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マッキンリー雪崩 米大教授「救助要請できたのに」
米大教授「救助要請できたのに」=扇さんらしき男性に遭遇―マッキンリー雪崩 ネルソン教授らは11日から雪崩発生現場近くのC3キャンプ(標高3300メートル)に宿泊。13日午前11時半すぎに下山を始め、標高約3000メートル地点でリュックの上に腰掛けている扇さんとみられるアジア人男性に遭遇した。 男性が雪山に必要なスノーシューズを履いていないことを不審に思い、「大丈夫ですか」と繰り返し尋ねたが、「片言の英語で『大丈夫』という趣旨のことを言っただけだった」。スノーシューズについての返答も要領を得ず、雪崩の話などは一切なかったと振り返る。 教授は2900メートル付近まで男性と共に下山したが、気が付くと男性はかなり後方を歩いており、そのままはぐれてしまったという。 数日後に事故を知り、ナダリ国立公園事務所に連絡したところ、男性の風貌が扇さんとほぼ一致。扇さんが2200メートル地点で救助を求めたことを知り、教授は「われわれは衛星電話を持っていたし、C3には少なくとも20人以上がテントを張っていた。そこで事情を伝えてくれていれば、すぐに捜索を始められた」と話す。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120621-00000044-jij-int 助かった男性は、捜索したといっていますが、何の救助もしなかった可能性があります。 この男性の心理はどういうものでしょうか? 完全犯罪でしょうか? よろしくお願いします。
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- eroero1919
- ベストアンサー率27% (3007/11113)
質問文の中に答えが書いてあると思います。 >片言の英語で『大丈夫』という趣旨のこと >スノーシューズについての返答も要領を得ず これが答えですね。つまり、氏は「英語が話せず、外国人とコミュニケーションをとることもできなかった」のでしょう。 69歳なら、昭和18年かその前後の生まれで、その年代なら英会話もできないのはもちろん、外国人コンプレックスも強い世代かと思います。「私は日本の登山隊です。下山中に雪崩に巻き込まれ、私一人が助かりました。捜索と連絡に協力してもらえないだろうか」と伝えることが不可能であったのでしょう。「アヴァランチ」の単語も知らなかったのではないかと思いますよ。 我々日本人は、中国人やフランス人のように「自国語が通じない環境でも自国語を押し通す」というメンタリティは持ち合わせていません。日本にやってくる外国人にも英語で答えようとする民族です。 氏が中国人だったら自国語でわめいて身振り手振りで状況を説明し、それによって「どうやら仲間が雪崩に巻き込まれたらしい」と伝わったかもしれません。私個人は身振り手振りでも状況を説明するようベストを尽くすべきだったとは思いますが、自己主張が苦手な日本人でもさらにコミュニケーション下手な東北の人ですから、本人の能力を超えたことを期待しているのかもしれません。
- boketa
- ベストアンサー率16% (38/224)
突発的に起きた大きな事故を受けた後に普通にしていられる方が異常です、突発事故に遭遇した人は夢と現実が判らない状況になります、自身交通事故でバイクに追突された後1~2時間から数日は半分夢の中でした。 突発に受けた事故後の人のは普通に起こる事だと思います。 貼り付けて有るUELに書かれている人は健常者、しかも20人以上が居て、普通で無い人が目の前にいるのに、その人に話しかけて大丈夫と答えられてそのまま見送って 後に事情を知って言い訳がましい事を言ってる方が・・・ちょっとね。
補足
扇等氏は69才の大ベテラン、宮城県勤労者山岳連盟理事 海外委員会委員長、登山のプロフェッショナル。 2009年9月11日北アルプス奥穂高岳で、遭難者、二次遭難で4人が亡くなった事故のときも隊長だった。 雪崩に遭難して、そのことを会った人に話せないなんて聞いたこともなり。 ザイルが自然に切れたとも考えにくい。
非常時の心理状態を、平常時に評価することに意味は無い。
- yuyuyunn
- ベストアンサー率41% (20359/48650)
こんばんは 本人でないとわからないですよ 脳震盪とか軽い記憶障害 あとは気が動転していた可能性もあります 本人も20M落ちていたわけですから 命からがら登ってきたわけですよね 登山では自分の身は自分で守るしかないんです リスクは一番自分自身がわかっているのですから 憶測で物を言わないほうが良いです
補足
[「雪崩で遭難」伝えたのは翌日…下山の隊長] 林さんは3人のチームで6月11日からマッキンリーに入った。14日朝、標高約2400メートル付近で扇さんとあいさつを交わした際に、扇さんから「雪崩に巻き込まれ、4人が行方不明になった」などと小声で告げられたという。その段階で林さんが救援を要請した。 扇さんは13日夕方の段階で、すでに大阪隊の近くにいて、林さん以外の大阪隊の2人とあいさつしていたが、その時には遭難のことは出なかったという。 扇さんがその時点で話していれば、より早い段階で捜索が始まった可能性がある。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120621-00000957-yom-soci
補足
行方不明者の家族:「C3(標高3300メートルのキャンプ地)には外国人の大学教授がいた。その時に声をかけられた。でも、その時に『大丈夫だ』と、何で『ヘルプミー』が言えなかったのか」 http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20120624-00000032-ann-soci 「ヘルプ・ミー」が言えない人はいない。 ひとり先に降りてきたので、事故は知らなかったことにしたかったのではないか。