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高線量地帯の方は、怖くないのですか?
あおりではなく、素朴な疑問なのでおしえてください。 原発事故当初から今年はじめあたりまで、 私はいわゆる「放射脳」と呼ばれる部類の人間だったと思います。 しかし、確かに体調がすこぶる悪いというのはネットで散見するものの、 海開きはするし、チェルノブイリの時のような感じも見受けられませんし、 たまに悪い情報が流れても、福島はじめ原発周辺の方々は 「そんなことは周囲には見受けられないので、デマを流さないで!」と反論されています。 ネットには、動画で時たま、高線量をさししめすガイガーカウンターを持っている人の画像で、 そこに家族連れなどが映りこんでいて 「こんなところで生活していて大丈夫なのか?」という書き込みも見受けられます。 しかし「デマを真に受けないで!」 「地域のことをしらないだけで、私たちは全然大丈夫なのに、差別しないで!」 という、被災地の人の書き込みも見ます。 高線量のガイガーカウンターは、見れば見るほど大丈夫なのかと不安になりますが、 その地域の方は、不安はないのでしょうか。それか、何かトリックがあったりして、 画像自体に問題があるのでしょうか? 一方的にこちらで不安がっていても、特に安全ならば、 もう「大丈夫なのかな」と思うのもやめにしようと思っています。 大丈夫か、と思ったりすることが差別につながるなら、 やめたほうがいいかなという気持ちです。 ふつうに復興に尽力されている方々を応援する立場に変えようかなという感じです。 そりゃ、5年後にわかると当初はよく言われましたが… 大丈夫ですか、みなさんお元気なのでしょうか? 高線量というのは、そんなにたいしたことがないのでしょうか? どう書いても煽りに見られるかもしれませんが、 決して煽りではなく、本当によくわからなくなってきたのです。 現地の方の声が「大丈夫なので、大丈夫かと聞かないで」ということなら、 もう心配もしないことにします。 よろしくお願いいたします。
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- azumatokyo
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千葉県西部のホットスポットと呼ばれる地域の近くに住んでいました。 昨年3月18日から2週間ほど、海外在住の夫のもとに避難しました。その頃、日本では楽観的な話ばかりでしたが、海外からの情報は極めて危険だというので恐怖を感じ、全てを放り出して逃げました。 2週間だけでも逃げたのは正解だったと思っています。その期間、大人の基準値以上の放射能が水道水から出たそうです。 昨年10月にガイガーカウンターで自宅周辺と生活範囲をくまなく計測したところ、自室は毎時0.1μシーベルト未満でしたが、屋外は約0.20でした。 実際に目の当たりにしたことによって怖くなり、仕事を辞めて海外に移住しました。 友人は福島の渡利地区に住んでいます。 逃げたいそうですが、色々事情があって逃げられず、週末は毎週遠くの放射能が低い地域に家族で出かけているそうです。 家族のうちの一人は東京に転職したそうです。 怖いというより「腹が立つ」と言っていました。私も同じくです。 何に腹が立つか?勿論日本政府と東京電力です。 今住んでいる国は地震も原発もありません。日本人が多く住んでいます。 私が経験した3月11日以降の地震と原発事故のことを言うと、なぜか「根拠のないデマを言うな!」とかいう不可思議な日本人がいます。 一方では「実はウチも・・・」と私と同様に逃げてきた人もいますが、決して大きな声ではいう事ができない(タブーな雰囲気)のが日本民族の摩訶不思議な世界です。
- 517hama
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震災以来東北地方でのボランティア活動を何度か続けています。 その中で福島県のいわき市や先月は南相馬市にも行かせていただいています。 宿泊をしたり、活動を依頼された地元の方ともわずかな時間ですが話をさせていただきました。 また、元々福島は好きな土地で中通りや会津地方には知り合いも何人かいる中で、様々な話をこの1年4ヶ月してきました。 まず、福島と一言で言いますが、浜通と中通り、会津ではとらえ方も考え方も違います。 また、同じ地域でも年齢や置かれている環境によっても違います。 質問文にあるような「高線量をさししめすガイガーカウンター」についても、どの数値を持って高線量とするのか(実際に動画を見ていないので)にもよりますが、先日南相馬市に行く際に福島市から飯舘村を通って行く県道沿いでは一部数値が上がる場所もありましたが、それを高線量と言うかどうかの価値観にもよりますよね 現実は線量の非常に高い場所もあれば、そうでない場所もあり、人々の生活が戻った場所の中にもホットスポットと呼ばれるように線量を含んだものがたまりやすい場所があることも確かです。 でも、そういって高い場所があるのは福島だけではなく関東などでも発見をされています。 私が話を聞いた人たちの多くが言われるのは「放射能は確かに怖いけれど、本当に住めないのでなければ、知らない土地に行って生活するよりも住み慣れた場所の方が安心できる」という言葉と、「起こってしまったことをどうこう行っても過去には戻れないから」です。先日南相馬での活動を依頼された家族とお話をしていて「原発事故を許せるかと言えば、それは許せないけれど、ここに住んでない人に批判とかもされたくないし、誰の責任とか言う前に、ここで生活できるのか、あきらめるのかをはっきりして欲しい」って気持ちを言われました。 それぞれに複雑な心境だと思いますが、恐れていても現実にすべてっが排除できないだけでなく、現在の様に放射線量を測定していなかった時代の食物なども本当に安全だったのかなど様々だと思いますが、答えを出すのもそれぞれの価値観だと思います。原発の賛成・反対も一方的に価値観を押しつけるような考えではなく議論をされればと自分などは思いますね
お礼
なるほど… とても実感のこもったお話しをお伺いできてよかったです。 そうですよね、福島だけでなく東京でも、と思っています。 それも含めてのことでした。 >「放射能は確かに怖いけれど、本当に住めないのでなければ、知らない土地に行って生活するよりも住み慣れた場所の方が安心できる」 確かにその通りですね…。 それが「それぞれうまくつきあっていく」ということなのかもしれないなあと おぼろげに感じました。 住めない、住める、という単純なyes,noでは片付かないところに 今回の問題の深さがあるなあと思いました。ご回答ありがとうございました。
- amaquma
- ベストアンサー率46% (26/56)
>現地の方の声が「大丈夫なので、大丈夫かと聞かないで」ということなら、 >もう心配もしないことにします。 是非今後も福島のことを心配してください。それと同時に60年以上前に被爆した広島や長崎のことも同様に心配を続けてください。 「大丈夫なので、大丈夫かと聞かないで」という言葉は、相手に無用な心配を掛けたくないとか、いちいち回答するのが面倒、とか。あるいは無知や混乱故のパニック状態から発せられた言葉である可能性が高いです。 また、東北と関東とのこの問題に関する冷酷な温度差を感じてそのような発言をしてしまうケースもあると思います。 とにかく心配は続けてください。それすらも無くなってしまったら、昨今の流行語である「絆」は切れてしまいます。単なる流行語でしかないのなら、それまでの話ではありますが。 正直な話、私の中では「瓦礫受け入れ反対運動」を決して忘れないようにしよう。その運動を派手に繰り広げた地域が被災したときには、そのことを必ず思い返そう、と心に誓っています。結局「絆」とはその程度のものなのかと暗い気持ちになってしまいます。 日本は「唯一の被爆国である」ことを忘れないでください。「唯一の被爆国である」という事実は、被爆による急性傷害の悲惨さを知っている、ということと共に、その後の広島・長崎という街がどのように発展を続けて行ったか、という事実を知っていることも意味します。 「原子力村」と「反原子力村」の人達はそれぞれ自らが望む到達点のために都合の良い情報を発しているだけです。それらの情報も手にしつつ、何が本質なのか自らが考えることが求められています。 私自身、福島第一原子力発電所の問題にうんざりしつつも、日々電気を使っている現実があります。そして県境を越え東京電力の営業区域に行くと、東北に比して煌々と光る照明を目の前にして、脱原子力などたんなる掛け声だけで、本気で何かするつもりはないのだろう、という気持ちにもなります。 私の中には、東北以外の関東や、その他の地域の人達よりも強い当事者意識があります(といっても浜道りの人間じゃない)。よってかなりのバイアスも含まれているとは思います。よって、かなり支離滅裂な文章になっているだろうことをご容赦ください。 ただ、その中でもなにか為になるエッセンスが得られたなら嬉しく思います。
お礼
お礼が遅くなってすみませんでした。 都合のいい情報… そうですね、どっちもだからわからなくなります。 心配はし続けますね。 でもその心配が、ちょっとしたところで反対に転んでしまうので、 なんともデリケートな問題だな、と思っているところです。 どうもありがとうございました。
- E-1077
- ベストアンサー率25% (3258/12620)
通常の生活をしています。 勿論年間線量の高い地区からは遠く避難はしていますが。 1Fでも免震棟まではマスクなしでいけるようです。 警戒区域以外では普通の生活です。 甲状腺の以上とか、以前言われていた鼻血を出す子供が多いとか、下痢が続くとか、まったくのデマです。 一時帰宅で帰る途中から線量計のアラームはなりっぱなしです。でも仕方ない。 いま室内線量は0.02くらいかな。原発から50キロ離れてます。 マスクもしないし、普通に生活してます。地元産の野菜は安いので良く買います。旨いです。 大丈夫だから大丈夫としか答えようがありません。 大丈夫です。 でも、心配はありがたいです。気にかけてくれるのは、自分の事も含めて日本にいる限り、いつかはわが身です。 本当に失礼ですけど九州の豪雨をみて、東北からはボランティアにはいかないだろうなあなんて考えてしまいます。 同じく被災してますけど・・・・。 熱が38度あっても頑張れる人と、平熱高めの37度で大騒ぎする人といるでしょう? それと似たようなものじゃないかなと思います。 最近は健康調査の問診票も書くのも嫌になりました。めんどくさい。町での復興計画についてのアンケートも回ってきますがもううざくて・・・・。 大丈夫です。マジで・・・・・。生きてます。
お礼
答えづらい質問に答えてくださってありがとうございます! そうなのですね、現在室内線量0.02は低いですね!我が家と同じです。 また、1Fの免震棟までも、マスクなしで行けるまでになっているとは知りませんでした。 そして、まだいろいろな健康調査などもされていらっしゃるんですね。 お疲れ様です…。 でも、なんだかこうして実際のお話を聞けて、 デマはデマなんだな、ということがわかってきてほっとしました。 体温のたとえもなるほどな、と思いました。 私自身、ある時期から、そんなに気にならなくなってきているはずなのに 一生懸命原発事故を怖がろう怖がろうと しているような自分に気が付き、 そこからすべてがよくわからなくなってきてしまっていたんです。 実際のお話を聞けて、普通の生活と知ることができよかったです。 でもご自宅で生活できないご不便ははかりしれないですよね。 どうぞ健康に気を付けて、お元気でお過ごしくださいね!ありがとうございました。
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お礼
なるほど、そうなのですね…海外からありがとうございます。 今まで、いわゆる「放射脳」な人がよく読む情報ばかりの生活から ちょっと足を洗い(苦笑)、あまりそういう情報にアクセスしないでいたら、 なぜか本当に「なんにもなかったよう」な、 別に危険もなにもないような、そんな日常なことに気が付きました。 そうすると、危険派も若干行きすぎなような気がしてきて、 ついこのような質問をさせていただくことにしたのでした。 ひとときより地震が減ってきているのも、日常を取り戻せた原因かもしれません。 日本ほどの国が、これで終わりだ、とならないような気がしてきたのもあるかもしれません。 チェルノブイリのとき、ヨーロッパの人たちがどんなふうに右往左往したのか そういった日常を知りたいなあと思う今日このごろです。 というのも、ヨーロッパからの食材、ジャムなどにも 注意すべし、という情報を目にしたからです…。 どこがどう安全なのか、なんかよくわからなくなってきたのですが、 その一方で海外へのあこがれもあります(*^_^*) 日本民族の不思議なところ…確かに本当に不思議ですね。