースもあります。 「訓点」が信用できないのであれば、それは読み方と文意が異なるとのことにつながります。それでは矛盾しませんか。読み方が違って文意が同じになるのでは何処かに無理が生じることになりますが。 「白文」を目にした時、そこに「どの様に読み方の順番を付加するか」は「文章の意味をどうとらえるか」を具体的に表すための根拠となります。 こうした類例として、僕が接している古文書の世界にもあります。古文書の原本が刊本として活字に起こされた場合、そこには編集者の意図が反映される。けれどもその活字にされたものをテクストとし「そこから釈文を作る」のは編纂者とは別の人間である。つまり順番としては「オリジナル」>「刊本」>「釈文」となりますが、史料に接する時の基本ルールは「常にオリジナルに戻り比較対照せよ」です。そこにしるされている「文字」と「単語」の使い分けくらいは編纂者でも行うが、それでも時として誤読はありうる。 従って「訓点の施された書き下し」を読む時の意味を「取り敢えず、この様な読み方もある」として参考にしてみる位の認識ではいけませんか?。これすらも誤りであるとの根拠と絶対的な自信はどこにありますか?。
お礼
あ、はい、参考程度には訓点も見ています。 ただ、231と312を書き分けられない時点で あてにならないという考えです。 私は漢字熟語を全部知っているわけではないので、単語の区切りが自明ではないのです。 本文を見ながらここは熟語だろうか、と考えながら同時に訓点をも見る二人三脚をするぐらいなら、 訓点なしで全部自分でやったほうが読みやすいということです。 あと、古代中国語の音韻を知らなくても 字の意味と文法さえ分かれば読む(声に出すのではなく、解釈するという意味)ことはできます
- OKAT
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基本的な学力はありませんが、例に挙げられている「長恨歌」の場合、次のように「返り点」をつけて教科書などには載せられている場合が多いようです。 春寒賜(レ)浴華池 温泉水滑洗(二)凝脂(一) もちろん、返り点なしの場合の方がスマートですが。
お礼
はい、私も訓点がどうも信用できないので なるべく古代中国語のまま直読しています
- TANUHACHI
- ベストアンサー率31% (791/2549)
原典としての中国の漢籍を日本語の漢文に置き換えてよむためのルールが「返り点」です。 そして「必ずしも一文字から一文字へと戻る」との決め事はありません。「二文字から一文字へ返って」も別に差し障りはありません。そのためにレ点・一二点(実際に五まであるケースも見たことがあります)・上中下点・甲乙丙点・天地人点・元亨利貞点・春夏秋冬点・木火土金水点・子丑寅卯…亥点の組み合わせで全て解決できます。 基本的にはレ点ですが、これは一文字から一文字へ戻る場合。 一二点は二文字以上戻る場合。 上中下点これも二文字以上ですが、一二点をまたいで戻る場合に使われます。一二点の文章をサンドイッチにする形です。 甲乙丙点。これは少しばかり厄介です。上下点をまたぐときに用います。ただし一二点の範囲を越え「三回以上連続で二字以上返る場合は、一二点より上位の返り点が四つ必要になりますが上中下点は三つまでしか使えないため上中下点を飛ばしてこの甲乙丙点を使用します(実際に僕は見たことがありません)。 基本的な返り点とワンセンテンスあたりの文字数により返り点を選択しますが、ワンセンテンスが極端に長い文章の多くは日本漢文に見られます。それは「文章としての箔付け」を目的としたものであり、実用としては意味のない存在で、平安期の太政官符などに類例を求めることが可能です。 >放伐紂(紂を放伐する)の場合、訓点はどう打ちますか?231の順です。 これはおかしいですね。読み下しが「紂ヲ放伐スル」ならば、これを読み方にしたがって順番を記すなら「放伐」で一つの括りつまり(1)となり、「紂」は(2)となります。 文法的には(2)は(1)の目的語ですので読み下す時に「紂ヲ」となる。そして(1)は「放伐」として一つの動詞ですから、ご指摘の一文字一文字に分解する必要はない。もしどうしても大和言葉として読みたいのであればこの部分は「紂ヲ放チ伐ツ」となります。従って返り点を着けるならば「放伐(2)紂(1)」となりますが、この程度ならば返り点を積極的に打つほどの必要はありません。また(3)は必要有りません。その根拠が見当たりません。 二つの文字をつなげるならば‐が必要とのことですが、これは文章を読む際のリズムにも影響する。ごく普通に漢字を読み慣れているならば、無意識のうちに「これは一つの単語として読む」との認識が働きます。その上で「どうしてもこの語句は一つの括りで読んでもらいたい」との願望がある場合に「-」で文字と文字をつなぐ。 「制圧清国」にしても同様です。「清国ヲ制圧ス」ならばそれぞれ二つの文字から構成されている語句ですからそれをわざわざ分解する人はいません。読み方に従えば「制圧(2)清国(1)」となりますが、これも返り点を打つほどの必要はありません。 漢詩文の事例を挙げましょう。『長恨歌』の一節「春寒賜浴華清池,溫泉水滑洗凝脂」は「春寒ウシテ浴ヲ賜フ華清ノ池 温泉水滑ラカニシテ凝脂ヲ洗フ」と読み下します。この場合に返り点は打たれていません。その理由は「賜フ」の目的語が「浴」でありその後に続くのは「華清池」はそれを修飾もしくは説明する部分であるからです。 次に続く「溫泉水滑洗凝脂」は「温泉 水滑ラカニシテ 凝脂ヲ洗フ」も(華清宮にある)ぬるま湯の水は心地よくそれは脂を洗うように滑らかであるとの意味です。 元々漢文で「返り点」の基本ルールは「ヲ・ニ・ト・ヨリ」の文字が文中にあったら“その部分を必ず戻って読みなさい”との約束事に発しています。あとは読み方のリズムです。
お礼
「放伐」や「制圧」が熟語動詞だと知らなければ 順番を間違えてしまうということですか。。 不便ですね 誤解が生じないような点の打ち方を 発明できなかったのでしょうか
- bgm38489
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寝る前に答えたから、例は間違っていましたね 汗 要するに、231と読む場合なんてないということです。10!通りの読み方を考えなくても、レ点・一二点・上中下点で表せる範囲の読み方で足りるということです。そもそも、漢文の訓読は、漢文に合わせた日本語を作るだけです。
補足
3412も同様、できませんよね。 一般的には、動詞が2字以上の熟語で 目的語がつく場合です。 制圧清国(清国を制圧する) みたいな例はありうると思いますが。。
- banzaiA
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>10文字から成る文の場合、訓点だけで10!通りの読み方を全部表現できるとは思えませんからね 何か、思い違いをされていませんか。 問題は、漢文の語順と日本語の語順の違いなのです。 日本語の語順でない漢文を日本語の語順で読もうとするときに、訓点を用いて日本語の語順にして読んでいるのですから。 普通の文なら、修飾語・被修飾語の語順は漢文も日本語も同じだから、訓点は必要のないこと。 漢文では 主語-述語-目的語 の順であるのを 主語-目的語-述語 と読む時に、その読む順序を訓点で表している。 匹夫不可奪志也。 (読み:匹夫も志を奪うべからざるなり。)(意味:身分の低い者であっても志を奪ってはならない。) 7文字の文であるが、内容や語順、それに語の文中での働きから考えて、 この文の読みはこれ以外には考えられないでしょう。 だから単に、 >10文字から成る文の場合、訓点だけで10!通りの読み方 ということではありません。
お礼
>>匹夫不可奪志也。 1265437 の順なので レ点3つで表せますね ところで、 放伐紂(紂を放伐する) の場合、訓点はどう打ちますか? 231の順です
- bgm38489
- ベストアンサー率29% (633/2168)
一のマークを三文字目の下、二のマークを一文字目の下に入れればおしまいです。それで、三文字目から読んで一文字目にかえって、次に二文字目を読むとなります。 3 2 1 と読む場合は、一二点では表現できませんが、この場合は、上中下点で表します。 4 3 1 2 の場合も、上中下点で表せます。 漢文を訓読する場合、これ以上、訓点をつくる必要はありません。日本語と中国語では、I play the piano.と「私はピアノを弾く」みたいに、主語・述語・目的語の語順が違うのを、訂正するだけなのですから。 以上、詩吟の愛好家からでした。毎日漢詩を目にしてますが、訓点はレ点と一二点でほとんど足りてます。上中下点を使うのは、四行詩でいえば、五十の詩に一つくらい。
補足
>>一のマークを三文字目の下、二のマークを一文字目の下に入れればおしまいです。 それだと 312 の順になりませんか? >>321と読む場合は、一二点では表現できませんが、この場合は、上中下点で表します。 これはレ点2つで読めると思いますが。。
お礼
n!通りできるかどうか 暇なときに確認してみます