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法律家の「二枚舌」について
- 現行犯人を捕まえる際の実力行使について、警察官と私人の別を問わず実力行使が認められるとしている最高裁判例があるが、市民が同様に行使すると逆に暴行・傷害容疑で訴えられることが多い。
- この最高裁判例では「社会通念上必要かつ相当な範囲」という基準が示されているが、警察官と市民ではその基準の解釈が異なるとされている。
- 法学者の中にもこの解釈について異論があるが、一部の法律家は知識がない人を故意にバカにしているような態度を取ることもある。
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これが「リーガルマインド」の正体なのでしょうか? ○文系で作文・司法や論理的・美辞麗句に慣れ親しんだ法曹界の人間は、所詮そんなものです。 リーガル・マインドなどという体裁の良い言葉で、司法をつかさどった気になっているおこちゃまで、数理関係や物理的論証など彼らには、まったく無縁なんです。 原子力発電所の立地条件で、脆弱性が指摘されながら安全と判断した裁判も多々あります。 時代の風潮に左右されがちな判断ばっかりです。 ○法学以外の学問、特に理系の学問の考え方から言えば、これは「二枚舌」に他なりません。 そのとおりです。二枚舌の弁護士しか仕事をもらえない世の中です。 テレビドラマの「リーガル・ハイ」このドラマはパロディー化されていますが、実際こんなのばかりです。 母子殺人事件で、「どらえもん」を持ち出してきて殺しておきながら。復活の儀式だとおもった。 なんて裁判で証言させるなど・・・ 結局この裁判の敗因は、そう言わせたことで、反省の念がないと裁判官が判断したわけです。 裁判官の心証を取り付ける弁護士のパフォーマンスは、あきれるほどの馬鹿もいます。 ○こんな事で威張るのが法律家なのでしょうか? 【 そんな たわいもない 作文の中で生活し収入を得ている生き物です。】 法律家とは、弁護士の場合「裁判で勝つように仕向けることです。」 民法・商法・刑法・など民事訴訟でも刑事訴訟でも・・ 提訴の中身はどうであれ、勝てば良いわけです。 最近の若者が法学部志願者が激減しているのが、それを物語っています。 弁護士も所詮「金」でしか動きません。ということです。 法律を知っているから、二枚舌は使わないだろうとか・思ったら大変なことになります。 現実に、法律論をこのサイトでいっている弁護士もどきがいます。 法律の一定の解釈について、説明しているだけに過ぎません。 その解釈がそのまま、法廷で通用しないとわかっているにもかかわらず、建前だけを書いている法曹も居ます。 >この解釈は法学者にとっては、基礎中の基礎として認識されているのでしょうか? 【そうです】 法学者は、所詮学者です。 実態を知りません。やれ、コンメンタールとか判例だとか、最高裁判決だとか「馬鹿」みたいな論法で作文し、自己満足(マスターベーション)しています。 実務経験者のない法曹人は、ときには脱法行為とおもえるような裁判資料を平気で作成します。 また社会通念上という言葉もよく用いられますが、これも単なる作文(調書)を構成する文字の羅列に過ぎません。 弁護士よりも裁判所の書記官のほうが、まだましです。
補足
ありがとうございました。 出勤前に慌てて作ったので、 質問文がハチャメチャになってしまいました。w 後日質問を作り直しますので、 (そのときは新たな内容も盛り込む予定) そのときはぜひまた回答していただけると 助かります。 本当に法律家というのはマスターベーションですよね。 理系の専門家より傲慢なヤツが多いのは、 法律家というのは、理系とは違い、 法則を自ら人工的に 「作り出して」しまうからでしょう。 ルールを作る側に回り、 思うままに運用できる権力を握ると、 人間というのは傲慢になるのでしょう。 自然法則相手にそんなことはできません。 そのせいか、理系学者はもっと謙虚です。 あ、当方は理系出身の文系人です。 法律論文には決まった書き方(雛形のようなもの) があるのですが、 結論後出しである上、一文がやたらと長いし、 理系の論文になれた人間が読むと苦痛です。 以下に当方(fuss_minのID)の自己紹介欄を コピーしてします。 お礼は後いつかゆっくり書きますので、 お礼欄を空けたまま質問を締め切ります。 (引用開始) ***** アラサー男。理系出身の文系人。 法律の質問を多くしているが、 「わざと」素人のフリをして 法律の質問をしている。 でも決して「釣り」ではない。 気にせず回答いただきたい。 法学ではタブー視される考え方や 理系の視点もあえて混合させて 独特の見方をしている。 いかに日本の官僚・政治屋が、 法律の曖昧さやグレーゾーンを使って 甘い汁を吸っているか暴きたい。 ※Yahoo JAPANのニュース報道で 二度紹介いただいた質問もある。 ** (A) 理系の学問界では、 自然法則という不変(普遍)で あるはずの真理が、 権力によって 権力者の都合のいいように、 「捻じ(ねじ)曲げられて」 大衆に伝えられる。 人間が変えようのない自然真理を 証明してみせたばかりに、 権力者に暗殺された無名の賢人は、 歴史に沢山埋もれているだろう。 (B) 一方、文系の学問界では、 時には自然に逆らう人為的な法則が、 権力によって、 権力者によって都合のいいように、 「捻り(ひねり)出されて」 大衆に対し運用される。 法律というのは人為的法則。 法則を「作り出してしまう」というのが、 文系、特に法学の怖いところ。 しかしまた、 人為的(文系)法則というのは、 自然(理系)法則の前では無力なことも、 (文系の)歴史が証明している。 (大衆の怒りが爆発したら法律など無力。) ** 最近の日本人は 安定志向でおとなしい。 否、極端な「減点方式」の社会では、 エリートほど大人しい猫にならざるを得ない。 一度教科書通りの人生コースを外れると、 二度と出世コースは歩めないから、 腫れ物に触るように生きなければならない。 言いたいことも言えない。 そこに支配者は漬け込み、 さらなる格差社会を生む悪循環。 こういう社会を作ったのは、 1960~70年代に真っ赤に染まっていた エリート大学の左翼思想家。 社会に出て自分達が偉くなった途端に、 自分達に都合のよいように考え方を変え、 自らの既得権益の保持に躍起になり、 現代の若者を食い物・踏み台にしている。 奴らは【仮面左翼】だったということだ。 社会に恨みや復讐心を持つ若者は、 これからも増えるだろう。 ある意味いい気味だとは思うけど、 あまり言うと私が暗殺されかねない。 恐ろしい世の中だ。 「津波は天罰だ」という言葉が印象的だ。 ***** (引用終わり)