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「死」が浮かんできます。
中学2年生女子です。 わたしは 小学生の頃から 少し精神年齢が高いみたいで 同じ年頃の子より少し複雑なことを 考えていました。 死ぬこと や 生きること 、 恋愛について や 好きという感情 など 様々なことに悩んできました。 中学生になって 普段の生活ではもうほとんど周りの人たちと 同じような感情でいて 時々悩むようなことがあっても なんとか自分を納得させてきました。 今まででも時々、 「思いっきり泣きたい」と思う時がありました。 その時は大抵 感動する動画や物語を読んで 感動して泣いて終わりでした。 けれども少し前から、 そういった物語を見ても 家族(主に両親)の死が 浮かんできます。 両親ともこれといった 持病などはないのですが あまり健康というわけでもありません。 以前母に現実的なことを言われ、 それが頭に残っているということもあり 主に 「事故が原因で両親が亡くなる」 というのが浮かんできてしまいます。 そんなわけない 、ありえない 、と どんなに自分に言い聞かせても 頭の中でどんどん話が進み 涙が止めどなく溢れてきます。 バカじゃないのわたし 、気持ち悪い 、 なんでこんなこと 、って はっきり分かってるし思っているのに どうしてもコントロールができません。 しばらくすると(1時間程) 涙が次第に乾き 少し落ち着くことが多いです。 日中や誰かといる時は 問題ないのですが 、 どうすることもできません。 こんなこと、 信じられる訳もないし 信じたくもないし 考えたくないのに どうしても 浮かんできます。 時々、自分の死も考えてしまい、 それに対し両親が傷つくところを また考えてしまい 結局大泣きです。 鬱や、精神的な問題という 可能性はあまりないと思います。 どなたか、 対処法やこのことについて 何かお知りのことがあれば 教えていただきたいです。 長くなってしまって 申し訳ないです。 宜しくおねがいします。
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- michael-m
- ベストアンサー率50% (2724/5433)
私はもう還暦間近。でも15歳でカトリックの洗礼を受けて以来、すっと死について考えてきました。 家族との縁が薄かったというか、父からは「患者第一に考え、親の死に目に会えると思うな」と言われ続けていましたから、家族の死に恐怖はありませんでした。でも大切な人の死についてはずいぶん考えました。 あまり拒否反応を起こしても逃れることのできない死について、いつまでもごまかしは利きませんよ。 むしろしっかりと見つめて、「死とは何か」の自分なりの結論を出すことが大切です。そしてその結論を元にして「どう生きるべきか」を考えることです。 一期一会を大切にするのもひとつの結果だし、来世を信じて天の門をくぐるべく精進することもひとつの答えでしょう。 ただ、やけっぱちになって自分を安っぽくするのは賛成できませんね。 それだけのことです。 私は5年前、本当に死の縁に立って、後は好きに生きることを選びました。 心筋梗塞で発作後3時間後に漸く手術を受け生きているほうが奇跡だといわれました。 でも私はそのとき、人生でたった一度しか体験できない状況に期待が一杯だったのです。それは自分の心臓の止まる瞬間を見ること。 でもそのために意識を保ち続けていたことが手術の成功に至ったのだと、後で医者に聞きました。意識を失っていたら死んでいただろうと。 目標は未だに持ち続けています。 できるだけ多くの神社を回ること。日本中を旅すること(これは仕事があってできていません) 合気道の真髄を見つけること。(少しずつ進んでいます) 太極拳をマスターすること(これはスタートラインにも立っていません) 田舎に住むこと(あと10年くらい先かな) とにかく逃げずに真正面からぶつかっていく。これが一番の対応だと思います。 青春時代に死を恐れるのは当たり前。あなたはまだやるべきことが多いからです。 だから常に死が浮かぶもの当たり前、それは人間の持つ防衛本能だからです。 なにもおかしなことなどないんですよ。逆に死なんて関係ないと考えたら、自己防衛本能の欠落。そんな人に待っているのは自分の死か他人の死です。だから隠したり避ける必要などまったくありません。
- tsufujifuji
- ベストアンサー率15% (213/1332)
人間は、一人ぼっちじゃ生きていけません。あなたは感受性が高いんですね。 誰でも、一人は怖いです。一人でなんて生きていけません。恐怖は、あたまの中でずーと存在しつづけます。それが、感じらるだけ。変じゃありません。 誰しもいつか死にます。ただそれだけのことなんです。怖いのはみんな一緒だって。
お礼
みんな、同じなんですよね.. 同じ恐怖を持っていて 同じように最後を迎えるんですね。 「わたしはひとりじゃない」 そう思えて、少し安心しました。 ありがとうございました´`*
人間いつ死ぬかわからないのが現実です しかしみんなそんな現実を忘れて生活しています 時々そんな現実を「見つめ過ぎる」人がいます そういう人はうつ病になりやすい傾向があります 考えない人よりは、なりやすいってだけで 「なる」ってわけではないのでご心配なく 少し気楽に生きてください 誰か心得た人(保健室の先生とか)に 気持ちを吐き出して聞いてもらうのも 効果的だと思いますよ (携帯からだと見れないかな?) マンガでわかる心理学 第八回 あなたが「うつ」かわかっちゃうクイズ http://yucl.net/man/20.html
お礼
ありがとうございます。 もう少し楽に見てみたいと思います。 気が少し楽になりました´`* ----- 遊びに行って見ます **
- まさしろ(@masasiro)
- ベストアンサー率35% (295/842)
ご質問者様こんばんは。 僕も中学生の頃は、自分の生死に関して大いに悩みました。 人間にとって最大の試練は「生老病死」を受け入れることにあると思います。人間の人生は数十年と、とても短かいものですからね。ご質問者様のご両親もご質問者様ご自身も、そしてもちろん僕も必ず死にます。自身の死を前にしても受け入れられず、狼狽したまま亡くなられる方も沢山いらっしゃいます。 また、「愛別離苦」と言う言葉もあります。愛する人との別れや離れ離れになる苦しみは、人間にとってこれ以上無いほどのとても辛いことですね。辛くて当然ですが、この出来事が自分だけに起きることと考え違いをするとそのことが原因となって不幸の始まりとなります。 これらは仏教の言葉ですが、死を受け入れ、生きる力を更に高める為の知恵が仏教を筆頭に哲学や宗教に沢山残されています。先人の英知は誰もが得られる貴重な財産ですね。 そして死についてですが、死を理解することは生きている以上出来ません。人間は分からないものが怖いのです。死ぬことは生きている間は誰もが経験出来ないのですから、死は生きている以上絶対に怖いままなのです。涙が出るのは仕方がありません。生きる引き換えに恐怖を持ち続けなければならないのです。 一期一会と言う言葉がありますが、生きることは瞬間瞬間の積み重ねです。10分呼吸が出来なければ生きることはままならないかもしれません。朝起きて目が覚めて「今日もまだ生きていた。嬉しい。今日もまた一日を楽しもう。」と思える生きる態度です。明日がやって来ない今日は誰にでも訪れる日がやってくるのです。自分の死をぐっと近づけて一息の呼吸が出来ることへの感謝の気持ちを持つ。そんな気持ちが一期一会には込められています。 死は精一杯生き抜いた生の記念日になるように、希望を持って生きることでとても命が輝くものであると思います。 人間は頭だけで考える自分だけが自分であると思いがちですがそれは違います。脳には左脳と右脳があって、左脳は言語能力があり頭の中で常にお喋りです。左脳はお喋りでさらに過去の経験から分析して価値を計って差別をすることがとても得意です。 右脳は今、ここにある生命のエネルギーを感じることが得意ですが、言葉は左脳にとられているのでそれを私達に伝える手段を持っていません。生命のエネルギーには良し悪しや大小の区別がありませんから、一寸の虫にも五分の魂と言ったようなあらゆるものを平等に愛する慈しみの力が右脳にはあると思います。 また、最後にもう一つ人間の内蔵にも生きる意思があることを忘れてはなりません。人間の内蔵は生きることにとても貪欲です。心臓が止まる最後の瞬間まで全力で生き続けようとします。内蔵はもちろん言葉で生きていたいと私達に伝えることは出来ないのですが、生きることに否定的な考えを持つと心拍数を変えたり、お腹をこわしたり、頭痛をおこしたりと無言の反撃を加えて来ることもあります。 この3つの能力に魂が宿っているのが人間なのだと思います。 沢山悩み、失敗しながら柔軟でしなやかで柔らかい人間にご質問者様が成長なされることを応援しています。 長文失礼致しました。ご参考までに。
お礼
とても感動しました。 生きるということは 自分の思いだけではないんですね。 自分のためにも しっかり輝いた生き方ができるよう 頑張ります。 もし死が身近に訪れた時も しっかりと向き合いたいです。 ありがとうございました´`*
- qpmail
- ベストアンサー率0% (0/0)
私自信の話ですが。 この歳になっても(30)死へ恐怖や不安で 眠れなくなる事が時々あります。 あなたと同じように親の死を思った時 不安になり、急に親に優しくなったりしたりもしました。 死とは必ず訪れるもの。 少し、考え方を変えよう。 親、兄弟、友達、周りの人すべてが いつか死と言うものを向かえます。 それは必ず避けては通れません。 だったら今ある命の事を考えてみては? 親が死んで悲しいと言う事は もちろん親を愛しているという事 だったら精一杯、生きている間にに親孝行をしよう。 自分自信の場合、死が怖い、不安と言う事は まだまだ、やりたい事、思い残した事があるという事 だったら毎日を精一杯、楽しんで生きよう。 私は不安・恐怖などで眠れない時 自分にそういい聞かせて 親孝行の方法や 自分自身の未来を考え、楽しい方向に持っていきます。 死は必ず訪れるもの。 だったら生きてる時間を大切にすればいい。 私自信、けんかしてしばらく会っていなかった たった一人の親(母)が久しぶりに会いにいくと 変わり果てた姿になっていて、数ヶ月後なくなりました。 まさかこんな早く死ぬなんて思ってなかった(当時22歳位かな) もっと親孝行したかった・・・ そんな後悔しないように大切にしてください。 私は仕事柄、たくさんのご老人と生活しています。 その間にたくさんの人を見送って来ました。 でも「死」とはただ悲しいものだけではないという事を学びました。 うまく説明はできませんが 「ごくろうさん、ゆっくりやすんでな」って 笑顔で遅れる時もあるという事。 寂しさという感情はやはり残りますけどね。 でも、その人との出会い、過ごした時間も踏まえ 人は成長し、生きてゆくんだと思います。 また、伝えて行くんだと思います。 今日という日を大切に 周りの命を大切に 今の時代。薄れゆく「優しさ」もって生きていこう もちろん楽しくね^^ はぃ、よく伝わらなかったらごめんなさい^^;
お礼
後悔は絶対したくないです.. 改めて自分に言われてみると もっと広く考えようって思えました。 今自分にできる精一杯をして しっかり前に進みます。 そしていつかその日がきたら 「お疲れ様でした。本当にありがとう。」 そう、ちゃんと言えるように生きます。 ありがとうございました´`*
- kiflmac
- ベストアンサー率22% (160/717)
自分が大人っぽいドライな考えが出来るって思って居ても「両親の死」とか考えたら、悲しくなるって質問者様の年代であれば当然の事だと思いますよ。 実際の話、ご両親の御蔭で学業であったり、私生活であったり、お金だけではなく価値感を植え付けてくれているのですから・・・ だから、対処法なんて無いと思いますよ。もっと言えば、対処する必要が今は出来ないと思います。その気持ちがあれば、今は良いと思います。 親としてだと、高校進学についての話があるとは思いますが、それに付いては、各家庭の諸事情だと思いますので口をはさめません。
お礼
そうですよね.. まだ子供だし受け止められないのも 当然ですよね..。 ありがとうございました´`*
お礼
今を生きている、目標を持って しっかりと見つめ生きます。 逃げたら終わりですよね。 一生今と同じ恐怖を抱えることに なりますよね。 希望を持って今を生きます。 ありがとうございました´`*