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決定論
自由意志による行為の実現には、決定論が必要な理由を教えてください。 長文になっても構いませんので、初心者にもわかるように例題などをつけての回答をお願いします。
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こんにちは。 決定論というのは けっきょく事後的にその行動があらかじめ決まっていたと判断するだけの似非世界観です。 事前と言いますか 《事中》では けっきょく自由意志による選択と判断によって人は 行動します。 たとえば その《事中》において この判断とそれとしての選択の実行は もともと決定されていたのではないかと思ったとしましょう。 それは ただそれだけのことです。つまり 《すでにもともと決定されていた行動》ではないかと見ようとしているところの自分の自由意志の行使であるにほかなりません。 あるいはつまり よく引き合いに出される事例として 満員電車の中で人びとの動きにただただ押されてそのチカラを受けて行動せざるを得ないという場合 つまり自由意志のはたらく余地がないという場合 こういう場合にも 自由意志は みづらかのはたらく余地がないなぁと見て それでは外からのチカラに従わざるを得ないし したがったと捉えるだけのことです。 自由意志を発揮できなかったとしても 自由意志は無くなったわけではありません。 あるいはつまり 自由意志をじゅうにぶんに発揮して行動したと自分で思っているのに それは 何か外からのチカラによって誘導されただけだとあとで分かった場合 こういう場合でも 自由意志は あぁ そうだたったのかと省みる。それだけのことです。 世の中 何でも自分の思うようになるとは 自由意志は 思っていません。のですから。 似非世界観だと言ったのは けっきょく決定論の立ち場しかなくそこに立つと言い張る向きは 神の立ち場に立っています。立ったし 立てたと思い込んでいるだけです。その似非なる神の目線からすれば 決定論が優勢であると見えるのでしょう。
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- 雪中庵(@psytex)
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>自由意志による行為の実現には、決定論が必要 これは逆ではないでしょうか? 決定論によれば、全ての未来は決定されているので、 自由意志の介入する余地がない、というのが一般的な 考えです(ラプラスの悪魔)。 それに対し、「決定論」の根底にある決定性、即ち観察者 とは独立な(外部の)有限的性質は、その対象の原理的 実体を確定化せず、現象表面的に経験的に捉える事で 派生する二次的なものであり、確率的な実体が本質で ある、とするのが不確定性原理です。 そこには「観察者の介在」が不可欠であり、任意性= 自由意志があり得る(二次的にではなく)のです。
お礼
回答ありがとうございます。 大学の課題文を引用して、質問しました。 課題文では「自由意志の行為の実現には決定論が必要」であることが前提としているので。。課題文をもとに考察していかないといけないようです(汗)
お礼
なるほど。。 決定論を似非世界観とする考え方は思いもしませんでした。 だから、いくら考えてもわからなかったんだなぁと気付かされました。 回答者さんの意見をもとに考察してみます。 ありがとうございました☆