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これからは高校2年卒で大学受験できる?
ニュースでやっていました。 関連法案をまとめている段階だそうです。 早ければ来年からの適用も視野に入れているとか・・ 人間性が未熟な若者を早熟させようという試みには 一長一短があるように思えます。 これらの取り組みについてはどの様な意見をお持ちですか? 私は、大学という自由あふれる環境で誤った方向に流される 人間が、増えるように思います。 この様な取り組みなどをはじめ、政府は結果だけを先に出そうと 迷走しているように感じます。
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- yachi67hk44
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国家や 企業の人材エリート教育では、世界では常識です。当然 飛び級もあります。 一本線で上級の学校に進学する固定された制度は、特に先進国の中では、日本くらいのものでしょう! 今の飛び級(高校2年生終了後)、入学を許可させている大学は、千葉大学等 ほんの僅かな大学だけです。この現在の制度の欠陥は、高卒扱いせずの大学進学制度です。 つまり、今の飛び級制度のもとで 大学進学に挑戦し不合格になってしまうと、その人は 高卒でないので、学歴は 中卒で終わってしまいます。 つまり、今度の制度改正の要点は、学力あり 高校2年生終了時点で大学入学にチャレンジしようとしている人には、高卒の資格を あげましょうというものです。この時点で高卒の資格を上げますよということになります。 エリート教育は悪くありません。 サッカーにしろ野球にしろ、ピアノやバイオリンにしろ、幼児期からの英才教育が無ければ、大人になって大成しません。 スポーツや芸術方面で エリート教育が持てはやされるのに、学校教育のエリート教育を非難するのは、全くのお門違いです。 政治や経済が国際化し、海外との競争が一層激化する中で、それに対応できる人材の育成が目的なのでしょう。 スポーツで国際試合に参加すて いつも負けるなら、こんなの必要ありませんネ! サッカーのFIFAの試合や オリンピックでも、出るからには 優勝を目指すのと同じ趣旨です。 政治の世界でも 実業の世界でも、世界と対等以上に闘える人材は、特に産業資源の無い日本には、優秀な 人材の育成が、今後ともに必要です。 今の大学は、入ってしまえば遊び放題。そして 就職難とわめく前に、自分が何を目指すかの目標をしっかり持ち、大学でも勉強する姿勢が不可欠です。 だいがくは 自由にあふれる環境と質問者が 書いていますが、それは 勉強目的があってこその自由で会って、レジャーランドのごとく4年間遊びまくって、就職できないと喚く若者には、腹が立ちます。 高校までの先生が、手とり足とり指導するタガが外れて、自分で考え自分で行動する場であって、決して 何してもよいという自由ではありません。一流企業が、一流大学生を採用するのは、その目的意識の高い人材であって、決して差別ではありません。 大学は学びの場であることを忘れ、誰も誘導しない自由さを 遊びの場としている本人が悪いので、人の責任にする風潮が悪いのです。今は、勉強しなければ、フリーターか アルバイトしか職はないという前提で、進学して下さい。
- bismarks0507
- ベストアンサー率31% (192/605)
基本的には、高校・大学の首座は、人間性云々とは思えないのだが つまり、義務教育課程で、人間性云々を問題にするのは、理解できる しかし、高等教育である高校・大学で人間性云々などを論じることは、学校教育を思慮する上で必要には思えない そもそも、人間性云々というのは、年齢というよりも、経験の領域であるので、飛び級に近い制度であることに問題を感じないのだが・・・ 高校・大学は知識・知性を主眼にするべきものであって、人間性などは、社会・家庭の問題であろう 質問者は、政府が高等教育において人間教育を思慮しているように思うのだろうか? 世俗が高等教育に人間性云々を求める根拠などは存在しない話なのだが、そのような認識で、高等教育を論じられるのは、納得できないし、論理的に未熟だと思うので、回答してみた
お礼
遅くなりました。 回答ありがとうございます。 知識・知性を主眼にという文節にどういう意味をこめられているのかは、私には汲み取れませんでしたので、次のようなお礼になりますこと、先にお詫びいたします。 まず、我が国における高等教育の意識は、下記にあるように「自立性」にあふれ、「社会ニーズに即応した」「独創性のある」研究を、「意欲的」に行える質の優れた研究者を生み出すためのものです。 そして、その様な人材を確保するために「環境」を整える取り組みですが、 アメリカでは学力としての飛び級資格の他に、飛び級制度を活用できる人間にコミュニティカレッジで年配者との社会的関わりが可能かどうかを見定め、大学入学を認める期間を設けています。 その背景には、麻薬問題や性犯罪、メンタルヘルスなどの様々な問題がかかわっています。我が国においても、知識を活用できる自主性のある人材開発の取り組みの柱として「人間力」を掲げる大学のほうが主であることも併記いたします。 http://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/kaikaku/index.htm
- fertile
- ベストアンサー率7% (12/166)
中学レベルの大学が増えているので、現状で強行すると、中卒レベルの大卒が 増える事になる。日本橋学館大学のシラバスを見てみましょう。すごいよ。 http://hamusoku.com/archives/4123267.html そもそも早熟させられるの? 現状でどうやって??? そんな感じです。
お礼
回答ありがとうございます。 大学によって、あるいは高校の教員の指導レベルによって、学習の習熟度に不公平ができることも問題視されるようになるのでしょう。 そもそも、飛び級制度が制定されるようになると、それまでの進学歴ではなく、習得課程に判断材料ができるようになります。アメリカでのSAT-Iなどの認定制度ですね。飛び級制度は教育が画一化されることができますが、子供の環境によって不公平さが生じるという問題を常に抱えることになります。
- ji-young
- ベストアンサー率24% (25/101)
中KYO高校から中KYO大学へ一貫校囲い込みに対抗して、山梨GAKUIN大学のような大学が客寄せパンダの青田買いに走るだけなのでは?大学は留年できますし研究生や大学院でも置けますし。 一般的に高校より大学の方が設備や教育環境が良いところが多く、超高校級の子は超高校の大学のレベルの高いところで育成した方が良いし、才能ある子にとってはメリットがあると思います。 中卒扱いではなく高卒扱いになるし。
お礼
飛び級制度には、優れた教育を早期に体験し、優れた人材を早期に作ることのメリットがあります。 現在の日本での就業には、長期キャリアの形成のため、年齢主義である場面が多々見られます。 事情により飛び級できなかった人間あるいは、進学できなかった人間が、こうした就業場面で不利益をこうむることを危惧すべきでしょう。 教育上の格差=就業上の格差が拡大することになります。
- 藻黒 知恵蔵(@ameru1999)
- ベストアンサー率28% (624/2203)
NHK http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120602/k10015553181000.html どうなんでしょうね? 高校を3年行くことに勉学以外の意味もあるんじゃないのかなって個人的に思います。
お礼
回答ありがとうございます。 また、ニュースを掲載いただき、ありがとうございます。 おっしゃる内容に共感しました。 今の政府の動きは、議論の結果を求めるだけのようで、飛び級によるメリット・デメリットに関して十分な審議をしてないように感じます。 無論、飛び級によるメリットもあるのですが・・・・
- poomen
- ベストアンサー率34% (784/2278)
なんかすごく唐突な質問なのですが?元となる記事とかのリンクを張っていただかなければお答えのしようがありません。 ところで「飛び級入試」は千葉大学だけですけどすでに行われていますよ。すでに14年以上の実績があります。これは数学や物理など20-30代のうちに才能がピークを迎える分野に限って行われているものです。2年生から直接千葉大に進学させる制度です。 http://www.cfs.chiba-u.ac.jp/invitaion.html 質問された件ですが、千葉大のようにたぶん限定的なものとなるのではないでしょうか?ならば私は反対はしません。千葉大を見ても支援体制がしっかりしていますしね。
お礼
回答ありがとうございます。 ニュースの掲載を忘れてしまい、申し訳ありません。 回答者2の方がニュースリンクを紹介されております。 さて、千葉大学の斬新な取り組みは初耳でした。 わたしも限定的に行う事には確かに賛成ですが、 全国に展開すると、社会問題になりますので、より 十分な審議が必要に感じました。
お礼
回答ありがとうございます。 失礼ながら、末文の論点が迷走されてるように感じます。 私自身、飛び級制度に関して完全な否定派ではありません。 しかし、回答者様のような性急な結論も様々な問題を抱えると 危惧しております。飛び級における問題点は既に研究分野の ひとつにされており、日本のような一貫性の教育と、比べて メリットもあれば、デメリットもあります。 また、現行で一部の大学で実施しているだけですが、これをわざわざ拡大する必要性は何でしょうか? 優秀な人間であれば、とりわけ「進路を自ら設計し、自立した行動を取れるもの」であれば、大学入試程度の問題、難なくクリアし大学に受かるものでしょう。 わざわざ自由意志で行う行動まで保護する意味がわかりません。