1)ラプラスの悪魔
これは、「全宇宙において起こる全ての事は、物理学的に、あらかじめ決まっている」という「決定論」を表すものです。
19世紀末、量子力学がまだ無かったころ、物理学は完成したと思われていました。些細な未解決事項はあるものの、大した問題ではないと思われていました。それを仮に「古典物理学」と呼ぶことにしましょう。
古典物理学では、小さな原子の構造から、巨大な銀河まで、全て単純な物理学理論で説明できました。そこに「偶然」が入り込む余地はありません。全ての事は「必然」でした。これが、原子の中から全宇宙まで、全く同じに通用しました。
全ては必然、つまり宇宙の始まりがあるとすれば、そのときに既に、その後どうなるかは完全に決まっています。たとえ人間が自由意思をもっているように見えても、それは幻想というわけです。いや、幻想と思うことすら、既に完璧に決まっていたわけです。
これを簡潔に言い表したのが、
「いつでもいいので、ある時刻の宇宙全ての粒子(原子レベルということですね)の位置と速度が分かれば、無限の過去から無限の未来まで、宇宙の歴史を完璧に知ることができる。もし、無限の計算能力があれば、だが。」
というもです。この文章において、「ある時刻の宇宙全ての粒子の位置と速度を知っていて、無限大の計算能力がある者」を「ラプラスの悪魔」と呼びました。ラプラスの悪魔は、全宇宙のすべての歴史を知ることができるわけです。
それが物理学だということですね。もちろん、人間では全宇宙の全ての粒子を知ることはできないし、無限の計算能力もありません。
それでも、偶然も自由意思も無いということは、物理学理論的には分かる。物理学のどこを探しても偶然はない。
精神が脳の働きによるのならば、脳の中で起こることも物理学理論に反することはない以上、何を考えたとしても、それはあらかじめ決まっていることだ。自由意思による選択というものは無い。
全ての事はあらかじめ決まっている。これを決定論といいます。それを、表現を変えて言い表したのが「ラプラスの悪魔」です。ちなみにラプラスは、ある物理学者の名前です。
相対性理論が現れ、ニュートン的な世界観を覆しても、この決定論は覆りません。アインシュタインも決定論を支持していました。
これを完全に覆したのが量子力学です。量子力学は、端的に言えば、「この宇宙で起こる全ての事は、原理的に、根本的に確率的である」としました。
ラプラスの悪魔的に言い換えれば、「たとえ全宇宙の全ての粒子の位置と速度を知り、無限の計算能力があっても、未来も過去も計算で知ることはできない。そもそも、全ての粒子の位置と速度を知ることすらできない」ということです。
決定論に対する言葉を探せば、確率論と言えるでしょうか。人間の自由意思も復活します。
アインシュタインはこれに対し、「神はサイコロを振らない」という有名な言葉を発しました。彼以外の少なくない物理学者も、量子力学の基礎を作ったシュレディンガーですら、量子力学は不完全、未完成であって、決定論が正しいことを証明しようとしました。しかし、ことごとく失敗し、かえって量子力学の正しさを証明することになりました。
シュレディンガーはそれでも、「シュレディンガーの猫」という有名な思考実験を発表し、量子力学の確率論に抵抗しました。これは量子力学を少しも否定できませんでしたが、「量子力学の解釈問題」という形に変わって、今も議論が続いています。
2)マクスウェルの悪魔。
マクスウェルも物理学者の名前です。
量子力学以外にも、ラプラスの悪魔には致命傷になりかねない欠点がありました。それは熱力学です。
熱力学以外の物理学は、時間を逆転させても、理論的には全く問題がありません。だからこそ、ある時点でのことが分かれば、それから未来がどうなるかが分かるだけでなく、それまでの過去も計算できます。
熱力学だけは、これができません。熱は温度の高い方から低い方へしか移動しません。水に塩を入れてかき混ぜれば、塩は融けて水の中に均一に広がりますが、元に戻すことはできません。火薬が爆発したら、元に戻すことはできません。
熱力学だけが、時間が逆転できない理論なのです。たとえば「エントロピーの増大」いうのが、それを表す一つです。時間反転できない理論では、たとえある時刻の全ての事が分かっても、過去のことを計算で知ることはできません。
熱力学は、ラプラスの悪魔が手出しできない、神剣と聖なる矛を持つ天敵です。
これについて、理論的には時間を逆転できるのではないかという思考実験が提唱されました。
空気分子の一つ一つを扱える小さな悪魔がいるとします。暑い夏、部屋の窓に細かい穴の開いたフィルターを取り付け、フィルターの穴の全てに、その小さな悪魔を番人として置いておきます。
小さな悪魔の役割は、部屋の中の速度の速い空気分子(高温ということです)を室外に出出し、室外の速度の遅い空気分子(低温ということです)を室内に取り入れます。
すると、室内の温度はいくらでも下がって行きます。暑い寒いといっても、空気分子の速度というレベルで言えば、平均的にはということであり、空気分子一つ一つを見れば、いくら高温でも速度の遅い空気分子はあり、逆もまた然りです。
つまり、小さな悪魔がいれば、電源の要らないエアコンが作れます。熱力学が絶対視する、「熱は高温から低温へ移動する」ということが、理論的には否定できます。
この、熱力学を否定できる小さな悪魔が、マクスウェルの悪魔と名付けられました。熱力学に、理論的な時間反転を許す糸口です。もし熱力学をそのように書き換えれば、ラプラスの悪魔の欠陥をなくすことができます。
しかし熱力学は、マクスウェルの悪魔も、しょせんは熱力学の中の存在でしかないことを立証しました。
マクスウェルの悪魔が働き続ける為には、悪魔にエネルギーを与え続けなければいけないことを証明したのです。やっぱりエアコンには電源が必要だったわけです。
お礼
ありがとうございます! よくわかりました。 ですが、ラプラスの悪魔の事で一つ聞きたい事があります。文系脳の稚拙な屁理屈ですが、良ければ少しおつきあいください。 ある瞬間の世界の全てを知っていたとしても、そもそも全ては確率で分枝するから、決定論は否定された――という訳なんですが。何故、世界は確率によって支配されていると証明できるのでしょうか? 常に、起こる事象は一つですよね? という事は、たとえばこの世界が物語のように一本道であるという可能性もあるのではないですか? 何故、起こった事象が最初から決定していたものではないと説明できるのですか? 仮に時間軸1においてAがBになるという結果があったとする。そして、確率で言えば、AがCになる可能性もあり得る――と、したとしても、過去に遡れない以上、時間軸1においてAがCになる確率がある事を証明できないような気がするのですが……。もしかしたら、同じ事を繰り返したら、永遠とAはBに鳴り続けるかもしれないじゃないですか。 それとも、この世界が確率論と決定論――そのどちらがこの世の理である確率自体が50%―50%であるから、世界は確率論によって支配されている証明になるとかそんな事なのでしょうか? もし良ければ、ご回答いただけると幸いです。