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東条英機は篠塚義男を追い抜いて進級した?
東条英機が大将に進級する際に、先任者の篠塚義男がいるのにそれを追い抜いて進級した事から、異例だと読んだことがあります。先任者云々の理屈はわかりませんが、篠塚中将のどの辺りが先任なのでしょうか。 手元の『陸海軍将官人事総覧』によると東条・篠塚両名ともに大佐・少将・中将に揃って進級しています。”差”といえば篠塚中将が5年早く陸大を卒業していますが、そこでしょうか?
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当該年の物を確認していないので確信が持てませんが、「陸軍現役将校同相当官実役停年名簿」で、篠塚義男中将が東條英機中将より先任だったのでは?←これと上司や人事部の考科情報で昇進を決める。 (ネットで見つけられた昭和11年の段階では篠塚中将の方が上。) なお同名簿では、大将以下の列次を定めています。 (任官が同時の場合、位・勲・功・爵位・外交勲章[戦場での戦果等に由来]や学位および戦場にいた期間や士官学校や陸大での成績等が考慮される。) たしか、篠塚中将って熊幼、中幼、陸士をすべて首席で卒業し、陸大でも恩賜組という陸軍始まって以来の秀才ですし、オーストリア大使館附武官時代の情報収集で「名諜報で名声を博した」(大山巌元帥等)と評価されたようです。 日中戦争では、第10師団長、第1軍司令官として中国大陸を転戦しています。 なお、当時の帝国陸軍では大将に昇進する為には「歴戦者又ハ枢要ナル軍務ノ経歴ヲ有スル者」というのが条件(日露戦争後の平時に大将への昇進を可能にする為に、「枢要ナル軍務ノ経歴ヲ有スル者」が付加された位で、優先度ではやはり歴戦者である事は有利)でした。 (満州での功績[ただし中央を無視した行為]をのぞけば軍官僚である東條中将には不利。) 昭和16年当時でも、篠塚中将が先任でもおかしくないかと思います。 (まあ、あくまで「先任順に審議を以って天皇に奏上する」と言う形式なので、先任だからと言って大将に昇進で着るわけではないのですが…。←ただ、下位者に抜かれると普通は、予備役へ行く事[下位者が最先任になる]に成りますが…。)
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- yatiyochan
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質問の補足を読みました。わざわざありがとうございました。 さきの質問の中で、『陸海軍将官人事総覧』を引用し > 篠塚中将が5年早く陸大を卒業しています とあるのをうけ、 No.1氏が、引用文献を示したうえで簡潔に回答されておられます。 >修了の有無とその成績が、少佐への抜擢進級の重要な要件であり、大尉進級時にも陸大修了者が優先抜擢する場合があった。こうして定まった少佐進級時の陸士同期生中の席次順位が、将官への席次になった このほかに篠塚・東條には進級の遅速がなく氏の回答で納得されたのではないでしょうか。次いで私の投稿は陸軍大将の進級についての参考として書いたものであって読み捨てていただいて結構です。 なお、質問文にもあるように篠塚、東條の中将進級は同日でした。大将に進級するためには「六年以上の実役定年をもつ中将」という内規があったために、両人ともその資格がありませんでした。しかし東條が首相に就任したため、序列上位にする必要がうまれ、中将4年10か月で特例を設けて内規を五年に短縮したわけですが、いっぽう篠塚には特例を設けてまで進級する理由がなかったということです。たしかに総覧に「同期先任の篠塚義男を超越して進級したのも初めての例であった」とありますが、陸軍大将66名中、4名の非陸大出身者がいることからみて質問の引用文ふくめ検証の余地があるかもしれません。 もちろん本投稿文も読み捨てて結構です。
- yatiyochan
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>東条英機が大将に進級する際に、先任者の篠塚義男がいるのにそれを追い抜いて進級した事から、異例だ ということですが、それに従うなら『陸海軍将官人事総覧』の同項にある「後宮淳」のばあい、篠塚より六年遅く陸大に入り、一年遅れで大佐、少将になり、九か月後れで中将となったにもかかわらず、篠塚は予備役に編入されたの対し、大将になっていることはさらに異例であることになります。 回答No.1氏も書いておられますが、海軍は海兵の成績が絶対的であったにもかかわらず、陸軍においては、陸大修了か否かは佐官級には影響があったにせよその時の先任が絶対的ではなかったということです。 山口宗之『陸軍と海軍 ─ 陸海軍将校史の研究』(清文堂出版)は、陸海軍将校の進級の通説をデータをもって覆した好著ですが、同書中「陸軍大将誕生の条件」は、各将官の陸士・陸大の成績を比較しながら進級の実際を明解に示したのち、そのことから導かれるのは >陸軍大将の誕生にあたっては幼年学校・士官学校の成績は問題にならず、陸大入学の遅速も無関係であった。陸大優等の卒業成績は四五%程度の効力を持ったが決して切り札でなく、反面あきらかに下位と思われるなかから十名前後の大将が出現したこと、元帥府に列せられ三長官を歴任した杉山元が中程度の成績であったこと、等は陸軍大将たるべく学校成績がこれを左右しなかったことはほとんど確定的というべきである。 というものでした。 つまり、東條が篠塚に先んじて大将になったというのは、進級の内規を特例で変更した事実はあるにせよ、先任を追い抜いて「異例」というのは当たらないということです。
- k99
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海軍に於けるハンモックナンバーの様なモノだと思います。 「先任」ってぇのは、文字通り任官した順番でもありますが、同時に人事序列でありまして、同時期に昇進したとしても必ず上下があるモノです。 #海軍はそれを殆ど兵学校の成績=ハンモックナンバーでやったのでそれが序列の意になった http://www.nids.go.jp/publication/kiyo/pdf/bulletin_j9_1_4.pdf に 「陸大修了の有無とその成績が、少佐への抜擢進級の重要な要件であり、大尉進級時にも陸大修了者が優先抜擢する場合があった。こうして定まった少佐進級時の陸士同期生中の席次順位が、将官への席次になった」 なる記述がありますので海軍のそれほど明示的でないにしろ、何らかの同期内序列が存在していたんだと思います。
補足
質問の趣旨が違います。”異例”かどうかではなく、疑問なのは”先任”かどうかという点です。 また、”異例”は私の意見ではありません。『陸海軍将官人事総覧』の38ページに「抜擢進級の法則」の節がありますが、そこに東条中将を大将に進級させるための特例…の後に「同期先任の篠塚義男を超越して進級したのも初めての例であった。」とあります。つまり東条より篠塚のほうが序列が上だったということでしょう。その序列の上下が何に由来するのかが疑問なのです。