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敬語を使い続ける人
何年経っても敬語の友人がいます。お互い同世代の40代です。自分の事は滅多に言わない寡黙な友人が、勇気がいっただろう重い過去を打ち上けてくれました。他の人には言ってないそうです。信頼してくれているのかと思い、受け止めました。 他の友人と話していても、会話の沈黙が怖い、と言います。敬語を使い続けるのは無意識らしいのですが、これは引っ込みじあんが理由でしょうか。
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すみません。心理学には詳しくないのですが、 ご友人様が吃音者だということで、暫時話させてください。 吃音がある人は、人前で声を出して話すということに 強い劣等感をもっています。感情で表現するとしたら、 不安、恐怖、恥ずかしい、などです。 自分に吃音があるという事が、悲しくて情けなくて憎くて 本当に辛いのです。自殺を考える人もいるくらいです。 とてつもなく大きなコンプレックスなんです。 他の人はよく、 「焦らなくてもいいから落ち着いて。」とか 「そんなに気にしなくてもいいのに。」と言いますが、 吃音はどうしようもなく そこに出てきてしまうもの。 その事が当事者にとっては、 まるで、顔に大きな火傷の跡が在るかのような感じで、 見られたくない。隠したい。逃げ出したい。という気持ちになります。 >彼女は吃音で、随分辛い体験をしてきたそうです。 >(言われなければ分かりませんでした) 過去に、随分つらい体験をするほどの、ひどい吃音だったと思うのですが、 現在は、言われなければわからないほど、症状が軽い、もしくは、 そう悟られないようにうまく隠している。ですよね。 吃音を克服するために血のにじむような努力をなさったかもしれません。 子供のころは、何をしゃべっても吃音になってしまっていたけど、 大人になり、年を重ねてくると うまく吃音と付き合うための術を身につけることが出来てきます。 その方法は1つではなく、吃音者によって違います。 ご友人様は、その術が『敬語』だったのではないでしょうか。 友達同士のおしゃべり特有の、崩した会話言葉よりも、 自分の緊張感を保てる敬語のほうが、吃音が出にくいのかもしれません。 そのようなことも、というより、私には、 そのこと(吃音)が最も大きな要因であるように思えてしまいます。 沈黙が怖いのは、吃音者の多くが感じていることです。 話が盛り上がらないのは、自分の吃音のせい。 テンポよく明るく会話できない自分。退屈だと思われたらどうしよう。 そうやって、自分を追い込んでしまうのです。 No1様の リスクの回避。相手から嫌われないようにしたい心理。 No2様の 相手から低く評価されること。結局は、自分に自信がない。 No3様の 1. 防衛.人と一定以上の距離を保ちたい。 というご意見に、私自身、すごく心に響きました。 私も吃音持ちの女子です。心情によく当てはまります。 私の場合ですが、私は地方言葉(方言)ではなく 標準語に近いイントネーションで話すので、 地元に住んでいるのに、よく、出身はどこですか?と聞かれます。 周りの人と違う話し方は、吃音を隠すための自己防衛かもしれませんが、 それは、決して、相手を遠ざけたいためではないのです。ただ、ただ、 吃音を見られたくない。隠したい一心なのです。 (出来ることならば、他の友達と同じように楽しくおしゃべりしたいですよ。) ですので、ご友人様が、 他の人には言わず、重い過去を打ち明けてくれたという事は、 それほど、505reo様の事を信頼し、特別に思っているからではないでしょうか。 吃音者という立場から見れば カミングアウトは、本当に、かなり勇気がいった事だと思います。 普通の女性吃音者は、全力で隠す傾向にあるからです。 ひどい吃音でない限り、何も言わなければ、 ただの会話下手な人ですみますものね。 505reo様の立場から考えてみました。友人に敬語で話されるという事は 打ち解けてもらっていないような、寂しい気分になるかもしれませんね。 だけど、ご友人様が505reo様と距離を置きたいとか、威圧を感じるとか、 そういう風には思えないのです。むしろ逆だと思う。ですので例えばですが、 敬語は、ご友人様の癖や個性なのだと思ってみてはいかがでしょう。 “敬語で会話するちょっと変わった友人”(笑)でいいのではないでしょうか。 それからもし、ご友人様のほうが年下なのだとしたら、ただ年功序列を人一倍重んじる 性格だけなのかもしれませんし。あまり気になさらないほうが良いように思います。 ご友人様の性質が、とっても私自身に似ていたので、 弁明、詳説したい気持ちが抑えきれませんでした。 長文になり本当に申し訳ございませんでした。
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No.2です。お礼をありがとうございます。 ご友人は吃音で辛い思いをなさったとのこと。 自分のことではないので返信に書くかどうか迷っていたのですが… 現在はすっかり治っていますが、私の身内が幼い頃そうでした。 本人に打ち明けられて、そう言えば一時期よく口ごもっていたし、言葉が少なかったな…と。 その頃は、「要領良くハッキリしてよ!」とこちらが不機嫌になったり注意するばかりで、全く気が付いてあげられなかったことを後悔しています。 吃音は、うちの子の場合、小学校を転校したのが切っ掛けだったようです。 転校したてで環境に慣れず緊張する場面が多く、下の子が病気がちだったこともあって、上の子は親には頼りづらい面もあり、いつも気を張っていたのでしょうね。 決して人嫌いではないのですが、外でどもることを繰り返しているうちに、他人と話をするのが怖くなったり、咄嗟に言葉が思い浮かばなくなったりしたんだそうです。 このご質問を拝見したときは、吃音のことは何も思い浮かばずに回答に参加したのですが、参加する半月ほど前だったでしょうか、場面緘黙症の話題をしていたときに上の子が自分で「小学校の時、私は場面緘黙症だったかもしれない。同級生に話しかけられても何も言葉が思い浮かばなかった。転校してどもるようになってから、話が出来なくなって辛かった」と打ち明けてくれたことがありました。 そんな大変なことがあったなんて、どうして話してくれなかったんだろう、言われてみれば思い当たることもあったのに…と自分のことが情けなくなりました。 上の子には、私に対する遠慮も もちろんあったことと思います。 でも、もしかすると思い出すことが辛かったので話せなかったのかもしれません。 自尊心に関わる話を人に、特に親にするのには勇気が要ります。 なのに、話して何も理解されなかったら、唯々頑張れだの根性無しだの言われるだけだったら、苦しいだけで何も解決しないのなら…それで何も言えなかったのかもしれませんね。 その話を聞かせてくれたときも涙目立ったのですが、つい最近も当時のことを話してくれました。 このときは、もっと辛そうでした。 転校先の教室で担任の先生が、「これ、○○さん(上の子のこと)のじゃない? 落ちてたわよ」と席まで落とし物を届けてくれたんだそうです。 そこで、上の子はたった一言、「ありがとうございます」と言えば良いだけだと頭の中では解っていても、何も言えなかったんです。 言えば、どもりそうで、唯々そのことが怖くて黙って受け取ったんですね。 すると、先生は、「あなた、何を黙っているんです? お礼ぐらいちゃんと言いなさい!!」と激怒したんだそうです…。 そういったことを繰り返すうちに先生からはすっかり信用を無くして、お腹が痛くて教室でぐったりしていたときも、「あなた、宿題を忘れたから具合悪いふりをしているんでしょう!!」と言い掛かりをつけられたり(上の子は宿題はちゃんと済ませていました)、勇気を出して、お腹が痛いから保健室で休ませて欲しいと言っても嘘つき呼ばわりされて、学校では萎縮することが多くなって、益々、人前で話せなくなってしまったんだということでした。 そんなに辛い思いをしたのに、よくぞ(吃音が)治ってくれたと思いますが、それほど大変な思いをしたのなら、どうして直ぐに言ってくれなかったんだろう?…と。 うちの子の場合、そういった大変な話は、だいぶ経ってからじゃないと話してくれないことが多いです(でも、時間が掛かっても、ちゃんと話してくれるから嬉しいですけれど)。 言えば私がショックを受けるか、先生に怒鳴り込むと思ったんでしょうかね(絶対、怒りの興奮を抑えることが出来ないまま、抗議することになったとは思いますけれど(…でも、先生も考え直してくれたり、私も知らず知らずの間に視界の狭くなっていた自分のことを反省することは出来たんじゃないかとは思います)。 タイトルは解りませんが、「どもりは二度声を聞く。一度目は外部からの声、二度目は自分の頭の中で再生される声…」そんな内容の本を上の子は読んだとき、なるほど、これは自分のことだと思ったそうです。 上の子は決して頭は悪くないし、むしろ国語は得意で読解力もあると思います。 普段も、会話のテンポの良いトーク番組やドラマを好みます。 でも、会話をするときは人の声を二度聞く処理をしていたんですね。 もしかすると、質問者さんのご友人もそう言ったタイプなのかもしれません。 人の会話を二度聞く処理をし、自分の言葉も直ぐには発しないで、一旦整理するために(頭の中の)フィルターを通す必要があるのかも。その作業工程が敬語なのでは…。 でも、私は敬語を使う人は嫌いじゃないし、寧ろ好感を持ちます。 (昨日までタメ口だった人が突然敬語になったら…避けられてるのかな?と何となくショックを受けるとは思いますけれど。) 誰にでも敬語というのは、人を差別したくないという気持ちの表れでもありますよね。 それに丁寧な言葉を使うからには、人の話を丁寧に聞きたいという思いと、自分自身の話を丁寧に聞いて欲しいという願いもきっとあるんだと思います。 ↓今回のご質問とは、あまり関係はないかもしれませんが参考に… 【場面緘黙症】http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%B4%E9%9D%A2%E7%B7%98%E9%BB%99%E7%97%87
お礼
再びのご回答とリンク有難うございます。私は初めて聞く名前でした。参考になりました。ですが、彼女には当て嵌まらないかな…。むしろ、彼女も自覚しているのですが、発達障害の特徴が多分にあるのです。 吃音のため、担任から嫌みを言われた心の傷は癒えないようです。お子さんと同じ辛い体験です。 敬語の件ですが、芸能人にを呼ぶのも「様」付けですし、癖になっているのかもしれません。 過去は過去ですから、今そしてこれからも私が出来ることは彼女の気持ちに寄り添うことだけだと感じました。有難うございます。
- banyanyan
- ベストアンサー率25% (21/84)
私もそういう人です 自分の事は滅多に話しませんし、仲がよくても敬語です 最初に敬語だと、タメに切り替えるタイミングがつかめないんですよね・・・ 別に心に距離を置いてるわけじゃないんです。 タメ語を使うのが。。照れくさいだけです。。。
お礼
回答者様のように距離を置こうとしているわけではないのかもしれません。 彼女言うには「とてつもなくシャイな人間。でも、人との繋がりは求めたい」らしいです。 タイミングを逃してしまうこともあるかもしれませんね。始めは寂しく感じましたが、彼女の個性だと思えるようになりました。貴重なご意見有難うございました。
- ur2c
- ベストアンサー率63% (264/416)
そのような,敬語を使い続ける者です.自分の場合はそうする理由が2つあります. 1. 防衛.人と一定以上の距離を保ちたい,という意思表示. 2. 省力.人との距離を測って敬語の程度を使い分けるのが煩わしい. 2. は「丁寧な方に合わせてしまえば文句はなかろう」ということです.子供の頃,外国に住み,学校や遊びで使う現地語には,日本語ほどの複雑な敬語はありませんでした.一方,そこの日本人社会はお上品で,日本語で話すときは敬語で苦労しました.内心,えーい,めんどくせー,と思いつつ,正確な敬語で話す習慣はつきました. このように意識はあり,会話の沈黙が怖いということもありません.したがって,ご友人とは動機が異なりますけど,ご参考まで.
お礼
やはり、自己防衛かもしれませんね。この年になると年に1、2回会う程度の距離感が心地好いし、彼女が敬語を使うことで安心感を持てるなら、それでいいかなと思えるようになりました。 敬語を使われる側のご意見参考になりました。有難うございます。
>他の友人と話していても、会話の沈黙が怖い、と言います。 沈黙とは、拒絶されること。拒絶されることは孤独を指している。 そう感じられるから、ご友人は沈黙が怖いのでしょう。 ご友人は、相手から嫌悪感を持たれることを気に病む質なんだと思います。 つまり、相手から低く評価されることが怖いんだと思います。 自分の言動で相手から不快に思われたり、場がしらけたりしたときに、到底気の利いたことを言えるとは思えないし、何か言って余計に物事が悪化するのが怖いのでは。会話が途切れたときに発言しても、単なる言い訳だとか、空気の読めない奴だとか冷たく受け取られてしまったら、この後どうやって場を修復したら良いのだろう?――という悲観的な思考が ご友人にはあるんだと思いますね。 例え誤解されようが自分の中の真実は揺らぎないし、おかしな奴と思われても、それもまた自分。嫌われようが自分は自分なのだから、嫌われたことで価値が下がるということはないし卑屈になることもない。――そう思えるのなら、相手の沈黙に対して何も恐怖することはないと思います。 ご友人は誤解を受けたのなら、その場できちんと説明すれば良いのだし、沈黙の理由が知りたければ相手に訊けば良いのです。 でも、それが出来ないから、沈黙が怖いのでしょう。 常々、相手からは自分は低く見られているし信用もされていない、そう感じることが多いのではないでしょうか。 結局は、自分に自信がないんだと思いますね。 別に低く見られていようがなんだろうが、本気で親しくなりたい相手なら、恐怖よりも溝を埋めたい気持ちが勝るので、沈黙があっても、ご友人は気を取り直して会話が出来ると思います。 そこまで親しみを持てる相手が少ないから、周囲に威圧感を感じていることが多いから、どうしても会話が敬語になってしまうんだと思います。 そうして、つかず離れずの距離を保つには敬語が無難だということを経験的に察知しているのでしょう。 >自分の事は滅多に言わない寡黙な友人が、勇気がいっただろう重い過去を打ち上けてくれました。他の人には言ってないそうです。 質問者さんは、いきなり突き放したり相手の言葉を遮って自分のペースに巻き込んだりせずに、最後まで丁寧に話を聞くタイプなのでは? ご友人は、質問者さんからは威圧感を感じていないのでは。 推測ですが、質問者さんには親しみを持っているし、安心感が持てて素が出せる貴重な存在なんだと思います。 >敬語を使い続けるのは無意識らしいのですが、これは引っ込みじあんが理由でしょうか。 (ご友人の場合は)結局はそういうことになると思います。 また、ご友人は思慮の浅い人物と思われることを恐怖しているんだと思います。 それをやって、大変な苦労したことがあるのではないでしょうか(家庭内のことか学校でのことか場は限定しませんが、幼少期や学童期など過去に会話下手で孤立したり誤解されたという辛い過去があって尾を引いているなどです)。 ご友人は、やいのやいの、があがあと一気にがなり立てられるのがとても辛いし、そうなると何も言い返せない質なんじゃないかなと。これは、会話力(コミュニケーション力)に自信がないということになると思います。 「会話の沈黙が怖い」という件でも述べましたが、結局は“自分に自信がないということ、人から低く見られることに対する恐怖がある”んだと思いますね。 結局は自分で自分を低く見ているし、そのことで辛い思いをしているということだと…。 推測ばかりで申し訳ないのですが、参考になれば幸いです。
お礼
ご丁寧な回答を有難うございます。 彼女は吃音で、随分辛い体験をしてきたそうです。(言われなければ分かりませんでした)。 そのようなことも要因なのかもしれませんね。 「自分に自信がない」とは、よく言います。 そんな友人の勇気を認めますし、彼女の誠実さが好きです。 このままの彼女を受け入れることが大事なのですね。本当に有難うございました。
- bb1234
- ベストアンサー率28% (58/203)
仲良しになると普通は”タメ口”になりますよね!? 又は、仲良しになりたい相手には”タメ口”を叩くことが多いと思います。 しかし、稀に敬語を使い続ける人もいます。これは引っ込みじあんというよりは、無意識か意識的にかは状況によりますがリスクを回避しているのではないでしょうか!? ”タメ口”を叩くと、少し間違えば”カド”がたつことがあります。関係がギクシャクしたものになるかも知れません。そのようなリスクを冒してまで気を使いながら”タメ口”を叩くくらいなら”敬語”を使ったほうが相手に害を与えないし、一定の距離感も保持でき精神的にも楽ということは容易に想像ができます。また、相手から嫌われないようにしたい心理が働いている可能性もあります。 どちらかというと「素直になれない」「素直になれなかった」人にそのような傾向があるようです。
お礼
「リスクの回避」…一理あるような気がします。 価値観は人それぞれと、分かっていても、同世代なのだから、もう少しフランクになってくれればいいのになぁ、と思います。 でも、 〉一定の距離感も保持でき精神的にも楽 なのであれば、受容するしかないのでしょうね。 有難うございました。
お礼
ご丁寧なアドバイスを有難うございます。吃音を治そうと彼女は最近の映画「英国王のスピーチ」からヒントを得ようと必死でした。 「この吃音にどんなに苦しんできたか…」とメールに書いてきたことがあります。あなた様の文章を読んでいて目頭が熱くなりました。当事者しか分からない苦しみでしょう。敬語を使う理由は、きっと色々な要因が複雑に絡み合っている(親からの愛情を受けなかった、など)ように思えます。 私には大切な友人ですので、おっしゃる通り彼女の癖や個性として受け止めようと思います。 感謝します。