80年代の日本を揺るがした宗教団体の大規模盗聴犯罪
創価学会は盗聴と工作が宗教活動になっているという学者や政治家が多いですが、
大規模盗聴事件を起こしたのは創価学会だけであり、しかも異常な行為を何度も起こしていますが、こういう宗教団体はカルトといえませんか。
反社会的な教団が政治参入していて問題ありませんか?
参考図書を挙げておきます。
共産党・宮本議長宅電話盗聴事件を検証する(第1回)
ジャーナリスト 段 勲
電話盗聴――。通信の秘密、プライバシーの権利の侵害でもある。
まして被害者が公党の最高幹部なら、政治活動の自由を侵害するという憲法違反がこれに加わる。
これまでも公的機関による電話盗聴は、何件か発覚し、裁判沙汰にもなった。あるいは、仕事熱心な新聞記者による盗聴取材もあった。
しかし、平和と人権を強調し、社会の模範となるべき大宗教法人が、電話盗聴で裁判に訴えられ、しかも、その事実が認定されたケースは、わが国の歴史上で一件しかない。
創価学会である。
その創価学会の最高指導者・池田大作名誉会長は、世界諸国を歴訪し、自らの信仰を広める一方で、平和の大切さ、人権の重要性を説いて歩く。
でも、電話盗聴を行なった被害者に対 し、一言のお詫びもなければ、反省の色さえ見せることはない。
真に池田氏が、平和主義者、人権派を標榜するなら、被害者に丁重にお詫びしてこそ本物である。他国から人権賞などの勲章を貰う前に―。
だが不幸にして、これが創価学会の救い難い体質である。創価学会の行動はすべて正しい、池田先生に間違いはない、というのだ。
極端な話、いまだに学会員の間に 「電話盗聴は、反学会グループの謀略。日本共産党の作り話」 と、信じて疑わない人々も存在する。
しかし事実、創価学会の手によって、「日本共産党・宮本顕治(現・中央委員会議長)宅電話盗聴事件」が起こされた。
公党の最高幹部宅に電話盗聴機を仕掛けるなど、あまりにも大それた行動である。
それも、〝公安〟がやった、というならまだしも、歴とした宗教法人の仕業である。
いまあらためて、学会が起こした前代未聞の「電話盗聴」という事件を題材にし、信仰の美名に隠された創価学会の謀略性について検証する――。
創価学会はなぜ、「日本共産党・宮本顕治書記長(当時)宅」を電話盗聴したのか。
動機は、同会が起こした昭和四十五年前後の「言論出版妨害事件」である。
以下、まず電話盗聴に至る経過を、日を追って簡単に説明しておこう。
昭和四十四年十二月十三日、日本共産党の松本善明衆院議員が、NHKの討論会で創価学会の「言論出版妨害事件」を指摘。
同事件とは、明治大学の教授であった藤原弘達氏 (現・政治評論家)が、『創価学会を斬る』(日新報道刊)を刊行した。
当時、創価学会を表面切って批判する本は少なく、社会から注目される。その一方、これは後に発覚するが、同著の刊行に対して創価学会 は、公明党議員を使って著者に圧力。
さらに出版後も、各書店に「同本を扱わないように」等、圧力をかけていたのである。
こうした事実関係はすでに週刊誌等で報じられていたが、先の松本議員がNHKで指摘したことから、問題は一挙に表面化した。
以来、同事件に対する共産党の追及は激しく、創価学会は防戦に追われることになる。
同年十二月十七日、藤原弘達氏が『赤旗』紙に、言論出版事件に田中角栄自民党幹事長(当時)が介入していたことを暴露。さらに、事件は国会に飛び火する。
昭和四十五年一月五日、公明党の竹入義勝委員長 (当時)が、言論出版の妨害を全面否定。
同年一月六日、田中角栄幹事長、言論出版妨害に関与した事実を認める
同年一月十一日、創価学会の学生部幹部会に登壇した渡部一郎公明党国対委員長(当時)が、言論出版妨害問題を「バカバカしい話」との暴言をもって否定。
同年二月十八日、国会で共産党の米原衆院議員が代表質問に立ち、言論出版妨害問題を言及。この頃、「言論・出版の自由に関する懇談会」が結成され、〝言論・出版の自由に関する大集会〟などが開催される。
同事件は全国的に知られ、社会の衆目を集めるようになる。
同年二月二十七日、渡部一郎氏が前記暴言の責任を追及され、国対委員長を辞任。
週刊誌、新聞、テレビがこの問題について報道する中で、創価学会が実際に行なってきた「言論出版妨害」が次々と明るみに出された。
妨害を受けた著作物をざっと列記してみると、『公明党の素顔』(内藤國夫)、『これが創価学会だ』(植村左内)、『創価学会・公明党の解明』(福島泰照)、『創価学会』(竹中信常)、『日蓮正宗創価学会・公明党の破滅』(隅田洋)、『公明党を折伏しよう』(塚本三郎)、『小説・創価学会』(梶山季之)などである。
これら創価学会批判の各著作に対し、同会は「一切の批判を許さない」という態度で、金や組織の力で懐柔・脅迫・弾圧を加えた。
あるいは時の権力者である自民党幹事長や右翼まで使い、出版物を闇から闇に葬ろうとしたのである。
むろん公明党議員も、創価学会の一兵になって言論弾圧に奔走した。
ほんの一例を紹介しよう。
『日蓮正宗創価学会・公明党の破滅』の著者・隅田洋氏とは、当時、西日本新聞東京支社・論説委員の隈部大蔵氏のペンネームである。
隈部氏は、その後、『月刊ペン』の編集長になり、いわゆる月刊ペン裁判の原告になった人物だ。
その隅田氏こと隈部大蔵氏が、著書の中でこう記述している。
昭和四十三年九月十一日午後一時、東京赤坂プリンスホテル新館の一室。
同室に隈部氏は、公明党副委員長・参議院議員北条浩氏(後の創価学会四代会長=故人)から呼び出される。
以下、二人の一問一答。
北条: 隅田洋著『創価学会・公明党の破滅』という学会批判書の著者である隅田洋を、今日まで半年がかりで探した結果、やっと探し出した。この隅田洋なる者が、ここにいる隈部大蔵その者だ。人違いであるとは、絶対に言わせない。
しかしだ、いくらペンネームを用いて学会を批判しようとも、全国的に張りめぐらされている学会の情報網に引っかからない「虫ケラ」はいないのだ。わかったか。
隈部: ……。
北条: よく聞いたがよい。たとえていえば、創価学会は「象」それも巨象だ。これに比べてお前は一匹の「蟻」だ。
創価学会を批判する輩に対しては、たとえ一匹の蟻といえども、象は全力をもって踏みつぶすのだ。
隈部: ……。
国会議員とも思えぬ暴言のオンパレードだが、この当時、創価学会は万事この調子であった。
昭和四十五年五月三日、東京・両国の日大講堂で開催された創価学会第三十三会本部総会で、池田大作会長は、「結果として……言論妨害と受け取られ、世間にも迷惑をおかけしてしまった」 と、反省とお詫びをした。
この時、政教分離の宣言も行なっている。
だが、池田氏が世間に向けて謝罪をする一方で、創価学会は、同事件追及の急先鋒にいた共産党・宮本書記長宅の電話盗聴作戦を密かに進めていたのである。
同年五月十四日、創価学会の盗聴実行グループが、宮本宅電話盗聴の拠点として、「青木高井戸マンション」を賃借。
同年五月下旬、盗聴実行グループが宮本宅の電話線に盗聴機を設置し、盗聴を開始する。
同年六月十八、十九日、宮本書記長の秘書が、電信柱に付いていた盗聴機を発見。日本共産党は犯人不明のまま盗聴犯人を告訴した。
なお、創価学会の盗聴実行グループはその後、当時、敵対していた「妙信講」(現・顕正会)をはじめ、六件に及ぶ盗聴を実行した。
ところで、宮本宅の盗聴機が発見されたとき、犯行者としてもっとも疑われた機関は公安であった。
むろん確証など何一つないが、被害者の日本共産党や一般世間もまた、犯人・公安説を信じて疑わなかったのである。
やがて歳月の流れとともに、社会から宮本宅電話盗聴事件は風化し、迷宮入りかと思われた。
ところが、事件から十年の時が過ぎた昭和五十五年六月、『週刊ポスト』誌が、「宮本宅盗聴は創価学会がやったとの内部証言」 (六月十三日号) と、報じるのである。
昭和四十五年六月、日本共産党・宮本顕治書記長宅(当時)の盗聴事件が発覚以来、ちょうど十年目にして、犯行グループが浮上したのである。
当時、共産党は、犯人不明のまま盗聴犯人を告訴していたが、同党は犯行グループを、おおむね〝公安〟か〝公調〟あたりと目星をつけていたようだ。むろん、このとき、創価学会が犯行者などとは思いもついていない。
これより二ヶ月前、〝ポスト誌記者は、宮本宅盗聴は創価学会〟説の情報を得て、潜かに取材に入った。他のマスコミに知られないように、隠密取材である。
やがてポスト誌の記事が出て、他のマスコミも取材に動き出した。
だが、これほど大きい事件なのに、新聞社など大手マスコミは沈黙。沈黙したのは大手マスコミに限らない。ことマスコミ、わけても雑誌報道に〝厳重抗議〟が好きな創価学会本部も、この一件には、貝のように口を閉ざし沈黙した。
その一方、被害者である日本共産党の行動は素早かった。『赤旗』社会部切っての敏腕記者達がチームを結成して取材をスタート。それこそ地を這うような取材を展開し、早くも、宮本宅盗聴の際、創価学会の実行部隊が使用した根城をつかんだ。
こうして、宗教団体が政党最高幹部宅を電話盗聴するという、前代未聞の「日本共産党・宮本委員長宅電話盗聴事件」裁判が開廷する――。
http://www.toride.org/tap/tap1.htm