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仕事の意味について考えてしまいます
- 仕事の意味について考える私たちの思いとは?
- 社会の進化と仕事の意味についての考察
- 自己家畜化の時代、仕事の意味について疑問を感じて
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原始以来、人は常に競い合い、凌ぎ合い、いのちを賭けて戦って きました。 その闘争本能と生存本能のせめぎあいの中で、人は知能を磨き 力を養い、心と体を鍛え、一面で道徳律を築き上げたのです。 その結果、文明が築かれ文化が創られました。 地球に人類が溢れるほど栄えているのは、戦いがあったからです。 御指摘の通りです。 温室で育てられた植物は、色々と手を掛けないとすぐに枯れて しまします。 これに対して、雑草は、抜いても踏みつけても生えてきます。 過剰な社会福祉は、文化的にも経済的にも国家を衰退させます。 国家だけじゃありません。 人類もです。
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- Mokuzo100nenn
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仕事の意味のミニマムは、食うため、生きるためです。 しかし、食うこと、生きることが問題なくできる状態が長く続くと、その意味だけでは足りなくて、別の意味を見出したくなるのでしょう。 荒治療としては、仕事を全くしない状態をしばらく続け、食うこと、生きることが困難な状態になってみることで、仕事の意味を再認識することが出来ます。この荒治療はあまり、お勧めでは無いですけど。
>1.世の中のために労働するのは世の中にとって価値あることなのか 人間は前文明時代から集団で働いてきました。お互いに助け合って生き抜く、という集団行動で人間は他の強力な敵と互角以上に渡り合って生き抜いてきたのです。助け合う、お互いに作業を分担して困難な仕事を成し遂げるという本能的なもので人間は自然世界を制覇したともいえます。現在でもまっとうな仕事はそういった社会性という価値を必ず持っています。だからこそ人間は給料は二の次で目前の仕事を一生懸命遂行できる動機を持てるのです。 > 2.「人間は文化が成熟すると滅亡する」という自分でたてた仮説は妥当性があるのか 過去にはインドや中東、古代ローマなどの文明をはじめとして 成熟した文明がその頂点を過ぎて没落した例がたくさんあることは事実です。しかし、それらはそれなりの理由があり、必ずしも文明そのものが没落の原因になったわけではないことが明らかにされています。 質問者様が現代文明のゆきづまりに危惧を抱いておられることは私も理解できます。しかし、人間は自身を自身の手で滅ぼすほど馬鹿ではない、かならず今の隘路は開かれる、そのためにこそ科学は進歩しているのだし、科学だけではない、先端科学の方向をコントロールする現代哲学の先鋭が必ずそれらを究極のユートピアに導くに違いないと私は信じています。もちろん近未来において紆余曲折はあるかもしれませんが。 > 3.こういう疑問に関する文献などあれば教えていただきたい 古代文明の崩壊については湯浅赳夫 環境と文明、J.ダイアモンド 銃・病原菌・鉄 などがわかりやすかったです。 ご参考まで。
恐竜の滅亡は、直接的には彼らの内的要因ではなかったわけです。辛うじて鳥類が直系の子孫として生き延びたとしても、第隕石の主都つというのは恐竜とは歩とンのDつながらないと思います。人類が行っていることもおそらく滅亡の直接的原因にはならないのではないでしょうか。大地震が起こらなくなったら地球は冷え切ってしまうだろうと思います。太陽が滅びる前に地球は火星や月のようになるのかなと想像します。要するに人類が限りなく発展することもないし、すべてほとんど偶然の成り行きではないでしょうか。せめて部分的にでも納得できることをやれれば幸いというべきかと思います。
- kanto-i
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本性とひとくくりにしてしまうと矛盾が出ると思います。 分かりやすくするために、自分なりの言葉を使うと 平和や愛を持つのは、本能から来ています。 マズローの欲求の五段階説でいう、生理的欲求に入ります。 低次の欲求ですから、誰しも赤ん坊のころから持っています。 スキンシップや優しい言葉をかけられたりなどで満足を得る欲求です。 差別や欲望、過度な競争などは反応として出ています。 認められたい(承認の欲求)が満足しないと、過度な欲望として出ます。 それは反応なのです。 反応から過剰適応しようとすると、行動に歪みが出ます。 それが破壊活動へ繋がる行動です。 いい争いや喧嘩・裏切り、そして場合によっては戦争へと発展する場合もあります。 人はパンのみで生きるにあらず。 精神的欲求を叶えるために、生きています。 欲求はいろいろありますので、反応もいろいろ出ます。 欲求を適切な形で満足させることを覚えれば、最後に残るのが自己実現の欲求です。 そこに自身オリジナルの創造を叶えることになります。 それが人間関係の構築だったり、仕事として何がしかに反映していく事になります。 欲求は満足すれば消えますが、また湧き出てくるのも欲求です。 十分に食べたら満足して食欲は消えますが 生きていれば、また欲求は出てくるのと同じです。 それが、結局は人類の発展に繋がります。 欲求といい形でつきあっていければいいのですが 不満から欲望に発展すると、崩壊へと歩いて行くことになります。 人類が破滅へ進まないためには、欲求をできるだけ適切に(自分で)満足させながら 生きていけば、自分の欲求と相手の喜びが重なるポイントが出てきます。 そこまで行きつくことが、更なる発展へと向かう方向だと思えます。 平和がユートピアではなく、平和は一つの条件にすぎないと考えています。 愛があり平和で、自分を認めてくれる人がいて 心地よい集団に属し、自分がやることで相手が喜んでくれることをお互いに繰り返す。 繰り返し続けることに、進歩と発展が含まれてきます。 欲は限りないから、大丈夫だと言えますが 自分を見失うと欲望に発展するので、そこを乗り越える過渡期に入ってるのだと思います。 欲も本性でしょうが、満足や不満を感じることも本性です。 人は反応に気をとられやすいですが、不満は満足へと向かわせる指針。 それを人に求めず、自己に求めることができるようになれば衰退を乗り切れます。 と言うことを踏まえて、自己と他者の為に仕事は存在すると思いますよ(^^) 乱筆・乱文ご容赦ください。
- ukiyotonbo
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その通り、人間は崖っぷちに爪先立つ道化師です。 多くが奈落へ落ち、その犠牲でようやく生き延びています。 自由と平等、個と組織、マスターとスレーブ、競争と協力・・・ 楽に自分勝手したい と コミュニティを死守しなければならない 1.世の中人間は文化が成熟すると滅亡すのために労働するのは世の中にとって価値あることなのか 人間は、何をやっているかというと生産活動または生産活動の補助をやっています。 生産と生産性の向上には価値があります。 この崖っぷちの表層は安全と経済です。 2.「人間は文化が成熟すると滅亡する」という自分でたてた仮説は妥当性があるのか 人間次第です。あなた次第なのかもしれません。 科学技術の行く末が滅亡というシナリオを想像できる人間が、その崖っぷちで何を選択するか。 その妥当性は崖っぷち? いやいや、あなたが滅亡する側を選択すると滅亡します。なぜなら、あなたの「人間」というものはあなたの中にあるからです。 福島原発事故が崖っぷちの先端を鋭くとがらせて、つま先立ちに曖昧が許されなくなりました。 お洗濯日和です。
補足
簡潔にして要を得たご回答ありがとうございました。 人間は、常に、両立しえない二者の間でバランスをとりつつかろうじて存続しているという ことでしょうか?どちらに偏っても墜落してしまう。そこで、安全と経済が二極になっていると いうことだと思うのですが、私はむしろ、「安全、経済」と「野蛮、貧困」が対になっているのでは ないかと思います。異論は多々あるかと思うのですが、そういう仮定をとりあえずするとすれば、 労働は、天秤を「安全、経済」のほうに大きく傾けてしまう要素になるのではないかと思います。いかがでしょうか? 自分たちの選択が世界を選択する、という考えは、大変希望のある考えだと思いました。 世界が自分たちの微力な意志の総和であるならば、そして(ユング的ではあるけれど)人はみなある種自分の相似形であるならば、自分がどう考えるかということが一つの方向性になるということですね。自分と同じことを考える人がたくさんいるだろうから。まあ、現実には自分ひとりの判断や行動など誤差の範囲にすぎませんが(笑)
- mmky
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>仕事の意味について考えてしまいます。 ○仕事の意味ですか。 広い野原にポピーの花が咲き乱れている風景を想像してみてください。美しい光景ですね。でも毎年となると飽きてしまいますね。今年は菊の花がいいとかね。いろんな種類の花が咲き乱れているとどうでしょうか。多少ごった煮のようですが、ああ今年は菊の勢力が強いねとか、シクラメンは頑張っているとか、ダリアが高さを競っているとか飽きないですね。 さて、何故多様な花があるかを考えることは、多様な仕事があることと同じことなのですね。 野原で花々は競い、結果としてユートピアを実現しようとしているのですね。例え、ある年の大雨でいっさいがっさいが流失したとしても、その光景を手本にまた違う場所でユートピアを実現しようと頑張るのですね。 世界から観ると日本はユートピアに見えるでしょうね。日本を手本に日本のようになりたいという国がたくさんあるのですね。でも中はと言えば、野原の花々と同じですね。それぞれが自分の環境を憂いながら右往左往しているのですね。私はシクラメンでありたい、いや私はダリアでありたいと思ってもポピーで有り続けるしかないという現実からは逃れられないのですね。 つまり、結果ではなく一人一人が自分にできる精一杯の花を咲かせれば良いだけなのですね。その全体がユートピアであるかどうかは個人個人にはわからないものなのですね。 これが老いた哲学者の答えですね。
- 雪中庵(@psytex)
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生物は、生きるために生きています。 それは、進化とは淘汰(物質の持つエントロピー増大)の 反力だからであり、それを否定するいかなる動きも淘汰 される事によって、結果的にこの指向は維持されます。 そして人類は、脳の発達において、遺伝子の変化によ らず行動を多様化できる事で、分業化による組織化を 容易にし、社会性を発達させた。 そこにおいて、働く事は生きる事であり、本来生物として の根源的喜びを得られる(社会生命的自覚=助け合い としての労働)はずのものなのだ。 しかしその社会性の発達において、自己の生命性の 社会的延長を把握させ、自律的な社会的行動(助け合 う喜び)を導かずに、お金や出世といった“馬車馬の目 の前のニンジン(社会的二次情報)”によって他律的に 操る方法論(個人の認識ではなく社会システムの方を 発達させた)をとった。 そのため、本来生物的に生きる喜びの源泉であるはず の生きる事=労働(助け合い)は、お金をもらうために イヤイヤ働くものに変質してしまった。 助け合いの情報を、お金という物質に換えた瞬間に、 汗して稼いだお金も、盗んだお金も、あるいはマネー ゲームで儲けたお金も、使う時には全く同じ価値を 持つようになり、人の役に立って得るより、人をだまし て楽に儲けた方が良いものになるのだ。 お金を廃止して、本来の助け合いの情報に還元し、 それによって自覚的な分業(=助け合い)を促す事が 理想だ。 インターネットを活用した“製造者や消費者の顔の見 える取引き”や、ICチップと携帯端末を利用した購買 (個人の状況に応じて物価が変動する)といった、 IT化により、その可能性は出てきたが、政治家が 裏金に依存し、大企業が脱税に躍起となっている 状況では、全ての経済活動が明示化され、泥棒も 不正も不可能になるこのシステムは実現されまい。 そうして「他律的社会化」は進行し、人々は歯車と して環境認識力は低下し、宇宙は消滅していく。
- toiawasedesuyo
- ベストアンサー率15% (733/4702)
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補足
ご指摘ありがとうございます。確かに、何が知りたいのかわからない文章でした。 知りたいことを整理すると、以下の3点かと思います。 1.世の中のために労働するのは世の中にとって価値あることなのか 2.「人間は文化が成熟すると滅亡する」という自分でたてた仮説は妥当性があるのか 3.こういう疑問に関する文献などあれば教えていただきたい というところを知りたく思います。よろしくお願いします。
補足
ありがとうございます。考えてみれば、少々社会の形態が変わったところで人間の本質は変わらないので、人間の欲がなくなることはないですね。皆が欲を失って仏様みたいになってしまえば人類は滅びるだろうけれども。大地が開墾し尽くされて、耕す畑がなくなったときに、余剰になった体力や思考(や虚しさ)をどう処理するのかということなのかもしれませんね。おっしゃるように。恩師も「人間欲がなくなったらおしまいだ」とよく言っていました。そういえば。